凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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叔母から、四十九日法要の案内をもらったんだけど、と母が言ってきた。
厳密には日数的には四十九日にはあたらないけれど、その日は従姉妹の誕生日なので、誕生祝いも一緒に兼ねて、という事らしい。
本人が迎えることが無かった誕生日。 残された親族は法要後、皆でケーキでも囲むのだろうか。
葬儀の時に知ったが、従姉妹の誕生日は、私と同じ日だった。
そういえば一度叔母から聞いたことがあった気がした。 でも母も忘れていたので、叔母も従姉妹と私の誕生日が同じという事は忘れているかもしれない。
同じ誕生日で、私は生きていて、結婚して子供も産んで、普通に日々を送っている。 従姉妹は。
法要の場で、複雑な気持ちになるのは、私だけではないかもしれない。 なんだか、その場に私はいない方が良いような気がした。 そう思う自分に、何様だ、という嫌悪感も抱きつつ。
申し訳ないけれど、その日は用事があるので、と断わった。
これから毎年、私は自分の誕生日のたびに、この従姉妹を思い出すのかもしれない。 一度だけ会った、花嫁衣裳の従姉妹の顔を。 それはどんな気持ちで、なのか、今は分からない。
初めて会う従姉妹は白い綿で作られた綿帽子の花嫁衣裳を身にまとって静かに目を閉じていた。
白い肌に白い衣装。 鮮やかな紅をさした唇が、わずかに開いたままなのが、従姉妹の伝え切れなかった思いを思わせ、なんともいいようがなかった。
こんなに哀しい花嫁衣裳がこの世にあるのだという事を、初めて知った。
お正月は家に帰りたい、とせがんだそうだ。 どうしても、どうしてもかえりたいと、声にならない声を出し、手を動かし。
「でも正月はあの寒さだったでしょう。雪の中、背負って帰る事も出来なくて」と叔母は泣いて話してくれた。 「今日みたいな良い天気だったら背負ってでも連れて帰ったのに」と泣いて、泣いて、
遺族が振り絞るような声で従姉妹の名を呼ぶ。 その声は叔母なのか、従姉妹の姉さんなのか分からない。
斎場では故人の写真をスライドショーにして流していた。 その中に「とりやめたけれど幸せです」とメッセージを添えた笑顔の写真があった。 結納を取りやめた後、連絡用に作った葉書用の画像が何かなんだろうか。
従姉妹は、しあわせ、だったんだろうか。 勿論私には分からない。 もうそれは誰にも分からない。
でも、残された叔母達の為に、従姉妹は幸せだったんだ、と皆で自分に言い聞かせて刻み込んでいかなければいけないと思う。 そうでないと、残されたものはやりきれないだろう。
さようなら、さようなら。多分一度小学生の時に会った事がある従姉妹。 でもその時、たくさんいた姉妹の中のどれが貴女だったのか、私には分からなかった。 だから、これがほぼ初対面。 安らかにお眠りください。 痛みも苦しみも無い世界で、叔母さんを見守ってください。 さようなら、さようなら。
暁
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