20日、7時半に起こされて急かされるように朝食を取った。もう何度目かの自分と両親と祖母と兄、そして叔母夫婦、叔父のいる食事。喪服に着替えて次のイベント・出棺を待つ。さすがに8月の盆地の陽気ではジャケットも着ていられない、白と黒の中でまだ高校生の従妹の制服スカートの青だけが唯一の色彩だ。 飾りのついた豪華な霊柩車はない。アレを頼むと相当高くつくらしい。風呂敷包みを持たされてマイクロバスで火葬場へ移動する。その日、二組目の予約になっていたうちは、前の家族が終るのをロビーで待っていた。低い泣き声、仕立ての良さそうなスーツ、和装の女性の首に大きな真珠のネックレスが見える。あの家は金持ちなんかな。 予定の10時。背の高いのそっとした感じの青年職員がセッティングをして流れを説明をする。ああ、このへんなんだかもうあんまり覚えてないなあ。ただ、前の家族は坊さんを呼んで念仏あげてもらってたけど、うちはやんなかった。たぶん貧乏だからだ。今、ここに向かってるという親族を待ってはみたものの間に合わず、棺桶は電動の台車に載せられた。閉じるリフトの扉に向かって合掌する。じいさん、いつか、どこかで会ったら、あんたの話を聞かせてくれないか。あんたの人生の話を聞かせてくれないか。日本が、一番貧乏で惨めでしんどかった時代を生き抜いた、あんたの平凡な83年間を、いつか聞かせてくれないか。 次男の叔父と末子の叔母はしきりにハンカチを目元に当てている。長男の親父殿は微動だにしないでただ、立っていた。実感がないのか、堪えているのか、この先の法要・雑務を思ってそれどころではないのか、僕にはまだわからない。 火葬にかかる時間は約1時間40分。待合室ではわずかばかりの酒・茶・茶菓子を囲んで昔の話に花が咲いていた。僕ら兄弟と従兄妹の孫5人ばかりが所在無く部屋の隅に座っていて、そのうち喫煙者の二人は灰皿へと席を立ってしまった。取り残されて手持ち無沙汰にクチパクで歌を歌う。窓の外は白い曇り空。無性にバックホーンが聞きたくなった。とっさに掴んできたMDはアジカンとオブリ。やっぱりそろそろPC直結のプレイヤーが欲しいなと思う。 出てきたじいさまの骨は、細いのは灰になってしまっていてなんだか随分少ないようで、それが人の形をしていたという実感も薄い。カラカラと軽く乾いた音のする白いカタマリを鉄の皿に拾って骨箱にザラリと流しこむ。溶けてひしゃげた六文銭替わりの十円玉はお守りになるから、と大叔父が包んだ。帰りはバスが出ないので自家用車に分乗。骨箱と遺影とオサレサマを乗せた車は、通り道のついでにと親父殿の会社の脇を通過する。骨になって初めて見る息子の会社、じいさまは何の感慨もなさそうに言うだろう。「んだのが。こさ勤めっだのが、んだが」 遺骨やら遺影やらを自宅の祭壇に納めたら、歩いてすぐの村の集会所で昼食をとる。隣組の奥さん衆が作ってくれた白いおにぎりと根菜の汁に漬物。献立や、近所が手伝うのは村中のしきたりらしい。このあと二時半から葬列をつくって寺まで歩く。ほんの少し休憩。見栄坊の兄者の差し入れたアイスを齧ってだらりと。そういや従兄妹とこんなに話をしたこともあまりなかった。 葬儀。坊主がやけに咳き込むもので、しょっちゅう読経が途切れる。俺、焼香で立とうとしたら足首がイカれてて立ちあがれなくて相当ダサかった。しびれたどころの騒ぎじゃなくて軽く焦ったさ。 夜、近所の奥方が集まってお念仏。長数珠を回しながら鐘を鳴らして、歌うように「南無阿弥陀仏」のお題目を唱える。小学校の同級生のお母さんも何人かいるみたいだ。聞いてるうちに眠くなって、結局手伝うこともなさそうなので自室でごろ寝。途中で一度「顔を出せ」と起こされたものの、なんだかぼんやりしていてそのあとの記憶は曖昧。 じいさまがいなくなることよりも、それに付随して「これから」が「今まで」通りではなくなるんだろうな、という漠然とした確信がなんだか寂しい。ばあちゃんが変に気張ってカラ回っているのが痛ましい。稲刈りは、来年から田畑はどうするんだろう。今までの当たり前が、ここになくなってしまうのが少し怖い。
