午前も午後も仕事でお昼だけ 娘の幼稚園の時に知り合ったママ友達とランチ 娘ヌキでも普通に友達だから ○○ちゃんのママという呼び方もおかしいよねぇ ということになったけど いざ他の呼び名で呼び合うのもなんかテレ臭くて 苗字で○○さんというのもなんか他人行儀でぎくしゃくしちゃうしね
今日はPTAの役員の集まりがあったのだけど ごめんなさい。今日は仕事に集中したくてパス もう だいたいめどがついたし行かなくても 大丈夫だろうなぁって思ってたら 携帯に連絡入る 話しあいの方向性がつかめないのでどうしても来て欲しいって 時間もずれこんでたので今日はムリとお断りする
夕方娘を塾に送って行く前に連絡が入って 夕方 急に集まることに 色んなストレスと忙しさがつもってたのだろうね 夕飯食べた後は動く気力まったくなくなってた
相手にそれはいけないとかできないって言い切ってしまうのは楽だけど そうでなくてできないけどあなたの意見はわたしとは違うけど お互いに理解してやってきましょうという方法をとらないと 物事が進まない 言葉のひとつひとつに慎重にならないと 相手に伝わらない 自分の投げかけた言葉を相手がどういう風にとらえるか そこの行く先をしっかり見つめる 以前のあたしだったらできなかった。 相手を理解するっていうよりも 自分の意思を伝えてっていうか相手にぶつけって 自分がすっきりして自己満足 そんなのじゃ 相手に伝わるはずがない 言葉を発する事が伝えることだと思ってたの>あたし それが相手に伝わってないという事も理解してなかった。 関わっていくのが家族や仲良しの友達という 今までの生活だとそれでもそれなりにやってこれたのだけど こういうPTAの見知らぬ人たちの中や 仕事で人と関わる時には 伝えるということに注意深くならないと コミュニケーションがまずとれない。 これはチャットで知り合った異世代の友達との関わりからも たくさん学んだことだけどね
お米はお米で磨かれる ダイヤモンドはダイヤモンドで磨かれる 人は人で磨かれる
だから色んな人と関わっていくことは 楽しいことも疲れることも時には悲しかったり切なかったり 苦しかったり色んな感情が生ずるけど そういう思いをすることが磨かれると言う事なのかな?
○○ちゃんのママ ○○さんの奥さんと呼ばれる人間関係だけでなく ○○さんとあたしが単体であるスタンスで人と関わることが多い。 こんなこと言われたとかこんな人がいるぅって 一喜一憂するのではなく 落ち着いたテンションで色んな人がいるのね。と冷静に受け止められるようになったらいいだろうな 今は・・・まだまだです
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