オトナの恋愛考
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2013年05月08日(水) 事件の顛末

ちょうど2週間前にあの事件から2ヶ月ぶりにひろと逢った。

久しぶりに逢った彼は心配していたほどやつれてもなく
元気そうでホッとした。
もう日常の生活に戻りつつある事はメールで知っていたので
敢て私からはその事に触れずに「元気そうで良かった。」とだけ
車の助手席に乗り込んだ彼に伝えた。

それから予め調べておいた鮮魚の仲買人直営店でランチをとるために
伊豆の海岸線に車を走らせた。風が心地よくよけいな事は考えずに
他愛もないことを話しながら笑った。
美味しい海の幸を堪能してそれから彼が予約してくれた海の近くの
ペンションに向かった。

小さな岬の先の海岸線近くの急勾配の山道をのぼっていくと
山肌にそって建てられた瀟洒でこじんまりとした宿はあった。
ほどんど人影もなく宿のドアを開けるとその宿の主が迎えてくれた。

GW前の静かな金曜の午後、私たちは最上階の角部屋で過ごした。
ひろは新幹線に乗った駅なかの洋菓子店で
美味しいケーキをお土産に持ってきてくれていた。
ベランダに出ると山の上から望む相模湾は
波もなく静かな水平線をえがいていた。

「鞄もサイフも全部買い替えたよ。」と唐突にひろが言った。
私は自分からは言うつもりもなかったけれど
彼の口から出た一言でなるべく控えめに慎重に訊いてみた。

しかし、彼からの答えは断片的であまり言いたくなさそうだったので
それほど深く追求するつもりもなかったが
もう時間も経ってほぼ平常に戻っていたのだろうけれど
さりげなく彼の口からでた断片的な言葉の一言一言は
私の想像を遥かに越えた事件の全容が伝わってきて
彼に逢えた嬉しさよりも本人がもうとっくに慣れ親しんでしまった
厳しい現状やら騙された屈辱やら騙された悔しさが
私の全身を襲って思考は一瞬凍り付いてしまった。

少しゆっくり深呼吸をしてから「本当に気をつけてね。」と
それだけ言おうとしたはずだったのに
それは私の口からするりと出てしまった。

「あのね、あなたのその鞄に何が入っていたかは私には関係の無い事。
 ただあなたが無事でいてくれて良かったと本当に思う。」

彼にとってはその仕事用の鞄は、ビジネス上非常に大切なものだっただろうし
会社のデータやら社員証やらいろいろなものが盗難にあったのだから
会社での彼の立場を思うと、相当の痛手だった事は想像に難くない。

でも私にとっては関係のないもの。
彼自身が無事だったのだからそれで良い、と
自分自身に言い聞かせたかったのかもしれない。

ただ彼が断片的に私の問いかけに答えた言葉が
彼と別れた後にもずっと頭から離れなかった。

 
 だって強引に誘われたんだよ。
 そんなに飲んだ訳じゃなかったんだよ。
 二杯目を飲んだ後意識がなくなって何も覚えていないんだよね。

 え?電車で泥酔して眠り込んでいた間に盗まれたんじゃないの?

 うーん、誘われて二杯くらいしか飲んでいなかったから
 きっと何か薬を入れられたんだと思う。


彼から「薬を酒に入れられた」ときいてすぐに言葉がでてこなかった。
泥酔して眠り込んだ電車の中で置き引きに遭ったのだと思い込んでいた。

 じゃあ店で飲んで眠っているうちに鞄を持って行かれたの?
 だったら店を覚えているでしょ。店で気がついたんじゃないの?

 気がついたのは朝だった。

 じゃあ路上にでも寝ていたの?

