ハヤブサキロク
2005年02月26日(土) |
普通に、なりたかった。でも、今、幸せ。+追記。 |
NHKつけたら、夜回り先生の番組やってた。 やっぱすごいよ、あの人。 ああいう先生に、中学のとき・・・いや、小学生ぐらいに出会ってたら、私の人生は変わっていたかもしれない。 今、もう少しマシな性格になってたかもしれない。 「いじめは、いじめられる生徒が悪い。」 どの先生もそんな感じだった。 でも、あのときの私には、先生しかすがる存在はなくて、必死ですがってた。 でも、助けてはくれなかった。 先生の介入で、むしろいじめはひどくなった。
当時の私を救ったのは「赤川次郎の小説」と「嘉門達夫のCD」と「時間がないこと」だった。 「赤川次郎の小説」は最初は父親に借りてたけど、父親が持ってるの読み終わったら、古本屋で買った。 でも、お金が足りなくなって困ってたら、親戚の伯母さんがダンボール一杯くれた。 小学校高学年時代は、休み時間、ずっと読書してた。 あの時は、刑事にあこがれてた。 そんな私は今、わりと正義感が強くて、読書が好きな18歳になりました。 「嘉門達夫のCD」は、レンタルだった。 いっぱいMDにコピーして聴いてた。 当時の私には、下ネタがよくわからなかった。 でも、わかるところはおもしろくて、ずっと聞きまくってた。 カモタツは今でも、新しいアルバムが出たら必ず借りてしまうし、なにより下ネタ耐性がついた。 エロ系セクハラ発言されても、割と大丈夫・・・ってか自分がエロいだけか? 「時間がないこと」は、習い事をしてたうえに、スポ少に入ってたから。 そろばんは週3回以上あったし、スイミングと英会話と習字が週1回あって、毎週末スポ少があった。 どこでも私は、劣等生だった。 そろばんは同じ学年や私が始めた学年よりも後でそろばん習い始めた年下よりも、級が下だった。 スイミングは、同じクラスで泳いでるのは年下ばっかりだった。 一通り泳ぎはマスターしたけど、やめるまでずっと泳ぐのが一番遅いクラスだった。 英会話は、年下の子と同じクラスだった。 習字は好きだったけど、自分と同じ学年の人は、みんな自分よりも上の段だった。 スポ少は、全国大会レベルの強いチームで、すごくスパルタだった。 運動はできないから、ずっと補欠だった。 私はチーム内で一番足が遅いし、他の子と同じ練習してるのに、全然うまくならなかった。 平日、ほぼ毎日練習したけど、週末しか練習しない子がレギュラーに入ってたのが、くやしかった。 試合にレギュラーで出れたのは、2軍チームで、年下の子たちに混ざってだった。 自分は劣等感を持つことで、なんとかやっていけたのかもしれない。 忙しすぎて、学校以外で泣いてる暇は、なかった。 でも、そろばんをやったから、普通レベルの計算能力を手に入った。 私は小1のとき、足し算カードを1回やるのに1時間かかった。 スイミングをやってたからこそ今の私はバタフライまで泳げる。 英会話をやってたからこそ、中学のときは勉強しなくてもなんとか英語ができた。 習字をやってたからこそ、自分は人が読める字を書ける。 スポ少のおかげで、人並みの体力を身につけて、と努力することを知った。 長距離を走るといつもビリだった私は、スポ少に入ってから体力がついて、ビリではなくなった。 でも、小学生の私は、ずっと死にたいと思ってた。 でも、死ぬのは恐かった。 小学生の私は、人を殺して良いと思ってた。 でも、ウサギ小屋のウサギを見て、 「このウサギを殺したくない、かわいそう。だから人を殺すのは殺された人がかわいそう。」 って思って、やめた。
