◇日記◇
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2005年08月03日(水) |
「生きる」と「死ぬ」 |
◇◆◇◆
めずらしく、大雨である。警報も出ている。
今日はねこぞー、休みをとった。土曜日出勤の代休。
夏休みは、今年もまた、9月に入らないと取れないらしい。
◇◆
身内に(といってもあまり近い関係ではないのだが)病人が出て、気持ちが落ち着かない。
昨日の午後、昼寝から目覚めたらその電話があり、それ以来、めまい。
急遽、お出かけもキャンセル。帰宅したねこぞーと暗い夕食。
◇◆
ねこぞーと、死について話したいと思うが(死ぬこと全般について、
そして具体的に自分の死ということについて)、ねこぞーは嫌がる。
仕方ないので、ひとりであれこれと、考える。
◇◆◇◆
ニュースで見た、殺人事件の被害者遺族(息子一家を皆殺しにされたお父さん)の
「今までは、自分に急になにかあっても子どもが何とかしてくれるだろう、と思っていたが
今は(息子一家が先に亡くなってしまったので)自分の死ぬ準備をしなけりゃならない
と思っている」
というコメントに共感する。
◇◆
私も、今は両親が健在だし、ねこぞーもいるから急に私が死んでも後のことは何とかして
くれると思うが、最後まで生き残ってしまったらどうしよう、出来る範囲で処理して
いかなきゃ、という思いが強い。
しかるべきときが来たら、信託銀行に相談に行き、法定相続人がいない場合にどうしたら
いいのかを調べる予定。
しかるべきとき、というのは、両親共に亡くなったとき、と今は考えているけれども。
私が最後に死んだら、私のお葬式を出す義務のある人もいないし、お葬式などどうでも
いいのだけれども、誰か(行政か?)の手を借りて、火葬はしてもらうことになる。
埋葬などを、どうして欲しいとちゃんと書いて、その費用も置いておかねば、とも思う。
できれば、海にまいて欲しいと思うけれども、
身内がいない場合、そういうことを誰に頼んでいったものか。悩ましい。
市がそこまで面倒を見てくれるのだろうか。
やはり信託銀行か。
面倒だから、いっそ無縁仏に合葬して下さい、と書くか。
私が死んだら土地も売ってしまって、そのお金を建物の解体処理や何やらにあててもらい、
もし残りがあったら、どこぞへ寄附しようかと考えているけれども、そういうことを
全部面倒みてくれるのも、信託銀行か。
身よりが全部亡くなって私が生きたまま(という表現もないが)、痴呆症になったら
施設に入れてもらって、財産を管理してもらってそこから支払などしてもらって…
というのも、信託銀行か?
ていうか、そんな財産ないか………。
ということを考えていると、何もかもが面倒になる。
どう死ぬかをちゃんと考えてこそ、生きていかれるという言葉を実感する。
いっそ、死なないというのはどうだろうか(笑)?
とりあえず、ねこぞーと一緒に80歳まで元気に生きる、を目標に。
急に死なないように、気をつけること。これが大事。
呆けないように気をつけること。これも大事。
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