 ううん、気づいたら街を歩いていた。


私はすべてを悟ったような気がしたけれど
これからつかの間、二人がふれあえる時間が始まったばかりで
そんな疑惑は打ち消してしまいたかった。

 私はあなたが無事だったからそれで良い。

とだけ言ってその話題はそれ以上続けなかった。
彼の答えは断片的でつじつまが合わなかった。
それはいくつかの事実を彼が私にしゃべりたくないからだ。


誰かに強引に誘われて一緒に飲み始めて
二杯目で気を失って気がついたら朝になっていて
鞄は消え失せていた。ただそれだけの事だった。

警察にいって事情徴収をうけてクレジット会社やら銀行やらに
問い合わせた時点で彼のカードで数十万円が使い込まれていた。
結局未だに犯人も鞄もどこかに消え失せてしまっていた。

ただそれだけの事だった。
打ち拉がれて必死でそれからの2ヶ月が流れ
やっと落ち着いて私に逢えて癒されたいと思っていただろう
ひろをそれ以上私がどうして責める事ができるのか。

久しぶりに抱き合って、それから初夏の太陽がまぶしいバルコニーで
コーヒーをのんで他愛も無い事をしゃべって
貸し切り露天風呂を満喫して彼のお土産のケーキをほおばって
何か得体のしれないものが頭のどこかにへばりついたままだったが
それでも久しぶりの楽しいつかの間の時間が過ぎて行った。

 もうキレイなオネエサンに腕を引っ張られても
 簡単に付いて行っちゃダメよ。

冗談のつもりで露天風呂へ行く為に彼の手を引っ張りながら
そう言った時に何とも言えない表情の無言の彼の反応が
私の想像を肯定していた。

見知らぬオトコに酒を奨められて飲む訳がない。
強引に誘ったのは見知らぬ若くて魅力的なオンナだったからだ。
そのオンナについていったのは間違いなく下心があったからだ。
町中の居酒屋やパブで同席のオトコのグラスに薬を入れることは困難だ。
それができたのは飲んでいた場所が他に人気のない個室だったからだ。
朝気がついたのは街じゃなくてその部屋だったからだろう。
薬で眠らされたのだから、その犯人のオンナとは何もなかったかもしれないし
もしかしたらコトが済んだ後だったかもしれない。
そんな事はどうでもよく、私が悔しいのはそんな事件に簡単に
まんまと嵌められた彼のリスク管理のなさとオンナに対するだらしなさ。
そしてそれによって自業自得だとは言え多大な損失を被ってしまった馬鹿さ加減。
そしてそんな彼に対して私は何もしてあげられないということ。

可哀想なオトコを更に責める気もなく
さっさと東京へ返すつもりで車を走らせていくと
「ねえ晩ご飯も一緒に食べようよ。」と珍しい事を言った。
いつもは私の方が別れ難くそんな風に甘えるのが常だったはずだ。

今まで伊豆の旅行で何度か食事をしたことがある
道の駅のような施設内の海のみえるレストランで軽い食事をしながら
彼がこれから実現したい事業の話を聞けたことが唯一の救いだった。

 会社をいつ辞めるか迷ってる。
 いろいろ考えて行くと定年では遅いんだよね。

 うん、私もそう思う。経済的なことも考えながら
 やっぱり気力のあるうちの方がいいと思う。

 そうだよね。県への法人登録も早くても半年はかかるらしいから
 いざスタートしようとしてもすぐには始めることが出来ないし。

 じゃあ準備だけでももうしていかないと。
 でも今の会社にいるうちは大々的には動く事はできないでしょ。

 そうなんだよ。今のままでもそこそこの給料はもらえるからね。
 自分で始めるとなると収入がゼロじゃなにも出来ない。

 私にできることがあったら何でも言ってね。

 うん、ありがとう。

そんな内容だったと思う。何かを実現しようと決意してるオトコは好きだ。
本当に彼には成功して欲しい。その時はもう私たちは別れているだろう。
その頃は遠い空の下で彼の為に祈るばかりだ。

オンナに騙されるバカなオトコにだけは
なって欲しくないのが惚れた男へのホンネなのだ。






夢うさぎ |MAIL

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