ぶつぶつ日記
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2001年11月30日(金) どっきりした

基本的に占いは信じないし、ほとんどその手のものは見ない。
さわらぬ神に祟りなし、鰯の頭も信心次第、という感じだ。
嫌な事を言われたらやはり気にしてしまうし、
良いことを書かれてもそれが実現することは少ないし。
でも、毎日読んでいるM新聞の短い今日の占いは
毎朝チェックして来る。
占い、というよりも、アドバイス的なメッセージが多くて、
ドッキリさせられるから、好きなのかもしれない。
ちなみに、今日のおひつじ座へのメッセージは
「お金に変えられない幸運あり。幸運と気づくかどうかが鍵。」
と書いてあった。
昨日の今日なので、今日も朝からどっきりしてしまった。
そう、お金に変えられないものもあること。
忘れないようにしたい。
そしてそれに気がつけるように・・・。


2001年11月29日(木) お金が全て、ではないけれど。

10月末から11月にかけて、特別な仕事で休日出勤をしました。
その仕事は去年もあったもので、今回で3回目。
それに、事前に収支予定もきちんと提出していました。
それなのに、全てが終って報告書を出したら、
いきなり時給が半額、になりました。

理由は、あってないようなものです。
いわく、他の先生達もこの金額でやってもらっているから、とか、
今までの金額は外部の(例えば大学講師レベルの)先生のもので、
この前までは特別だった、とか。
でも話に聞くと、別の特別の時は1コマ1万円出ているとか、
特別手当てがあるとか、
その辺も全くあやふやで教えてはもらえませんでした。
また、成果をあげたものには別の形での報酬、と言っていましたが、
これまた私の契約にボーナスは含まれていないので、
出なくても文句も言えません。

私のコンピューターのスキルは、
コンピューターを 仕事にしている人のように、
系統立てて勉強したわけではありません。
ほとんど独学です。
でも、少なくとも校内の先生達に教える立場だし、
今回の仕事に限って言えば、
コンピュータと日本語教育と、
両方を知っていなくては出来ない仕事で、
だれにでもすぐにできる、というものではないと思います。
また今回、もちろん今後の課題はあるものの、
来てくださった方の感想は好評で、
外部でも口伝えでこの仕事の事が広がってきているみたいです。

お金が欲しいわけではないですが、
お金と言うのは最も簡単な評価方法だと思います。
ましてや経営が苦しいわけではないのです。
その証拠に余計な施設にかけるお金はたくさんあります。
ある日気がついたら、学校の名前が夜間ライトアップされていました。
通りから入り込んでいて、誰も見えない場所なのに。
しかも以前にこちらで提出しておいた書類を全く無視して平気なんて、
私のしていることを全く認める気がないんだな、と
なんだか悔しくて涙が出てきました。

目標を決めて、この職場を踏み台にして、
絶対に今に見返してやる。
あんな人達にただただ頭を下げ続ける人生なんて、
まっぴらごめんです。
そしてもし、私がお金を払う立場になったら、
だれかの事を適切に評価でき、
目先の欲に捕われない人間になりたいと思います。


2001年11月28日(水) ある韓国人女性から見たドイツと日本戦後処理��

学生の鋭い突っ込みにドキドキしてしまう小心者の私だが、
彼らと戦後処理に関するような微妙な話をするのは嫌いではない。
何せディスカス好きだし、
私たち日本人が知らない戦争当時の日本人の行動についても聞ける。
先日も韓国人のYさんとその手の話しになった。
今でも、韓国の山の中を杭を見つけ出すために歩き回り、
見つけた杭を引っこ抜いている人がいるそうだ。
何のために?
誰が打ち込んだ杭を?
杭を打ち込んだのは先の大戦中の日本軍関係者。
場所は韓国内でも最も良い「気」の出る場所なんだそうだ。
「そんな話非科学的な話し、いくら戦争中だってやるわけない。」と笑ってはいけない。
実際日本軍はそんなことを山のようにやっていたのだから。
ソウル市内の道のど真ん中に総理府(でしたっけ?)を建てたのも、
あそこが気の流れる場所だったからだ。
そして数年前に歴史的な価値を認めながらも、
韓国政府はその建物を壊した。
有名な話だが戦時中の日本政府は、
占領した東南アジアの国々のムスリマ住民に対し、
一時期真剣に礼拝方向をメッカではなく、
日本の皇居の方向にさせようとしていたくらいなのだから、
韓国の山の中に杭も打ったとしても全くおかしくない。

そして杭を存在を知っていて、抜いて歩ける人たちがいるということは、
戦中の記憶を自分の記憶として持っている人が、
まだまだたくさんいるということだ。
Yさん自身は日本人に対して悪い感情は持っていないと思う。
日本に対して強く抗議するような話し方はしないが、
その分こちらは深く考えさせられる。
彼女が以前読んだ本の1つに、韓国人女性と結婚しているドイツ人のものがあった。

