今迄。そしてこれから。



 いつの日



今日慰霊の日に向けての平和学習と題して写真家の親泊健さんが
講演会に来てくれました。

講演(後に私はこの言い方に違和感を覚えるのですが)
が始まって十分。異質な視聴覚室の空気に気が付きました。
今まで沖縄に住んできて、小学生のころからこの時期になると
必ず平和について戦争についてという企画がありました。
色々平和について語られもしてきました。
でも、この時のあの空気は今までのそれとは全く異なっていて、
なんというか異質。でした。

その原因に気づいたときにその矛盾に気づきました。
話の内容が、「ホンモノ」だったのです。
ホンモノを異質と感じてしまうほどこり固まった私の心をみました。
今まで経験してきた平和活動や講演会が嘘だったというわけでは
決してありません。
学ばなければならなかったことを、学んでいたとは思います。

けれど、今日のあのお話は完璧に今、私達が生きているときに
起こっていることなのだということが言われなくとも
心に突き刺さるようでした。

最初クルド人の話に始まり山岳地帯をのりこえてイラクに入国したことや
住人の反発にあったり車の移動中に必死で隠れながら行動していたこと
色々、色々話してくれました。
頭が吹飛んでしまって遺体のそばのダンボールに頭を入れた写真。
その父親が自分の子供の頭を持って、これを写真にとって
みんなに伝えてほしいといわれたとき、彼は涙をながして
シャッターを切ったと話していました。

最初から最後まで全てが現実で、今で、地球で起きていることでした。

なんで高校でこんな話を聞いているんだろうか
と滑稽に思えるほど、イラクの砂の匂いをした気がしました。

けれど一つ哀しかったのは、親泊さんが敵がいくのをやり過ごしたり
撃ち合いがある側で必死で身を守っていたことを話しているとき
イメージをすることができなかったことでした。
私のなかに浮かぶのはまるで映画のような、どこかで見たような
そういった風景で。
決してそれは血の匂いのする生々しい現実ではなくて。
平和になれて平和を平和とも思えなくなった私はこんなにも
苦しみを知らないと痛切しました。

講演が終わってから、親泊さんが放課後図書館にいるとのことで
友達と一緒に話を聞きに行きました。
刺激が強いからみんなには見せられなかった生生しい写真とか、
見せてくれました。
背けれないイマがそこにはあって。
なんでこんなに苦しんでいる人がいて
それなのに私は何もすることはできないのだろうか
自分の不甲斐なさとか無知だとか、何かに霧消に謝りたい気持ちが
塞き止められないほど出てきて耐え切れずトイレに行って
泣いてしまいました。

なにができるんだろうって思いました。
なにもできないのかもしれないとも思いました。

知ることが、凄く、凄く大切なことだと
知ることで自分にできること見つけられるんじゃないかなって
思いました。

もっと自分のできることを広げて、
彼みたいに平和活動をしたいと思いました。

平和の講演会で、平和って言葉を使わなかったのにもかかわらず
こんなに心に刻まれたお話は、初めてでした。



「家族とかいたらきっとこんな仕事はできない」
といった親泊さんの言葉に厳しさを感じました
「何かを得ようと思ったら何かを失わなくちゃならないからね」

カメラにキスをする彼はとても魅力的な方でした。


2005年06月17日(金)
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