徒然駄文
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私は恐ろしいほど「サボり」です。ナマケモノ。 「怠惰」というのかな。コンジョ無しとも言うし。 今はこんな風でも生きて行けているけど ずっと昔、必死で働かないと食っていけなかった時代や土地に (例えば、開拓時代の北海道とかアラスカとか、とても貧しい地域、時代の 農村の小作人とか)、 私の様なタイプの人間が産まれたら、どうしていたんだろう。 生きていけないから、勤勉タイプにならざるを得なくてなっていたんだろうか。 (でも昔話にも「ものぐさ太郎」みたいなのはいっぱい出てくるから そういう人は居たのかな。いや、ものぐさでも幸せになれる、と言うのが 民衆の切ない望みだったからああいう話がたくさんできたのかな)
話がずれた。元に戻して…… まあ、今でもだらだらしているのは「だらだらやっていてもなんとかなるから」 タラリンと生きているのであって、何事か起こればそれに合わせて ちゃきちゃきと動くのだけど、「事」が終わった時にはどっと疲れる。
「いつかは終わる」という確信があるからちゃきちゃき動けるのであって 先が見えない、一生続くかもしれない、と思った時に ちゃきちゃき動き続けることが出来るかどうか、とても不安だ。 (実際どうなるのかはなってみないと分からないけど、 後生だからそういう状況には置かれたくない、と心から思います)
ただの「怠惰への言い訳」なのかもしれないけど、 人間にはそれぞれに合った「活動度合い」があるような気がする。 それを超えて無理をし続けると、どこかでプチッと切れてしまう様な気がする。 例えば、会社で同じ時間を働いていても大丈夫な人と、精神的な過労で 倒れる人がいるように。でもって、倒れた人に対して 「倒れていない人もいるんだから、あんたは甘えている」ということは 言ってはいけないような気がする。 その人がホントに甘えてさぼっているのでなければ。 その人なりの精一杯なのであれば。
一番の問題は、その人にとっての限界値がどこにあるのかが 目に見えないって事なのよね。さぼっているのか、その人なりの一生懸命なのか、 とても見えにくい、と言うことなのよね。 でもって、それを盾にとってさぼる人が後を絶たない、と言うのもあるのかも。
言うのは簡単。実際に見分けて行動していくのはとても難しい。 自分自身でさえ、よく分からなくなることが多い。 (上に書いた、「盾にとってさぼる人」も、無自覚の人が多いかもしれない。 私自身も、私はそうではない、とは、100%の自信を持っては言えない)
でもやっぱりねえ。個人個人が無理なく自分のペースで生きて行けたらいいなあ、と思うのよ。 自分自身も、そして周りからも「比べられない」人生。 他の人の人生に対して「優越感」も「劣等感」も抱かないで済む人生。 「生きていく」と言うことに「比較」なんか意味がないと思うから。
さて、今日もお天気が良いし私のペースでやることをやってしまおう。 相変わらずののんびりモードだけど(笑) そろそろいろいろと頭の中で引っかかっていることを皆やっつけて MIDI触りたいです。更新したいです(^^;) (いや、引っかかってることをやっつけるまではMIDIはお預け、と 自分で勝手に決めちゃってたら、ああ、前回更新から1ヶ月経過〜(^^;) やはりただの怠惰人間の言い訳か……)
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