徒然駄文
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久々に映画の感想などを。で、久々に和もの。
13階段。 えー、半ばまでは結構良かったんですが。人間の尊厳だとか、生きる意味、生命の意味、死刑執行制度や罪と罰の意味。これはなかなかのドラマかな、と思っていたら、いつの間にかサスペンス風味を帯びてきて、あれ、これはサスペンスドラマだったのかな、と思っていたら(それでも結構面白かったですよ、この辺りまでは)、ラストの収束に向かって、それはないでしょう!の連発、最後のタンポポでだめ押し。やめてくださいよ〜そのシナリオと演出は(^^;)、でございました(^^;)。すべてを台無しにしてしまったような気がします。結局何が言いたかった映画なのか。三上君は結局なんなのか。罪の意識を背負っていたのかいなかったのか、一番肝心な点だと思うんですが、それがまるでちゃらんぽらんになってしまった気がしますねえ。一番のペケがゆりちゃんですよ。ゆりちゃんのあの最後の言葉はいかん。ああいう言葉を言える人が自らの命を絶とうとしますか? で、目が覚めるのもいかん。まさか醒めないよね、まさかね、と思ってたらそのまさかなんだし。あああ…前半がもったいない。役者陣もなかなか良かったと思うのになー
解夏 もう、タイトルに惹かれて惹かれて見に行きましたが(夏至、半夏生、初夏、晩夏、冬虫夏草……夏の付く言葉が大好き)、今ひとつかなあ、と。なんかムードだけに流れているような感触が残りましたねえ。ひとつだけ。お寺のお坊さんがいう「失明した時点でその辛い行が終わるのです」という言葉。確かに終わるんだろう。いつ見えなくなるか、と言う「恐怖」の行は。でも、そこから新しい、で、もっと辛い行が始まるんじゃないか。見えない自分をどう受け入れていくのか、どう生きていくのか。目(視力)というのは、本当に生活に密着していますから。その辺りが全く描かれていないので、なんだかムードだけに流れたものに思えてしまったのかもしれない。解夏の意味が分かったので、それは嬉しい。
で、映画の話を離れて、失明について。そうなんだね。網膜は死んでも視神経が生きている間は光は感じる事が出来るんだよね。乳白色の世界って事はそうなんだろうな、と私は思うんですが(違うのかな。でも前に病院でお医者さんがある患者さんの目にペンライトの光を当てながら「光も感じませんか?視神経は正常だから感じる筈なんだけどなぁ…」と言っているのを聞いた事もあるし)。 視神経をやられると、光も感じなくなります。そこにあるのは「闇」ではなくて、「無」なんですねえ。自分の頭の後ろってどう見えますか?鏡を使わないと見えませんよね。つまり、見える範囲には存在しない、それは無、なんですね。その、「無」の範囲が広がってくるわけです、視神経萎縮の場合は。 「視野が狭い、見えない部分がある」というとよく「見えないところって黒くなってるの?」と聞かれるけど「黒」という色もないのよね。その部分の認識が出来ないのよね。「黒く見える」って事は、「黒」という認識がある、と言う事なんだから。で、今はまだ見える部分があるから、比べて、あの辺りが見えていない(認識されない)、と言うのが分かるけど、完全に視神経が死んだ時はどうなるのか。目の前が完全に「無」である、と言う状態がどういうものなのか、私には分からない。やはり「闇」なんだろうか。少なくとも乳白色では絶対無いと思うんだが。 …見えなくなっても光だけは感じていたい、と切実に思いますよ、私は。(で、いきなり解夏の話に戻るけど、光を感じられるンならいいじゃん!と冷たく思ってしまったのも、あの映画に入り込めなかった一因かもしれない(^^;)。なんであろうと見えなくなる事は辛い事なんだけどねえ…ついね(^^;))
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