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2002年03月09日(土) 氷山

つい最近こんな事を言われた。
「ちゃんと計算している。 私にはできない。」
計算している??? 別に計算しているつもりはないんだけどね。 常に冷静さを保つように心がけていなければいけないと思うけど、そうでいられない時もある。 人間なんでね、機械ではないので。 

昔読んだクラウゼビィッツ(戦略家)(誰だったか忘れた、どっかの戦略家)の言葉に

「切り札は先に見せるな。 見せるならさらに奥の手を持て。」

というのがあるけど、それが常にそうが良い手だとは思えない。 確かに俺は先に自分の手を見せない。 いきなり突っ走る事はしていないつもりだ。 自分の能力は出すところで出せば良いと思っているし、態々自分から進んで宣言したり見せるものではないと思う。 大体その人の能力なんか時間が経てば解る。 剣は鞘に収めなければ錆びるという事だ。 

以前、「表に出ているのは氷山の一角だ。 それだけで全てを計る事なんてできない。」と書いた。 しかし、物事はその氷山の一角で判断される場合が多いし、その一角で判断しなければいけない場合が多い。 いや殆どの場合そうだろう。 

 多くの人はある一部分だけを見て、自分が知っている誰かや物事と照らし合わせて考える。 例えば優しくてスポーツ万能な友達がいたとしよう。 ある時、優しい人に会たとする。 そうすると人間の頭は勝手に過去の記憶を引っ張り出し、優しい人=スポーツ万能と決めつけてしまう。 この法則を知っているとその人が今までどんな人に囲まれてきたかが解り、その人が生きてきた環境、つまりその人が解るという事だ。 人間は無限ではない。 だから知覚できる範囲がある。 それがその人の世界、つまりその人自身だ。 

 今まで俺を分析してきた人達を俺も分析しているが殆どの場合、それに気がついていない。 むしろ俺に勝手に自己紹介をしているようなものだ。 だから、その人の事は解らないが、その人が次にする行動はなんとなく解る。 でも誰かがそう言うからそうなんだろうと思う人はもっと多い。 

 「ちゃんと計算している」この言葉に表されているのは、計算できる人に過去に囲まれて生きてきたという事にある。 もしそうでなかったら理解すらできないはずだからだ。 

 しかし理屈で動かない事も多々ある。 最善の手に拘って理屈で考えすぎる。それが前提から間違っている場合もある。 正解への道が険しく危ないほど、バカと利口両方兼ね備えなければ前に進めないときがある。 

「理によって無理に進む。」って奴さ。

冒頭の「ちゃんと計算している。」 俺が本当に計算しているんだったら、多分それすらも理解されないはずだ。 もしそう思うんだったらそうかもしれない。でも、俺はそんなところまで計算なんかしないし、先の事を考える事はあの状態では出来ない。 ただ理によって無理に進んだだけだ。 

 

 




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天風

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