つぶやける乙姫
辛口なのか、毒なのか・・・

2007年06月06日(水) 空を仰ぐ

実は今日、愛猫カクちゃんのハタチの誕生日でした。

ま、生きていればなんですけれども。


カクちゃん自身にしてみれば「ハタチ」とか「誕生日」とかいう概念はないのでしょうから、ハタチのお祝いをしたかったとかいうのも、人間のエゴでしかないんですけどね。



でも、亡くなった時には「せめてハタチまで・・・」と思ったりもしましたが、いまとなっては「ハタチまで」とかいうことでなく、「いまもそばに居てくれればよかったな」と思う方が強いです。


「亡くなったものをいつまでも悲しまない方がいい」という話を聞いたりしますが、そうだろうか?とも思うワシです。


そりゃ確かに、いつまでも悲しんでいて現実に向き合わないのはよくないとは思いますが、こうして折に触れ思い出して、ちょいと胸をしめつける想いを感じることは決して悪いことじゃないと思うのです。


逆に、そういうことが全く無い人生というのも、つまらないもんでしょうな。


だから、よく聞く「死んだ時がつらいからペットは飼わない」というセリフも、もったいないなぁと思うのです。


そりゃ、「死んだ時に辛くないペット」なら、飼わないほうがいいし、そういう人には飼われない方がペットの方も幸せだと思います。

でも、死んだ時につらいのなら、それはきっと、生きている間には、それ以上の喜びと愛が溢れていたのではないでしょうか?

ならきっと、ペットの方も幸せなんじゃないかなと思うのです。


カクちゃんが亡くなった時、「幸せだったのかなぁ」と何度も自問しました。でも最近になってやっと、「きっと幸せだったんだよね」と思えるようになってきました。
というのも、こうして書いている今もそうなのですが、ワシがまだカクちゃんのことを思い出すと泣けて仕方がないからです。あれやこれや思い出しては、やっぱり泣いてしまうのです。

「涙=想っている証」だとは思いませんが、思い起こせる「あれやこれや」に、カクちゃんと積み重ねてきた日々の重みを感じ、その重みの中にある想いに「確かなもの」を感じることができたのです。
それをカクちゃんも同じように感じていてくれたら、きっと幸せだったんじゃないかなぁ・・・と。


だから、もしもペットを飼うことを上記の理由で拒否している人がいたら、ぜひペットを飼ってみて欲しいと思います。
できればペットショップとかではなく、周囲で里親を募集しているところとか、ボランティア団体とか、保健所とかから引き取ってくれると嬉しいなぁ。
ワシ自身、犬も猫もお金で買ったことがないので(どれも引き取り手を捜してたとか、うちの庭に捨てられていたとか、保健所送り直前の子を引き取ったとか、そんなんばっかりなもんで)血統がなんだとかまったく気にしたことがないし、正直愛情をかけるのにそんなもん全く関係がないと思うので。

逆に、そこをポイントにして飼う人には飼わないで欲しいと思うんですけどね・・・(−−;)
そういう人がいるから、無駄にブリードされてかわいそうなことになる犬猫さんが増えるわけですから・・・。

ペットショップも、ばんばんブリードさせるよりも先に、売れ残る子を出さないシステムを確立することの方が先なんじゃないかと思うんですが、どうにかなんないんでしょうかね。



「今日はカクお姉ちゃんのハタチの誕生日なんだよ」
と言ったら、茶々丸は

「んな」

と鳴いて目を細めました。
未だに「カクちゃん」という言葉は忘れていないようです。
茶々丸もカクちゃんがいなくなった直後は、なんか様子が変で、精神的にも不安定だったのですが、最近そういう意味では落ち着いてきたのかも。
まぁ、別要因(ジュニア)があるにはあるんですけどね(^^;)。


ジュニアの里親も探さないといけないし(←どうしても茶々丸が認めないみたいなもんで・・・。家族的にはかなり「ジュニアたんラブ♪」なんですけど、やはり古参者は大事にしなくちゃいけませんからねぇ)、いろいろとやることはあるんですけれども、とりあえず今日はカクちゃんとの想い出に胸をはせていたワシでありんす。


はぁ、いい天気でよかった・・・♪





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