なにぬねののの |
2002年12月18日(水) |
はやす> 近頃共同日記があまり更新されていないとお嘆きの貴兄!
すんません(ぉ
なんか暇なよーな忙しいよーなそんな日々です。
今日は時間がほとんどないので いろいろ書こうと思います(マテ
-------------キリトリ-------------- ←意味なし
今、私が住んでいる世界は 他の人の住んでいる世界と完全一致はしない。 人によって行動範囲はあるし また、得られる知識も違う。
情報化社会と言われるようになり 現代では「情報の取捨選択」が重要になってきた。
では、取るべき情報と真実が一致しているのか?
あなたが自分で確認した以外の情報 たとえば地球が球体であるだとか 宇宙には空気がないだとか
そういった情報がはたして真実だろうか?
アポロ宇宙探査機が月に行ったのが本当かどうか 論争になったのは記憶に新しい。(というほど最新の話題ではないが。
私達のほとんどはテレビを見る 情報を得るためだ このテレビから得られる情報は 私達が同じ番組を見る限り テレビから得られる情報は普遍であるが それは普遍の事実であるというわけではない
ただ同じ番組を見た人達の中で普遍というだけだ
情報が真実かどうか それは本当は確認できないものなのかもしれない。
もしかすると アメリカなんて国は存在しないかもしれない アメリカが存在すると見せかけるためには アメリカ製と書かれた商品 アメリカの様子を作ったテレビ番組などの情報源 を用意すれば それだけで人にアメリカの存在を信じさせることができる。
飛行機で行ったらわかる なんていう人がいるかもしれない
あなたが飛行機で行った場所がアメリカであるという証拠がない。 飛行機に乗せて まわりの景色を見せ 「あそこに見えるのがハワイでございまーす」 などと説明を入れ そして自分の用意した「アメリカ」に人を移動させ 「アメリカ観光」をさせ、同じようにして元の場所に帰ってこさせれば
その人はアメリカに行ったという確信を持って土産話に興じることだろう
私達が何者かによって作られた映画のセットの中で生活していないという 絶対の保証が無い限り、その可能性は十分存在し得る
情報化社会の「情報を疑う」という行為は 突き詰めればいくらでも進んでいくことができる。
果たして人間は情報に対するこの懐疑の念から逃れることはできるのだろうか?
------------------キリトリ-------------------
うゑ> 切り取られたら捨てられそうやな(ぉ 久々に日記書きます。 今日はほんまに調子悪い。昨日からそうだったんですけどね。 なーんか身体もしんどいし、精神状態も悪い。 最近いろいろあるからですけどね(ぉ
ま、そういう話は置いといて。 上に書いてあることとはちょっと離れるかも知れんけど 昔しょうがっこのときの塾の先生からこういうことを聞いたことがあります。
「われわれ人間はもしかしたらコンピュータにつながれている 脳だけかもしれない。われわれが体験したとか、感じたことは すべてコンピュータから受けた電気信号によって見えるもんかもしれない。 その可能性は誰にも否定できない。」
これはもう情報化社会とかいう次元からかけ離れた事かもしれません。 それこそ我々自身の存在が危うくなるような問いですね。
私自身はこの言葉に否定も肯定もしません。 自分が見えている世界、知っている範囲で生きていくしかないと思います。 たとえ真実が何であろうと、この世の中から逃げ出す事 はなかなかできないでしょう。
・・・かといって見えないもの、人はどうでもいいとか、 情報全てを信頼し尽くすという事ではないです。 これこそもう個人の良心とか、知能を使う他はないでしょう。 ただ一ついえることは、自分の見えていないものにも 気を使い、今までの自分の誤った認識や感覚を修正していく事が 未来への道を開く事だと思います。
いまの世界が真実であろうが虚構であろうが、 情報が真実であるかそうでないかは、個人が自分の力を使って 考えることしかないような気がします。
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