2006年08月20日(日) |
途方にくれたときの歌 |
友引だから葬式は挙げられない、と中日になった昨日。朝から届く盛籠や花、ゆうべは無かった灯篭、花瓶。とにかく家具を退けて少しは広くなったかと思った奥の部屋がもう一杯だ。じいさまは埋もれるようにして白い布団のなかにいる。 買出しに便乗して荷物持ちの名目で家を出た。割り箸、使い捨ての器、キロ単位の野菜(精進だから肉は使わない)、お茶、茶菓子。出来るだけ安いものを、と真剣に悩む母と叔母。 帰ったら今度は入棺。住職が来て、簡単な説明を受けてから掛布団をはぐ。じいさまは寝巻きの浴衣にドライアイスを抱いて棒のように寝ていた。指先が白いのは凍っているのか。喪主の親父殿から順に、洗浄綿で身体を拭く。黄色い皮膚の下には堅くなった肉がある。作り物のようにも見えるそれは、しかし他の人工物の何にも似ていない。強く擦ったら剥がれてきそうな気がして、恐る恐る撫でるように拭く。布越しにだってじいさまに触れたことなんか何度もないのに。脚も腕も細くて、深い顔の皺は折り重なるひだのよう。バランスの悪いいびつなヴォリューム。老人だからか、死んでいるからか。 男衆で棺に納める。布団には生きた人間も寝るけど、こんな木の箱には入らないよなぁ。手順書を末娘の叔母が読む。これはなんだ、あれはどうする?言い合いながら編笠、草鞋、杖、白装束を着せかける。「袋には故人の愛用の品などを納めてください、だど」「お菓子で良いべは」「爺の帽子でも入っでけだらいいべ」顔の周りは花で飾る。似合わねえよ、じいちゃん。花に囲まれて薄ら笑うじいさまはいっそ滑稽だ。蓋をかぶせて釘を石で打つ。宗教の儀式は面倒くさくて可笑しい。 その日も沢山の人が出入りして夜が更ける。火の番をしていたはずの親父殿と叔父はすっかり寝入り、兄を亡くした大叔父がうつらうつら舟を漕ぐ。兄者と従兄弟が駄弁るのに付き合って午前4時、洗った髪が汗と湿気で乾かないまま床についた。
2006年08月19日(土) |
いつかその意味を知るときが来る |
昨日の朝、じいさまが死んだ。 17日の夜に「もって一週間」の連絡を受け、意識はあるからせめて生きてるうちに顔を見せに来いという親父殿に従って、今日、土曜には発とうと思っていた矢先。携帯の着信で起こされて「もう駄目らしい」。とりあえずの片付けと荷造りをして部屋を出た。実際はその時刻にはもうじいさまはこの世には居なくなっていて、急いだって仕方がなかった訳だが。祖父が危篤の孫の心境をどう作っていいものか判らなかった僕は、慌てたフリで店に欠勤の連絡をして出勤するときとは反対向きの電車に飛び乗った。 両親に送った昼過ぎには着くというメールの返信が一向に来ず、実家に電話したのが到着まで二時間を切ったころ。新幹線の駅まで迎えに来てくれることになったハハさんは「そんなに急がなくても良かったのに」と言った。見なれた色に近づいていく車窓を眺めて、じいさまの人生に思いをはせたのはこれが初めてだと思った。 改札で待っていたハハさんの言葉の中から、じいさまがもう生きてはいないことを何となく読み取った。僕は間に合わなかった。 親父殿は長男で、ハハさんは嫁だから血の繋がりはない。少なくとも僕が物心つく頃にはすでに「困った爺さん」だった彼のために、ばあちゃんは僕ら家族全員分の涙を流しているのだろうかと想像したら、少し泣きそうになった。 ばあちゃんは泣いてはいなかった。ただ、記憶よりもっと弱く力ない声で念仏を唱えていた。家はそこら中の戸が開け放たれ、叔父や叔母や近所の人が出たり入ったりしていた。