凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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M1になってから足踏みしてるホークス。 TV画面に写ったベンチにはしっかり藤井ハリー君が座っていた。 嬉しい。優勝の瞬間には誰がマウンドに連れてってくれるんだろう。 一緒に胴上げに参加させてくれるのは誰だろう。 前回連れてってくれたのはカズミだった。 胴上げは若田部。今回もカズミだったら嬉しいなぁ。
その瞬間にその場所に居たい。 そう思って夫に「ホークス戦を観に行かせてくれ」と頼んだら「構わないけれど」の前置きの後「野球観戦する奴とコミケに行く奴は理解出来ない」と言われた。 野球観戦とコミケを同列に置かれても。 ってか、コミケって私も理解出来ないんですけど。
野球場で観る野球観戦はその場の一体感を楽しむのだ、それはコンサートやライブで好きなミュージシャンの世界に酔いしれるのと同じだ、と言うとそれは違う、ミュージシャンの生の世界をじっくり堪能するために会場に行くのであって一体感を楽しむためではない、と言われた。 それってクラッシックとかの音楽鑑賞じゃないの。 ライブの楽しみ方とは違うよ。 そう言っても夫には理解してもらえなかった。
コミケは…己の個の世界を開放する場なんじゃないのかな。 野球は個じゃないもの。 皆その球団のファンで、応援に詰め掛けるんだもの。 選手のプレーに同じように一喜一憂して思いを共有して楽しむんだもの。
きっと私と夫とはコミケの捕らえ方も違うんだろう。 私達はどこまでも理解し合えない。 思いを共有する事は出来ない。
「ミルクの匂いのする赤ん坊を抱いていると幸せな気分になる」というくだりをよく目にするなり耳にするなりしていた。 そっか、赤ん坊ってミルクの良い匂いがするのか。 しかしアイが赤ん坊の時、そう感じた記憶が無い。 今度はその気分を味わってみようと思っていたが。
生まれた赤ん坊は何故か臭かった。 いつも糞尿の臭いがしていた。 便をしてもいないのに「あれ?うんちしてない?」といつも人に言われた。 抱いていても臭い。赤ん坊でなく糞袋(by筒井康隆)を抱いているようだった。 二ヶ月頃には新生児湿疹で顔中黄色い膿だらけだった。 真剣、こいつアトピーかも、と覚悟していた。
四ヶ月現在。当時のような糞尿の臭いはしなくなった。 湿疹も嘘のように消え、無事すべての女性が羨む「赤ちゃんのすべすべお肌」になった。 しかし相変わらずミルクの甘い良い匂いはしない。 臭い。今度は生臭い。なんだろう。汗の臭いかな。
乳を飲ませていたはたと気づいた。 そっか、乳だもん。ミルクの匂いがするわけないやん。 体液飲んでんだもんこいつ。 甘い匂いがする体液なんかないもんな。生臭くて当然なのかも。 ってことは。こいつの生臭さは私の体臭って事なのかしら。げ。 こんなに生臭いのか? ってか、自分の体臭をこんなに臭いと感じるのかな。 自分の体臭を感じたら安心するんじゃないのか?それって動物だけ? でも人間も動物じゃん。どう違うっての?
「ミルクの良い匂い」ってうっとりしてる人ってひょっとして赤ん坊に自分の体臭を嗅ぎ当て本能的に安心してるって事なのかしらん?違うか。
こうして赤ん坊を「臭っ!」と感じてる自分がなんとなく、脱いだ自分の靴下の臭いを嗅いで臭いことを確認せずにいられない癖を持つ男、のイメージとオーバーラップしてしまってなんとなく物悲しい。
電源は入れたはず。 なのに画面は真っ黒のままだった。 あぁついに来たか。電子手帳の寿命。
電子辞書ではない。電子手帳。もう店頭で見つける事はない。 その機能はもっとコンパクトな携帯電話でほとんど事足りる。 いつの間にか姿を消していた電子機器。
独身時代から使っていた。 単なる住所録に成り果てていたが、当時の交友録でもある。 今では年賀状のやりとりすらしていない。 どこでどうしてるかもわからない知人友人。 それでも、この手帳があれば、連絡をとることは出来る。 そういう細い細い糸のような
ぷつりと切れた。
世界があと二日で終わるとしたら 一日目は 尋ねたい人がいた。 どうしているか。幸せにしている姿を遠くから見て。それだけで良い。 二日目は子供達を抱きしめその笑顔を見ながら最後の時を迎えたい。
もう 尋ねることは出来ない。 消えてしまった過去達。
さようなら
これを買ってくれた あなた
さようなら
暁
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