せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2004年01月13日(火) |
少年王者舘 KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」 |
池袋のシアターグリーンで、少年王者舘 KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」を見る。 少年王者舘は去年に続いて二度目。でも、今度は別プロジェクト、二人とも初めての役者さんだ。 しりあがり寿の原作を舞台化したもの。一昨年、見逃してたので、今回は是非とも見たかった。 いやあ、おもしろい芝居だったなあ。 「エセ」でリアルじゃない江戸から、リアルな伊勢(イセ)に行こうとする二人が、川沿いの宿で足止めを食ってる。その宿の部屋は江戸の喜多さんの部屋にも似ていて……。 雨が降り出すと、「ふりだし」に戻ってしまう、どうどう巡りなやりとり。二人の会話は、ヤク中の喜多さんの夢の中の出来事のような、そうでないような。 この夢が本当かということを延々、確かめていく過程が、舞台の嘘とのかけひきのようでね、なんともよかった。 見えないうどん(本当に蕎麦屋に注文して出前を取ってる)が、ほんとにあるのかないのか?部屋の壁、客席にむかった「第四の壁」はほんとうにあるのか、天井はほんとうにあるのか? 天井には「しおうめ」がいっぱいぶらさがっていて、その中からは「塩梅=梅干」が転がり出てくる。 どこまでが夢でどこまでがリアルかということを、もういいよというくらい、何度も何度もくり返しているうちに、いつの間にか、見ている僕たちも、この芝居の世界づくりに荷担してることに気がつく。 最後の場面、エンドクレジットが映写される中、ものすごい勢いで全ての装置が取っ払われていく。これでおしまいかと思ったら、最後に二人が登場して、襖の向こうに。その襖が倒れると、そこにはもう誰もいない。 見事なラストだった。これで、カーテン・コールもなしに終わるのもありなんだろうけど、きっちり二人が出てきて、挨拶。その加減も、ちょうどよかったね。 シアター・グリーンの閉館記念公演には、とってもふさわしい。劇場の夢がいっぱいの不思議な芝居になってた。あの原作が、こんな「劇場愛」の物語になってるなんて、思いもしなかった。 シアターグリーンは、僕が17歳のクリスマスに初舞台を踏んだ劇場だ。高校時代の友達と一緒に立ったその舞台は、ほんとにヒドい芝居で、次々降板していく仲間の後、僕は意地になって舞台に立ったんだった。で、初日のカーテンコールで出演もしていた作演出家が「稽古不足でごめんなさい」とお客さんに謝った。僕は、打ち上げにも顔を出さずに、彼らとはそれっきり絶交。今、思うと、もっといいやり方あったんじゃないの?という気がしないでもないけど、当時の僕にはそれがせいいっぱいだった。 そんなわけで、この劇場は、僕にとって、とっても「負」なイメージを持ってる小屋だ。 その前も後も、いろんな芝居をここで見たけど、いつも思うのは、この劇場がなんとも言えない、怪しさを持ってるということ。 芝居を見始めたばかりの高校生だった僕には、芝居=悪くて怖くて後ろめたいモノの代表みたいな小屋だったのは間違いない。 今日のこの芝居は、他の劇場でやっても、きっと十分成り立つんだろうけど、このシアターグリーンという小屋でやってこその怪しさが上乗せされてたと思う。その「おまけ」を堪能したのは、きっと僕だけじゃないとも思う。 ラスト間近に、ほんとうの真っ暗闇の中でセリフだけが聞こえてくる場面がある。その中で「手は握られてる時だけ、手だってわかるんだ」というセリフがとってもしみた。本当の闇が出来る劇場は、実はそんなにない。味のある「真っ暗闇」が実にいい芝居だった。 とっても満足して帰る。 でも、すぐに帰ってしまうのはもったいない気がして、池袋の街をふらふら歩く。歩いてるうちに、区役所の方まで行ってしまい、豊島区民センターの前の公演でひと息つく。 初めて池袋演劇祭に参加したとき、CM予告編大会の練習をここでしたなあと思い出す。 今日も帰りは、西新井までバス。いい芝居を見た後のゆったりしたいい気持ち、知らない人にもやさしくなれてしまうような、そんなかんじ。
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