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■ 競争じゃあるまいし
なぜ野次馬はあおって、寄付金の額をどうこう言い出すんでしょうね。 大きければ大きいほどいい? ばかばかしい。 雪かきの量でも争っているのかい? ゴミ捨ての量でも争っているのかい?
確かに、お金は大事だ。 それは否定しない。 常日頃、ボクだってそう言っている。お金がなければ話にならない。と。 立岩真也だってなんだかんだとお金は大事だと論文を〆ることが多い。
しかし。 お金だけがあっても駄目なのだ。 それはたんなる施しだ。 なんの感情もない、ただの資本主義に基づく「お金」だ。 短絡的に「お金」という結論に辟易する。
お金があることで確かに助かるのは否定しない。 でも、それが送り手の見えるお金でなければ、とボクは考える。
お金をめぐる話で言うのならば、ネグレクトに関してがわかりやすいだろう。 親は子に「これですきな物でも買いなさい」とお金を渡す。 なるほど、双方の需要は満たされているように思われる。 しかし、この「お金」には。
結局のところ、ボクたちはなんだかんだといって、”思い”を伝えるためのツールとしてのお金を必要とすることはある。 しかし、額面だけの、よくわからないところからわいた「お金」(宮部みゆきの「火車」で語られたような)に対しては、とてもドライだ。思い入れがないから湯水のごとく使われ、それに対する罪悪感も生まれにくい。
何も出来ない、という無力感は確かにある。 今日でなくても、JOJO広重が語るように(>たまたま彼のアルバムタイトルを確認したくて検索したら出てきた)いつか、音楽は聞こえてくるから。
篠原美也子が歌った「Dear」(音出ますよ)のように。 あなたの痛みはアナタしか抱きしめられない。 誰かのようには誰ひとり生きていくことは出来ないけれど。 それぞれの河を生きていく。それぞれの海を目指して。
2011年03月21日(月)
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