Leaflets of the Rikyu Rat
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| 2006年05月10日(水) |
マイノリティを考える�� memo |
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第三回講義
「同性愛と異性愛�機�
今回は
1.生物学的性別(sex) 2.社会的・文化的性(gender) 3.性自認(gender identity) 4.性的指向(sexual orientation) 5.セクシュアリティ(sexuality)…性的欲望や行為のあり方
などについての基本的な事項や様々な用語の語源を聞いた(同性愛関係の基本用語集レジュメ配布)後、 これまで同性同士の性関係はどのように捉えられていたか、と言うようなことを大まかに学んだ。
古代ギリシアでは、 1.年長者と少年が同性愛関係を結んだ。 これは少年が成人になるために必要なプロセスとされていた。 2.同性愛と異性愛が両立可能であった。 3.「男らしさ」と結びつくことが良いとされていた。 4.同性愛の方が異性愛よりも上位に捉えられていた。 5.これにより、同性愛には公的正当性が保証されていた。
日本でも昔から同性同士の性関係は記録に残っている。 男色(なんしょく)、衆道(しゅどう)など。 茶道・柔道など、「道」が付くということは、文化的にある程度レベルが高いものであるということである。 僧侶は妻帯禁止であったため童(わらべ)や稚児(ちご)を女性に見立て性的な関係を結んだりした。 また武士における「義兄弟の契り」は実際に性的な交渉を擁すことが多く、そしてそれが「武士道の華」とされた。 契りによって強化された「忠」は、いわば「恋」のようなものである。
18世紀半ば頃より徳川幕府は安定期に入り戦が無くなり武士道は変容した。 戦闘の時代の絆は弱まり、武士は官僚化・サラリーマン化して行き、 強さや武勇などより秩序が求められるようになる。
1920年代〜 精神医学が欧米より輸入され、そこでは同性愛は「変態性欲」と看做された。 そうして性科学によって、「同性愛者」というカテゴリーが生じた。 また精神医学が同性愛を「変態性欲」と看做した背景には、 西洋キリスト教社会において、性的快楽は罪・悪であると言う理念がある。 罪ということはすなわち犯罪である。 その後ナチス・ドイツでは民族浄化としてユダヤ人と並んで、ロマ(ジプシー)、障害者、同性愛者(凡そ50万人)が虐殺された。 ユダヤ人には☆のマークが付けられたが、同性愛者には▼のマークが付けられ差別の対象となったのである。
近代社会は性別ニ元制社会である。 それにより、 ・男と女→結婚+子供→社会の再生産・維持 ・同性愛 前者は正しいセクシュアリティ、後者は誤った、危険なセクシュアリティであると言う捉え方がされるようになってしまった。
全体的に史実・事実を淡々と説明的に述べている印象がある。 もっと、例えばひとつひとつの史実や事実に対しての教官自身の考えを投影させれば面白くなるのでは無いかと感じる。 「マイノリティを考える」と言う題名の講義ではあるが、 いまのままでは「考える」ことが希薄である感が否めない。 過去の事実、現在があり、それではこれから私たちは何をどうして行くべきなのか? 材料を与えられた上で個人個人が考えるのは勿論大切であると思うが、 事実を発展させた後の、「ひとつの答え」を提示して戴きたいと思うのは我侭だろうか。 (三回目の講義で答えを欲するのはあまりに気が早いのかもしれない。)次回は休講とのこと。
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