◇日記◇
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今週は、ねこぞーが夏休みなので、ほぼ毎日いろいろな所に出かけては
夏の終わりを楽しんでいるのだが、昨日は、動物園に行ってきた。
二年ぶりである。
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動物園は、どこも楽しい。モンキーハウスも、水鳥舎も、海獣舎も、シカ・トナカイ放牧場も
さる山も、猛禽舎も、タスマニア館も、世界の熊館も。
でも、毎回まず最初に訪れることにしているのは、実は『こども動物園』。
ここでは、アヒルや、ポニーや羊や山羊が、自由に闊歩していて、ついでに飼っては
いないであろう、スズメやカラスも騒々しく一緒にエサを食べていたりして、
ウルサイんだか、のどかなんだか、楽しいんだか、イラつくんだかわからない、という
生きる、ということの基本を私に提示してくれている。
で、昨日もねこぞーと一緒に、まず『こども動物園』へと足を踏み入れた。
いやぁ、驚いた。
何がって、いつにも増したその騒々しさに。
アヒルも鴨も鶏も、山羊も羊も、ポニーもスズメも、目立たないくらいの
大量の幼稚園児の群れ。
笑ったり、転んだり、突き飛ばしたり、突き飛ばされたり、よたよた走ったり、
何かを言い合ったり、何かを取り合ったり、
でもって、泣いたり、泣いたり、泣いたり…。
アヒルの声も聞こえないくらいの騒々しさ。
いつもは囲いを飛び出してその辺を我が物顔に闊歩している家禽たちが
おとなしく囲いのなかに入っていたのには、大笑い。
羊たちも隅に群れてじっと動かないし。
山羊たちも小屋の横にうずくまっているし。
くじゃくなんか、どこへ行ったんだか、姿さえ見えなかった。
恐るべし、幼稚園児の群れ。
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私が、動物園をこよなく愛するのは、たぶん矛盾を抱えつつ生きていということを
ここまで見事につきつけてくれる存在が、他にはなかなかないからかもしれない。
孵化器で生まれたばかりのかわいいヒナや、今まさに殻を破って出てこようと
しているまだ体中が濡れそぼっているヒナに愛おしさを感じ、元気に育ってね
と思いつつ外に出ると、
その横の猛禽舎では、もう少し育ったヒナが、殺され綺麗に毛を剥かれ、洗われて
ワシのエサとしてその身を提供している、という現実。
ポニーやシカの放牧場の50メートル先では、トラが唸りながら、捌かれたシカ肉・馬肉に
にかぶりついているという現実。
一方で、増えすぎた猿山のサルを実験に提供するなんて、動物がかわいそう、と
拳をふりあげる、どーぶつあいご団体の皆さんの、わが身を棚の奥底に上げた行為の
その滑稽さ。
それらも含めて、生きるということがあまりに胸に迫ってくるので
だから、私は動物園が好き。
動物という存在(含む私)そのものの抱える、生きるという矛盾と悲しみが、そこここに
あふれている。
その中に身を浸していると、本当は、生きるということに伴う矛盾も悲しみも、ありは
しないのかもしれない、とさえ思えてくる。
ねこぞーは、年に一回しか私を動物園に連れて行ってくれることができない。
誰か、私と一緒に行きませんか、動物園に。
そういえば、ウォンバットは、天寿を全うしていた。
16年、生きて生きて、死んでいった。
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