京のいけず日記

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2004年01月21日(水) 合掌

描きかけ…。栗さん版、歳三さんになる予定

描きかけ栗塚さん

水曜日は受講生さんの就職活動で講習がお休み。
平日の休みは久々で、この日の為に昨年からお楽しみを用意していた。
(このお話は後日に…)

そんなこんなで昨日ウカレながら帰宅すると姉から電話が入った。

実家の母に何かあったのかと、すぐさま不安がよぎる。

「…え?」

母の幼なじみが、今朝、亡くなったという。

元気な頃は、毎年、一緒に菊人形を見にいったり、旅行へ行ったりもしていた。一つ年下だが、がっしりとした体で、明るく快活、よもや、母より先には逝くまいと思っていた。

14年前、長女が生まれた時も、なりたての半人前の母親と、おおよそ親らしいことはせずに、がむしゃらに働いてきた母の代わりに、毎日のように顔を出しては、産湯に入れたり世話をやいてくれた人だ。
  (優しくて、しっかり者の姉に、育ててもらったような私)

母もショックだろう。
いや、そういうことさえ今は認識できるだろうか。
そう思った矢先、姉が言った。

今朝な。
訃報が入る前に、何やら大きな声でブツブツ言いださはって。
子どもの頃を思い出しているのか、いろんな人の名前を呼んではるんやけど、おばちゃんの名前も呼んだんやって。


きっと、逝かはる前に心配で見にきてくれはったんやなあ。


祖父母や、義父、身近な人々。
20代の若さで亡くなった私の友だち。
子どもにいつも笑いかけてくれてた近所のおばあさん。
病気や、突然訪れた死、老衰の末の大往生…。

骨壺の中でカタカタいったあまりにも軽い生。
目に浮かぶ人が今はもういない。
昨日という時間はもう戻らない。
人は確実に死ぬ。


精一杯生きたい。自分のために。人のために。
そして、亡くなったみんなのように、最期まで立派に死んでいきたい。

突然、どんなことが起こるか分からないけれど

死ぬとはどういうことか。
いつか子ども達に伝えたい。私もその姿で。

親不孝するなよ。


Sako