偽善でも、流す涙は届くのだろうか。 奇麗事でも、痛む心は届くのだろうか。
世界中の食べ物は、等しく分ければ全人口に渡ると何処かで読んだ気がする。
何故、そうならないのか。 何故、そうできないのか。
有り余るほどの『飽食』日本に生まれて 穏やかに過ぎていく日々に、それでも不満や苛立ちを覚えて 鬱屈とする自分が『今』『此処』にいる。
恵まれている? 恵まれているんだろう。 単純に『比較』してしまえば。
今、この環境にいるのは言葉では言い表せないそれこそ『運』みたいなものだろう。
もしかしたら、別の国で生まれていたかもしれないし もしかしたら、『ひと』でさえなかったかもしれない。
そんな、今更どうしようもない『もしかしたら』を考えてどうするの?
感謝する? 普段はそんな感情、一瞬でも覚えないくせに?
『あの子たちより、自分は恵まれた環境にいるんだから、感謝しないと』
なんて そんなことを彼らに面と向かって言えますか?
どうしたらいいのか分からない。 どうにも出来ないんだろうけれど。
微温湯の環境で ただ、穏やかに過ぎていく日々を 『幸福』だとは思わずにいる自分は
どうしようもないほど愚かだ。
***
伝えられる言葉も持っていない。 ひとは無力だ。
『テレビの中だけのこと』
そうだったらいいのに。
突きつけられる『映像』から目を逸らしたい。 でも、知らないままでいるのは嫌だ。
吐き気がするほど甘ちゃんな そんな自分を知るために。
***
奇麗な水を飲むことが出来て 好きなものを食べることが出来て 暖かい部屋があって 愛しい家族がいて 大切な友人がいて 穏やかに過ぎる毎日
自分にとっての『当たり前な世界』が『当たり前じゃない世界』なんて、想像できる?
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