荷物を背負ったまま、知らない顔に挨拶をする。 今までだってたいして話す事のなかったじいさまの、中身のない身体に、どんな顔をして、なんと声をかけたらいいのかなんて、到底思いつけるものではなかった。半ば物置になっている自室にリュック一つの荷物を置く。親父殿がじいさんに挨拶して来いと言う。そんなことを言われたのは独り暮らしをはじめて7年で初めてだ。いつだって「自宅」らしく帰ってきては勝手に食卓について「帰ってたのか」と言われるような、それが当たり前で、わざわざ「じいさんに挨拶して来い」なんて、そんなこと一度だって言われたことはなかったのに。 仏間で本当に小さなばあちゃんに会う。じいさまの枕元で念仏をあげるばあちゃん。こんもり低い、白い布団の山に向かって手を合わせる。所在無さに押しつぶされそうだった。ばあちゃんが顔を見ろと言う。作法も何もわからないまま白い布を退ける。正月、最後に見たじいさまの不精髭も白くなってのぞく鼻毛も濁った目もない。静かに目を閉じる綺麗に剃られた顔。どんな処理がしてあるのか、覚えているより張りのあるように見える肌は作り物めいて黄色い。表情が柔らかいのが珍しくてなんだか可笑しかった。こんな顔で微笑うじいさまを、僕は覚えていない。 葬式の案内のハガキが出来たと印刷屋が来て、カタログから供物を選ぶ親族の脇で、世話人の見本通りの文句をハガキの隅に書き込んだ。「当日お手伝いをお願いします」「当日午後七時よりお念仏をお願いします」小学生からほとんど変わらない子どものような手が無性に恥ずかしい。仏間に座って知らない人に何度も挨拶をして、それからベランダに出た。塀には黒白の幕と堤燈、花が見えた。葬式は準備も練習もできない、とは言うけれど驚くほどのスピードで準備は進んでいく。蝋燭と線香の火を絶やすなと言われてしばらく仏間で番をした。あそこにじいさまが寝てる。違う、じいさまだったものがある。違う。あれは、あそこに横たわるものは、一体何だ。
今朝、じいさまが死んだ。
2006年08月06日(日) |
ROCK IN JAPAN FES.2006 |
最終日の話もおいおいボチボチ。 バスから見た駐車場には『E.YAZAWA』の旗が幾つも翻っていました。ドレスコードがないので(永ちゃんのライブは特攻服禁止、って本当ですか)特服の夫婦も居ましたが、今日は氣志團もあるのでなんかもうどっちなのかよくわかりません。良くわかんないけど凄い気迫(とファッション)の方が沢山いらっしゃいます。リーゼントとかパンチとか縞のシャツにネクタイ締めてたりとか。それこそ思わず敬語になってしまうほどに異彩を放っています。 ひたちなかにお帰り!スネオヘアー フラワーカンパニーズ キャプテンストライダム DOPING PANDAのダンディズム。もうちょっとで好きになれそうなのに。 VOLA& THE ORIENTAL MACHINEアヒトの甲高い絶叫。 POLYSICS ohana&腰にキてるズ 矢野顕子featuringレイ・ハラカミは日光でどのランプがついててどれが消えてるのか判りません。あんまり明るいところでやる事ってないものですから。 つばき SOIL&"PIMP"SESSIONS悪い人達いたー! GRAPEVINE「初めて聴いたけど良いっすね! ボーカル イケメンだし」ありがとう。君にそう言ってもらえると僕も嬉しい。
2006年08月05日(土) |
ROCK IN JAPAN FES.2006 |
2日目の話はまだこれから。 フジファブ ASPARAGUS lostage NATUMEN CORNER 髭(HiGE) BOOM BOOM SATELLITES CUBISMO GRAFICO YOUR SONG IS GOOD スピッツ 音速ライン
