原題は「Looking for an echo」。地味ながらにいい作品だとの評判だったので観て見ました。元々音楽ものの映画(「ブラス!」とか「シャイン」とか「レッド・バイオリン」とかね)は大好きなので、ちょっと期待してみました♪
50歳をすぎ、奥さんには先立たれ、バーテンダーをしながら二人の子供の面倒を見るヴィニー(ヴィンス)は元・流行歌手。ドゥーワップのグループで一世を風靡し、彼のあの頃の栄光を知らないものなどいないほどだ。しかし、流行がすぎ、グループを解散してからは地味な人生を送っていた。結婚式のバンドでも、元同じグループに居た幼馴染は歌うけれども、ヴィニーは頑として歌うことを拒否していた。 しかし、ヴィニーの下の子供で白血病を患い入院している娘を担当している看護婦ジョアンとデートを始めてから、徐々にヴィニーは変わり始める。 元ファンだったジョアンは「どうして歌わないの?」とヴィンスに問いかける。そんな時、ヴィニーの誕生日を機に、元のメンバーたちが全員集まることに。なつかしい話を語りあい、いつしか自然と歌いはじめているヴィニー。そんな姿に、ヴィニーの次男も、父と同じ道を歩みたいと思い始め・・・。
いまは地味な生活であっても子供を愛し、家庭を大事にするヴィンスは、いいお父さんです。そして、そんなヴィンスの子供たちも非常にいい子達です。妹は白血病ながらも明るくひたむきに、周りに心配をかけまいと笑顔を絶やさないし、長男も次男も、そんな妹を大事にしています。 そしてジョアンも、サバサバとしながらも芯の強いステキな女性です。 世の中には、音楽に限らないけれど、「それをするべくして生まれてきた人」という種類の人間が存在すると思うのです。たとえば、ホイットニー・ヒューストンなんかみてても「あぁ、この人は歌うべくして生まれてきたんだな・・・」と思うほど、あの人の歌って気持ちがよさそうで、しかも迫力がある。大竹しのぶなんか、「女優じゃなかったらどうしていたんだろうか?」と思うほど、演じているときの化けっぷりはすごいと思うし、三谷幸喜なんかも、「物書きになってなかったら人生どうなってたんだろう?」と心配になるほど、ユニークな発想を持っている。
走らないカール・ルイスや、泳がないイアン・ソープが考えられないように、みんなどこかに「たった一つの輝ける原石を持っている」のではないか・・・と思うのです。その輝ける光は決して他の人間に見えるものではないかもしれない。もしかしたら、その光は自分にしか見えないかもしれない。けれど、何かに対して「好きでたまらない」とか「これをしないんだったら自分は死んだも同然だ」と思える何かを、誰しも持ってるような気がするんですよね・・・。
で、この話のヴィニーはきっと「歌うこと」がその輝ける石なのでしょう。そして彼のラッキーは、その歌を最もステキなカタチにすることができる仲間に出会ったこと。そして、アンラッキーはその歌が「流行」になってしまったこと。 いい歌は、10年後に聴いても50年後に聴いてもいい歌なのに、それが流行と結びつくことになって「古い」といわれてしまうようになる。変だよね〜。そして、さらに悲しいのは、その「古い」といわれた言葉を、自分でも「そうだよな〜」と思ってしまったこと。 実際、最後にヴィニーはもう一度歌うことと向き合い始める。そして、とてもステキな歌を歌うことになるのですが、それはそれは楽しそうに歌うのです。
きっとワシにとっての輝ける石は「書くこと」なのだと思います。だから、きっと芽が出なくっても一生やめないことでしょう。「流行」になってしまうことと、どっちが悲しいのか分からないけれども(^^;)、手放してしまったらきっと二度とは手に入らないモノだと思うので、これだけは・・・えぇ。
ただまぁ、生まれ変わったら歌手になりたいとも思うんだけどね(笑) そういう「ひとつに絞りきれない器用貧乏な才能」っつーのがワシの不幸かとも思う今日この頃・・・。いっそのこともっと切実に「アタシにはこれしかない!!」と思えれば、死ぬ気でやるだろうにねぇ・・・(−−;)ふぅ。
ともあれ、夢に行き詰ったり諦めたことがある人も、そうでない人も是非みてみてくださいませ。爽やかな感動に包まれることでしょう。
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