京のいけず日記
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2005年03月29日(火) |
箱館行1 函館駅前から五稜郭まで歩く |
←五稜郭の売店で買った歳三のフィギュア
もうすぐ4月だというのに、空港の空は吹雪き、雪が積もっていました。
最初の宿泊地、登別まではJRで。 山野は白一色の世界。 聞けば先週ドカ雪が降ったらしい。
北海道へ来て思ったこと。 道が広くて、土地がだだっ広い。密度が薄い…。乾いている。
ただでさえ盆地でせせこましい京都市内から来てるからかなぁ。 自然という懐に人の住む空間が間借りしているという感じ。 何だか圧倒されそうで、人恋しい…。淋しさを感じた。
翌日。登別から函館へ向かう列車の中。 また吹雪き。白く輝く山の稜線。黒くうねる海。 寒々とした海岸線を車窓に見ながら、ぼんやりと考える。 凍てつく大地を見て何を思っただろう…。
30分遅れで函館駅到着。 あいにくの天気はそのままに、時おり強い風が吹き、空一面、雪。 吹雪く。
駅前のロッカーに荷物を預け、2日間フリータイムの電車乗車証を購入。 まずは駅前近くにある、土方歳三最期之地碑へ。 碑は福祉会館前の小さな公園の中にある。 観光シーズンはずれなのか。こんなお天気のせいか。人影も少ない。
しばらく参っていると、白杖を持った男性が雪の中建物へ入っていった。 観光客だけじゃない、ふだんは、きっと色んな人が前を通るんだろうな。 良かったね。ここなら淋しくないね。
最期の地とされている一本木関門は若松町あたりにあったらしい。 一本木関門から五稜郭までは、当時は人家などあまりなかったんだろうな。
土方の碑から次の目的地、中島三郎助父子最期の地碑を探す。 道に迷うわ。吹雪が激しくなるわで、途中、コンビニにて傘と地図を入手。 足が痛い。碑よりも、先に中島町の標識を見つけて感激。
22歳と、19歳の息子と共に、陣屋に立て篭もり、壮絶な死を遂げた三郎助。 中島登の絵姿にもあったよね。歳三とはどんな会話を交わしただろう。
千代ヶ岡陣屋付近から五稜郭へ。 歩いて回る気はさらさらなかったが、電車の駅や、バスの路線が分からず、結局、歩いてしまった。あほやねぇ。
おおっ。ひさかたぶりの五稜郭タワー! 入り口付近に「展望台へ上がって、歳さんと写真を撮ろう」などと、 きれいなお姉さんと一緒に写っているポスターが貼ってあった。 (※ 昨年、建立された立像は五稜郭タワーの向かい側にあります)
ふふん。撮らん…ぞ。
売店にある歳三グッズに目を異様に輝かせながら、展望台へ。 星型の五稜郭を真下に見て、せまい展望台内を一周。 売店で足が止まる。修正版の歳三さんがいっぱいで、こそばがゆい。
買うもんか…と思いつつ、口と手は勝手に動く。 近藤さんと組のクリアファイルと、冒頭のフィギュアをめでたくGet。
銅像(坐像)のある場所では、皆がにぎやかに記念撮影していた。 しょぼな展望台、銅像、何となく通天閣のビリケン様を思い出す。 いや、京都タワーの展望台も相当にしょぼいけど…。
ふん…。わたしゃ、ミーハーとはちゃうぞ。 たかが銅像。あほらし。記念撮影なんかしいひんのッ…のはずだった。
が。さぁ。降りようかという時に。 「おーい。歳さんと写真を撮ろうや」大きな声に振り向くと、 新選組オタクとも思えない、5、6人のおっちゃん達グループが、屈託なく笑いながら、その銅像を取り囲んで写真を撮っていた。
何や楽しそうやなぁ。
今度は、照れずに、まじまじと、その銅像の顔を見た。 写真のイメージにはほど遠い気もするけれど、何て穏やかに笑ってんやろ。 おっさん顔の歳三さん。嬉しそうやなぁ。
そう思ったら、ダンナの手を取って、子ども達にカメラを渡していた。 ダンナを呼んだのは照れ隠しかって? ううん、そうじゃない。 三人で一緒に撮ろう。何だかとっても嬉しかったから。
そのあとは足のむくまま五稜郭内を散策。そして博物館にどっぷりこん。 とっても幸せな一日でした。
雪が吹雪く中、地図を片手に、市中を歩くはめになったけれど。 おかげで、一本木関あたりから千代ヶ岡、そして五稜郭…。 ぼやけていたイメージが、確かな距離感を持って、道がつながった。 あいにくのお天気にさえ感謝したい。
この道を、馬に乗り、徒歩で、何度往復したんだろう。
何を考えていたのかな。怖い顔だったかな。 荒涼とした面持ちだったかな。…笑ったことはあったかなぁ。
うふふっ。
Sako
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