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2001年12月15日(土) ■ |
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愛とはなんぞや |
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昔から、飲み会の席やふとした会話中に いきなり「愛って何?」と聞く人がたまーにいる。
30歳になる、既婚者のHがある昼休み、部下とおにぎりを食べながら それを口にしたとき、皆は顔を見合わせて 「出たよ。Hのロマンチストが」と思ったように思う。
Hはイタリアの男のように、こじゃれたスーツを着こなし 当時社長の息子だったので、持っていないものは無いように見えた。 実際、社長の息子に特有のえらそばったとこも無く、仕事ができるし人望もあったから(でも決してなめられていない)人生のめぐまれた絶頂期だったと思う。
こんな言い方すると失礼だけど、その後その会社は倒産したからね。
でもきっと今もばりばり働いているだろう。 あの人は、『社長の息子』なんてレッテル必要ないほど、素敵な人だった。 ・・ちょっと感傷的になってしまったけれど。
話を戻し、その質問を場にいた男女若いの4人くらいにしたの。
笑って済ませないほどHが真剣に聞いてきたので 私達はそれぞれ面接官に答えるように、考えながら自分はこう思うって 話さなければいけない羽目に。 21歳の私は、遊ぶ男の子はいたかもしれないけど 愛なんてドラマや小説の受け売りでしか考える事が出来なかった。
その人の全てを許せること 例えばその人の人生を面倒見れること 極端な話、下の世話までできるかどうか その人と共に過ごす明日を考えると元気が出るかどうか
こんな話が出たかな。
私は、相手をゆったりと安心させてあげられることだと思った。 やきもち妬かせあいや、不安にさせてその状態を楽しむカップルもいるけど、 そんなの本当の愛にたどり着くまでの 幼稚なプロセスだと思ってた。
もう数年前のことなのに、私はいつでもこの時のことがはっきり思い出せるんだ。 Hは皆の話すことをふんふんと聞くだけで自分は何も言わなかった。 多分彼自身何も分からなかったのだと思う。
彼は27歳のとき32歳の女性と結婚した。 何故結婚したかの問いに、「今結婚しなければ多分一生独身だ」と 思ったらしい。 女の人は嫌というくらい近寄ってきて、選り取りみどりの毎日に 愛が何かなんて考える暇も無かったのだろう。 とりあえず結婚して、ゆっくり考えたかったのだろうか。
私も一生考えても分からないかもしれない。 それどころか愛にめぐり会わないまま死ぬ運命かもしれない。 まだ愛が何かなんてわからない。 でもみんなわからないのかもしれない。
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