中学に入ってから、驚いた。 自分の中に自分がいない。 自分って、どういう性格なんだっけ? これって、自分の身体なんだっけ? よくわからなかった。 女の子と、うまくやっていけなかった。 でも、塾が楽しかった。 学校の先生は3年のときの担任以外、私を見捨ててた。 授業サボってたし、提出物を出さないから、私は成績がとても悪かった。 テストは割りとできても、授業で発表とかしないから、成績が悪かった。 嫌になったので、私は勉強をやめた。 だけど、塾の先生は、そんな私を見捨てたりはしなかった。 塾の先生との相性はバツグンで、私はものすごく勉強ができるようになった。 テストと成績が全然つりあわない。 テストは優等生並みだけど、成績は並以下。 でも、3年のときの担任は、私を今の高校に推薦してくれた。 そのおかげで、私は、ほとんど手の届かないような高校に、受かった。 高校生になってからは、今までかいつまんで書いてたので、省略。
だけど、今の私はこうして、病んでしまったわけで。 腕切りながら、人をものすごく傷つけながら生きてる。 そんな自分がすごく嫌だ。 というか、悔しい。 こんな風にしか生きられない自分が。 もっと、楽しい生き方があったはずなのに。 普通になりたかった。 もっと、普通に笑って、怒って、泣いて、悩んだりしたかった。 高校に入って、気付いた。 周りの同年代の人で、死にたいとか思いながら生きたり、親の顔色伺いながら両親の仲取り繕いながら生きてる人は、自分の近くにはいなかった。 たまたま自分の仲良くなった人たちは、みんな割と「普通」な生き方をしてた。 それが悔しかった。 なんで自分は、こんなこと考えながら生きてるんだろう。 生きてることが馬鹿らしくなったときもあった。 そして家庭が「普通」な友達から、捨てられた。 悔しかった。 もっとマシな子供時代を過ごしていれば、と思った。
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02:58 追記。 なぜかいきなり、ものすごい不安感。 息が苦しい。 身体が震えてる。 右腕がやけに緊張している。 まるで、リストカットする直前の腕と同じ状態。 こわい。 でも、なんか、今回の不安は、理由があるかもしれない。 まずは、大学のこと。 実は、専攻選びまずったと、いまさら後悔してます。 ってか、こないだ部活いったとき、芸大受けた人、受かってるって言ってた。 美大・芸大は、2浪3浪が当たり前っていう先入観があって。 なのに、現役合格かよ、って思って・・・。 ショックだった。 この人も、自分の行きたい道に行けるのか、と思ったら、ショックだった。 だから、また、「おめでとう」が言えなかった。 「とりあえずコンピュータ使えれば就職はカタいだろう」って思って、あの専攻を選んだ自分が馬鹿だった。 もっと、やりたいことできる大学を選べばよかった。 私は何がしたいんだろう。 頭のなかぐちゃくちゃ。 他の部員は、思い思いの企業に就職、やりたいことができる専門に進学する。 私だけ、一人、取り残されている。 私・・・ホントは、何の勉強がしたいんだっけ。 わからない。 よくわからない。
もうひとつは彼氏。 いつだったか忘れたけど・・・ちゃんと診断名が付いた頃だったかな。 「境界性人格障害の人が子供を産んで育てると、その子供は人格障害になりやすい」という文献を私が読んだとき。 私は、彼氏に「私、人格障害だから、ちゃんと子育てができるかわからないよ・・・。」というメールを送った。 そしたら、彼氏が「境界性人格障害って、治るんでしょ?」って言ってきた。 この話題はハッキリしないまま終わった。 実はね、人格障害が治るのは困難です。 これ、彼氏に言ってません。嘘吐き。 なんか、よくわからないけど彼氏の考えてることが「安定した子孫繁栄を望んでいる」みたいな感じがして。 ねぇ。 しおの彼女、私なんかでいいの? 一生人格障害かもしれないんだよ? しかも、もし、仮に結婚することになったとして。 私の親に「娘さんを僕に下さい」って言おうにも。 母と父、別々のところに暮してて。 滑稽だと思いませんか。
苦しいよぉ。
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