おぎそんの日記
おぎそん



 最強のふたり

つーわけで、たまたま当選した試写会に行って参りましたよっと。

最強のふたり(untouchable)
公式サイト(音声でますよ)
wiki

これ、障害学会のレコメンドがついてるらしいっすよ。ノーマライゼーション(笑)ですって。

これさー。
私の中のあなた、の看護学会推薦とおんなじくらい非難されてもいいと思うッす。

言うぞ。
障害者が、この社会において健常者が善人ごっこするためのアイコン”になりさがってるが故の胡散臭さが。
言っちゃった☆

よっしーに言わせると「ゲイが西欧文化圏において権力者がリベラルで多文化共生なポーズをとるためのアイコンであるように」だと。なるほどね。

男性2人の格差(それは、年齢・文化的・経済的・セクシャリティも含め)をものともせずに友人になっていく映画ってそこそこあるじゃないですか。たとえば、最高の人生の見つけ方、とか。あれもなんつーか、ホモソーシャル的な映画な気がしますよね。
女性のバディものって死はあまり見えない。フォエバーフレンズしかりテルマ&ルイーズしかり。

で、この作品ってある種その枠にはまってるような気がしてならない。
介護者と介助者。障害者としてではなく、個人としてみること。
あったりまえじゃん。とか正直なとこ思うのですよ。だって、車いすの友人や障害者認定を受けてる友人がいたら(つーか、大げさでなくても、結構いたりするよね、鬱だったり四肢の障害だったり統合失調だったり発達障害だったり。見える・見えないからじゃなくてさ)。

でも、30年近く生きてて思うのだけどそういう「社会」に生きている人って実はとても少ないのだと気づかされる。健常者は健常者の枠で、障害者は障害者の枠で自分の生活を心地よくするためにかかわらないってことが楽だとなんとなく実感してるから(デフのソーシャルネットワークを考えてみるといい)。
だから、こういう映画が出てくると健常者は「善人」が刺激され、見て啓蒙された”気になる”。でも、それだけ。
実践なんかしやしない。せいぜい、健常者であるはずの友人が障害者になったときにちょっと思い出す程度。

だから、その枠にいら立っているのはきっと乙武氏(危険なツイッターでの発言! 笑)であったり、陣内(伊坂幸太郎「チルドレン」の登場人物)だったりする。くっだらねぇ、その一言は善意の人にはなかなか言えないんだよね(この映画で出てきた、娘をしかる場面だけは花丸をあげてよいって思える、おすすめ発言)。だって、こっちが悪者みたい(って、わるものなのか)に思われちゃうし、善意の人に対して悪意を向けるのはとても疲れる(疲弊する)ことでもあるから。

そんなわけで、あんまりおすすめの映画ではないっす。
まぁ小ネタは面白いし、スタイリッシュなフランス映画っぽいとこはあるんだけど、うまくそれが題材と融合してないちぐはぐ感があります。
障害ってフィルターでたぶん見逃されてるんだと思う。

そんなことを麻布十番でデビルと食事しながら話して解散。
もう少し飲んでもよかったかな(え?)。

2012年08月20日(月)
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