|
2002年08月21日(水)
そんなこと言うたってあかんもんはあかんやん?
方言は、お好きですか?
私は三重出身で、伊勢弁というものを喋ります。大阪弁に近いけれどそれよりもうちょっと田舎っぽい言葉です。例えば標準語で、 「だって私はちゃんと言ったのよ。それなのにやってくれなかったのよ」 というのは(この例文自体標準語として変かもしれませんが)、伊勢弁では 「だって私はちゃんと言うたんやに。それやのにやってくれやんだんやで」 となります。
私は東京に来てから東京の友人とは完璧に標準語で話せるようになりました。でも地元に帰ると意識してまで伊勢弁で話します。東京に染まったと思われるのは屈辱です。私は三重を愛しています。方言というのは私にとって一種のアイデンティティーなのです。
でも大阪出身の人は私なんかとは比べ物にならないくらいの執着心と愛着心を大阪弁に対して持っているような気がします。東京に住むことになっても大阪出身の人は堂々と大阪弁を喋ります。標準語なんか喋ってたまるかくらいの勢いです。また大阪人は、テレビで大阪出身のお笑い芸人などを見て、半端な大阪弁を使う東京人や、間違った大阪弁を使う東京人を激しく憎みます。その大阪人の執念には圧倒されます。
私はそこまでの気力も体力もなく(標準語相手に方言を喋り通すのはものすごく難しい)、また大阪弁ほどメジャーでない言葉だという理由もあり、標準語を話してしまいます。
逆に方言を必死で隠そうとするのは東北出身の人や九州出身の人です。テレビなどでその地方のご老人などが出てくると字幕が出てしまったりする地方の人はほぼ例外なく標準語を話そうと努めます。普通に通じないだろうし、地方コンプレックスもあるのかもしれません。 私はそういう地方の人たちが、普段は標準語で話してるのに親や地元の友人たちと電話で話す時に思いっきり訛ってしまっているのを聞いた時、すごい可愛いなーと思います。いや別に馬鹿にしているわけではなく本気で。方言って可愛い。そして隠そうとするところがまた可愛い。 そういう恥じらいを持っているという点で大阪出身の人よりも東北や九州出身の人の方が好きです。
でももしかしたら、大阪弁を押し通せる大阪人が羨ましいのだけなのかもしれません。東京人相手に方言を押し通せるほどの意志も執着もなく、かといって地方に帰ってまでも標準語で話せるほどの度胸も無い私は、大阪人の「押しの強さ」みたいなものに一種の羨望と嫉妬を感じているのかもしれません。
|