せきねしんいちの観劇&稽古日記
Diary INDEX|past|will
2004年04月19日(月) |
「どこかの国の人質問題」 |
夜、タックスノットへ。 青山さんとおしゃべり。 若い男子、浅井くんとエイジングの話なんかといろいろと。若い子について大いに見直し、安心する。 コミュニティの話もいろいろと。マサキさんが昔言われたという、「映画館か二丁目かどっちかにしたほうがいいよ」という言葉が、深かった。
夜、親戚から不幸の連絡が届く。 子供の頃からお世話になった伯母、正確には「母の姉の義理の姉にあたる人」が倒れたとの連絡。 夕方から、母は病院に出掛けていた。 夜中に亡くなったと電話があった。 母親としみじみと話す。 くも膜下出血で踏切の前で倒れてそれっきりだったそう。 寝たきりにならなくてよかったね、いい亡くなり方だったんじゃないのかねと、母と話す、夜中。
朝日の夕刊の高橋源一郎のコラム「どこかの国の人質問題」が、おもしろかった。おもしろかったというより、作家としての、見事な表現になっていて、感動した。 このところの、人質の三人に対するバッシングは、とっても納得がいかない。イラクにいたときより、日本に帰ってからの方がつらそうっていうのは、どういうことよ? 「日本人は、三人を誇りに思うべきだ」ってアメリカのパウエル国務長官に言われるってどういうことだろう。一番わかってないのは、日本人だ。 プライベートの侵害だとして週刊新潮の中吊り広告が札幌の地下鉄で黒く塗りつぶされた。中吊りの広告の惹句は、いつもなんて品性がないんだろうと思うのだけれど、そんなニュースを聞くにつけ、日本人ってこんなにいやな人たちだったのかと腹が立ってくる。 そんな風潮をあおっているメディアにも腹が立つ。もっとも、今の腹立たしさも、メディアからの情報の上に成り立っているのかと思うと、どっちもどっちなのかとも思う。 国民感情のようなものをでっちあげてあおって、どこかに持っていってしまうというのは、こういうことなのか。これまで想像するだけだった、ナチス政権下のドイツの情報操作というのは、こういうことだったんだろうかと、地続きになった恐ろしさをかんじる。 僕は、ゲイの劇団というものを僕らはやってるわけなんだけれど、そのことに対するいわれのない非難や中傷を昔は受けた。レズビアンゲイパレードについてもそう。その時、負けるもんかと向かっていた相手は、ごく一部のわからずやだと思ってたんだけど、日本には、ほんとにたくさんのわからずやがいたんだね。一気に、戦わなきゃいけない相手が増えたような気がした。 「非戦を選ぶ演劇人の会」では、自衛隊のイラク派兵に反対して、小泉政権にノーと言っている。でも、この頃思うことは、ノーと言わなきゃいけないほんとに相手は、小泉政権にイエスと言っている、政治家じゃないたくさんの人たちなんじゃないかってこと。 ピースリーディングの会場に集まってくれる人や、集会に参加してる人じゃなくって、そこにいない、たくさんの人。人質の三人に、事故責任を迫り、謝罪を要求する人たち。イラク派兵に7割の人が賛成し、アメリカのイラク攻撃に7割が反対しているという、わけのわからない日本人というもの。 僕は、日本人のそんなわけのわからなさが悪いもんじゃないと思ってたんだった。でも、今はもう違う。そうはっきり思える。それは、よくないって。もっとちゃんと考えなきゃいけないっって。 そして、僕にできることはなんだろうと考える。 演劇人としてできることは何だろうと。 ゲイとしてわからずやに異議申し立てをすることは、これまでずいぶんやってきた。 でも、今度はちょっと違う。 みんながみんなわからずやじゃないってこともわかってる。そうじゃない人もたくさんいるってことはわかってる。 そうじゃない人をどれだけ信じられるか。見えてこないものをどれだけ信じられるかなんだろうな。もしくは、想像力。人を思いやる心。
|