戦争が終わって、戦後生まれのドイツ人が世界に出た時、
どこの国の人も彼らがドイツ人と知ると握手をしてくれなかったり、
あからさまに嫌な顔をした。
彼らはそれにショックを受け、それは自国に対する疑問に変って行く。
「父達の世代は、一体何をしたんだろう?」と。
若い世代は「ドイツが行ったこと」を知るために行動を起こし、
やがて知りたくもなかったであろう、様々な戦中の忌まわしい記憶を知る。
しかし、彼らはそれを「知り」子供達に「伝えていく」という
厳しい道を選んだ。
ドイツでは現在でも14歳になるとナチスドイツ、そして戦中のドイツについて
1年間かけて勉強し、
強制収容所への見学なども行われるそうだ。
まだ、戦中派世代がたくさん生きている頃には、
自分たちの祖父母の罪を知った多感な子供達が、
祖父母を責めて関係が一時的に悪くなったことも多かったという。

ドイツにはいまだに新ナチス主義の若者も多いし、
それらの移民に対する排斥運動なども起こるのだが、
民衆レベルでそういった人種差別に対する抗議行動が起こるのは、
やはりきちんと過去の過ちを認識している人が多いからだと私は思う。

Yさんも言う。
「ドイツは自分たちで自分たちのことを反省していますね。
歴史的な建物のそのまま残したり・・・。
自分たちで反省している人を、どうしてまわりが責められますか。
彼らは反省しているのが私たちにもわかります。
だから昔のドイツ人と今のドイツ人は違う、
もうあんなことはしないだろうと思います。」
でも、日本人はどうだろうか?
韓国人である彼女は、時折不安がよぎると言う。
もしかしたら、また日本人は同じことをするんじゃないかな?
日本人は私たちを支配しようとした、あの日本人と変っていないのではないか?

彼女の不安を私たちはどう受け止めればいいのだろうか。


2001年11月27日(火) ラマダンの効用

現在ラマダンダイエッターな私。
今年のサイマ(断食)はなかなか順調です。
とは言っても,別に私はムスリマじゃないので
(何度も言いますが,私はイスラム教徒じゃないんですよ)、
夜明けに起きだし食事する,なんて事はしておりません。
普通の時間に朝ご飯を食べて,夜ご飯まで飲食を一切しないだけ。
調度時間的にこれだと夜明け前に食べて、日没後に食べる
ムスリムの人たちと同じくらいの時間は断食していることになります。
ま、それでいいかと。

ラマダンの効用に関しては、
かの国の人々はそれはも〜、様々な効用をうたってくれます。
ま、一番いわれるのが,体に良い、でしょうか。
しかし考えてみれば,食事が夜昼入れ替わるんですよ。
昼間食べずに夜食べる。
日没後に1回、夜半前か夜半過ぎに1回、夜明けに1回。
しかも、日本の断食とはぜ〜んぜんシステムが違うので,
夜はなに食べてもいいんです。
何せラマダン中はどの国も肉に消費量が格段に上がるくらいですから。
その季節にしか出てこないドライフルーツとか、
特別なお菓子とか,豊かですよ〜、断食中とは言え食事は。
調度日本の12月から1月,
忘年会からクリスマス,それが終わったらお正月、
と次々ご馳走を食べる機会がある,
あんな感じに似ているような気がします。
その上、夜明け前の食事を逃したら一日中飲み食いできないので,
いっかな眠りは浅くなるでしょう、気になっちゃって(^^;)。
とても「健康に良い」とは思えないんですけどね。

じゃあ、どんな効用があるかと言うと・・・。
正直どんなのがあるのか、頭が痛いところですが,
「一体感」かな〜なんて思います。
あまり豊かではなく普段は気軽にお肉やご馳走を食べられないような人たちに、
金持ちが色々な形で喜捨を行います。
世界中のいたるところで,皆が日暮れを待っている。
日暮れが来たら,金持ちも貧乏人も、
みんなご馳走を食べられる。
何となく,そんな気持ちになれるのがいいのかな〜と、
信仰心のないラマダンダイエッターの私でも
思う一ヶ月です。



2001年11月26日(月) ある韓国人女性から見たドイツと日本戦後処理��

【忘れてしまうこと、許すこと】

去年プライベートで教えていた韓国人女性からメールが来て、
昨日久しぶりに新宿で会ってご飯を食べた。
彼女は銀行勤務の後、どうしても勉強を続けたくて、
当時韓国で流行っていたロシア留学を選び、
ロシアの大学、そして仕事と7年間をモスクワで過ごしている。
その時知り合ったユダヤ系ロシア人(しかしエリート)のだんな様と結婚し、
2人で昨年日本にやってきた。
だんな様は日本留学経験もあり日本語は不自由なく、
彼女もロシアでかなりまじめに勉強していたようで、
日常会話には不自由しないくらいの日本語が話せたが、
能力試験一級を受けるために毎週1,2回私と勉強していた。
外国生活が長く、社会経験もあるしっかりした女性の良い典型で、
話題も豊富、そして他人の話も聞ける人だし、
年も近いので彼女と話しをするのはとても楽しい。
微妙な問題についても色々話せる国籍の違う知人友人というのは貴重だ。