2006年08月04日(金) |
ROCK IN JAPAN FES.2006 |
初日の話。 「会場で会えたら良いね」と言っていた知り合いと行きの電車で遭遇。二人で笑って車で参戦組の共通の友人にメール。エレカシ大好きミカ様も駅で合流。子の日に限ってバス待ちの列がうんざりするほど長い。 今年のトップはDEPAPEPEから。夏の日差しと森ステージ(去年よかちょっとゴツくなってたけど)の雰囲気があつらえた様にはまってる。歌うようなギター2本、時折吹く風に誰かの飛ばしたシャボン玉。三浦のゆるい喋りも無茶なコール&レスポンスもなんだか可笑しくて許せる。ずっと踊ってた30分。 ミカ様に連絡するとテントの森にベースを張ってくれたとのこと。はじめ、一緒にデパペペの予定だったミカ様は、今年から登場・ウイングテントのトップバッター、ティーンズロックの優勝バンド「P-MAN」が気に入った様子。結局最後まで観ちゃった、と笑う。そんな話をしながらベースから連れ立ってウイングテントへ。テントの中は蒸すかと思ったら日が当たらない分、外より涼しくてなかなか快適。ステージは近いけど、それでもキャパ3000人だから結構な広さ。池ステージの音が入ってくるのがちょっと気になる。 初見の眼鏡3人バンド・シュノーケル。誠実そうな音が好感。復習決定。眼鏡の上からタオルで顔拭いて、しかもラスト頭振ったら眼鏡吹っ飛んだベーシスト。とても良いキャラだと思います。終始笑顔だったのもなんだか良い。 それからギャラリー、物販をまわってDJブースへ。超新塾のコントを見る。正直お笑いはあんまり良く分からないのだけど、結構おもしろかった。革の上下が暑そうで合掌。 今日は風があって、いくらか過ごしやすい。それでもかき氷を瞬殺して芝方面から歩いてもう一度今度は池ステージへ。本命・THE BACK HORNを待つ。ここは死んでもいいと迷わず前方へ。いつものように下手寄り、光舟の前に詰める。一曲目からコバルトブルーで禁止のダイブも出る。イベントライブのバックホーンはとにかく上げる事をアタマに置いたセットだから、新旧織り交ぜてトバすトバす。そこへもってきてマツのすっ呆けたMCもいつも通りで、客の「頑張れ!」の声に「頑張っとるよ」と小さく笑う。ラスト、ゴリゴリ押し捲られて眼鏡がもってかれそうになった。 エレファントカシマシでミカ様とポジションを交代。とりあえず座ってみていると微妙なデジャヴ感。・・白シャツが将司とみやじ、被ってる!(笑)そしてイシ君の裸足も。偶然・・いや、でも二人ともライブは常に白シャツだし・・まさか狙って並べてないよねえ、ロキノン? 次はHIFANAのためにまたDJブース。POLYSICSハヤシの不法集会にすごい人だかりが。これも好きだけど今回は体力温存のため引きで。タイムアップで入れ換え。柵前はさすがに無理だったけどステージ直下で待つ。セッティングに時間がかかるようで、レジデンスDJの片平さんがスクリーンの後で回してる。結局30分押しで始まった人力ブレイクビーツ。二人が入れ替わりながら太鼓叩いたり、サンプラー叩いたり、皿回したり。観てて非常に楽しい。こんなん初めて観たよ。すっげえ。 マキシマム ザ ホルモンにはどうにも間に合わなそうな時間になってしまって、ブースを出たらそのままくるりを聞きながらみなと屋へ。冷えたスイカは実は故郷の味。メジャーに出たての頃のくるりのが正直好きだなぁ、とぼやきながらのんびり。ここ2・3年こういうダラーっとした時間の使い方を許容できるようになった。年取った、とは言わずに成長した、と呼ぼう、うん。 花火を眺めて、バスに揺られて勝田駅へ。次の日の髭(HiGE)が気になるミカ様のために観覧・レポートを約束。 ベースを張っておく事の便利さに気付かされたよ、ミカ様ありがとう。
|