2004年06月21日(月) |
台風予報を見ながら、 |
TVのニュースで台風の情報が映っているが今、宮崎が強いらしい、近畿に来るのはお昼ぐらいやそうな、何とも云えん外は蒸す空気でもう冷房かけんとやってられん、先日から養老孟司さんの「死の壁」を読んでる。養老さんは幼少の時のお父さまの死によっての影響で医学部の解剖学に入られたようで、人はその人の環境、強い出来事で人生の選択、生き方が出来るように思う。本の中の’去年の「私」は別人’というところで「人間の身体の70%は水です。その99・9%は去年と今では入れ替わっています。クエン酸回路で説明した通り、水ではない部分でも、相当入れ替わっている。これが自動車ならば部品を九割も取り替えていたら別の車だと云ってもいいかもしれません。しかし、サイクルがきちんと回っているときにはある種の安定性がありますから、一見したところ去年も今も変わっていないのです。老化というのはこのサイクルだ上手く回らなくなってきたときに起きる現象です。少なくとも生きている生物はこのサイクルを繰り返していることになりす。」と、それから「自動車にたとえれば、人間は走っぱなしみたいな状態でいるわけです。しかもただ走りっぱなしなのでなく、常に部品を交換しながら走りつづける。」と、ほんまに自然の生き物というもんはえらいもんと云おうかすごいもんやなぁ思う。それから’人生の最終解答’というところに「だだし、人生でただ一つ確実なことがあります。人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。これだけは間違いない。ところが、そのへんを勘違いしている人が非常に多い。現代人は皆、人は必ず死ぬということをわかっていると思い込んでいるけれども、どこまで本気で考えた末にわかっていると感じているのかは、はなはだ怪しいように思えます。」とある。身内、又は知り合い、のお葬式に行ってもあんまり自分の死のときのことは考えんもんなぁ・・・。(いやいや、この頃考えてるわたしのお葬式は宇宙葬にしょうと生きてるときは宇宙旅行出来へんさかい死んでから宇宙旅行?しよう♪!と)「自然の生きもんというのは「死する」ということはもう回復不能なんである。ということ、日々というのももう過ぎた日、時は回復不能である。」と、・・・。ほんまに、ついこんな大事なことを忘れて雑に過ごしてしまう。同じ取り替えのサイクルするんやと今をいきいきと生きて行くちからを持つ取り替えサイクルにしたいもんや思う・・・。しかし、今、感銘して肝に命じ感じる・・・。思うてても、しばらくして日が経っら・・・、また忘れてるん違うかいなぁ〜。(取り替えサイクルで・・・。)
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