日本語教師などしていると、
思いもかけない時にいきなり大戦中の日本の責任についての
鋭い質問を浴びせられたりする。
ただ、授業中ということもあるし、日本ということもあるかもしれないが、
一般的な日本人が思っているようなイメージ=激昂して感情的な抗議の姿
では全然ない。
しかし、きちんとそのことについて教育を受けていない私たちが
「(中国の朝鮮民族である)金さんが韓国人ではなく中国人なのも、日本のせいですよね。」などと面と向かって言われると、
正直ドキドキしてしまうのは致し方ないところだろう。
彼らは別にその時に私たちに謝って欲しいと思っているわけではない気がする。
ただ私たちがどのくらい大戦中のことを知っていて、
それをどう思っているのか知りたいからの質問のように思う。

以前、中国や韓国(や他の東南アジアの国)で
対戦中に日本が行ってきた非道な歴史について、
知っていたほうがいいのか、
知らなくてもいいのか、
日本の若者と外国人が大討論している番組を見たことがあるが、
「知らなくても良い」と思っている学生が、
いわゆる一流大学でこれからエリートとして社会に出て行く予備軍だったのには、
正直がっかりしてしまった。
その中の1人の男性はこれらのいわゆる負の歴史について
「彼女の昔の過ちなど知らない方が自然に振舞えるんだから、
自分たちに関係ない過去のことを知らない方が良い関係が作れるんですよ。」
みたいなことを言っていたのには、
そんなに物事単純だったら、平和でいいよな〜と思った。

例えば。
散々いじめられて、そのせいで学校に行けなくなってしまった人がいて、
苦労して大人になって、ある時久しぶりにそのいじめっ子に会ったら
そいつが大会社の重役かなんかになっていて、
その元いじめっ子に
「まあ、お互い色々あったけど、今までのことは水に流して仲良くやろうじゃないか、ん?」
と言われたら、一体誰がこの人のことを許せて、そして信用できるんだろうか。
普通はもっと許したくなくなるはずだ。

私たちは完全な戦後世代で、確かに大戦中に行われた事に関しての責任はない。
しかし、だからといって「知らなくてもいい」という権利もないと思う。
日本人なんだから。
日本という国に属してしまっているからには、
自分に何の責任もないことについても、
自分が日本という国の代表者になってしまう瞬間がどうしてもある。
それが国に属するということだ。

「知らなくてもいい。」
「忘れてもいいよ。」
というのは、傷つけられた被害者のみが言えるものだと思う。
犯した罪は「自分では」許せない。
自分が許したとしても、周りは許さない。
それを許せるのは「被害にあった」人たちだけだ。

私たち日本人は、まだ「許してもらう」所までは
全然到達出来ていない。



2001年11月25日(日) 出不精解消強化月間

日本語教師(現在は日本学校勤務で授業は持ってないんですけど)なんてなると、
まあ〜、友だちづきあいが悪くなります。
理由は色々。
授業を持っていると、次の日の授業の準備で平日は外出したくない、とか。
あまりにも給料が低いので、生活のために仕事を掛け持ちするので
実際時間がない、とか。
遊びに行く金がない、とか。
先週末も全日本的に3連休でした。
しかし、恐ろしいほどの低賃金の私。
ここだけで満足していたら(できないけど)、
旅行なんて夢のまた夢。
仕方ないので週末はアルバイトに出ておりますです。
常に休みは週給1日。
さすがに1日は休ましてくれい!
んで、金曜日だけお休みして、土日はバイトに出ておりました。

もともとアルコールアレルギーでお酒は飲まない。
インドアな遊びは全然しないし、
人がたくさんいるところも苦手なので、家にいるのが好き。
その上密に連絡を取り合わなくても友情は成り立つと思っているので、
こうなってくるとほとんど引きこもり状態。
仕事と家の往復のみ。

う〜ん、、、、

そんな時、久しぶりに去年プライベートレッスンをしていた韓国人女性から
辛いもの食べのお誘い。
しかし、バイトもあるし、めんどくさい・・・。
と断りたい気持ちもあったのですが、
そんなんではいか〜ん!!と
出かけてきました。
辛くておいしかったです。
いろいろ話せて楽しかったし・・・。

出かけるとそれなりに出るものも出てしまって、
それはそれでつらいのですが(^^;)、
来月はちょっと、出不精解消強化月間、にしようと思います。
どこまで続くかわかりませんが(笑)。


2001年11月23日(金) 遠い(colacaco的パレスチナ再考にかえて)

アフガン動乱の影で、
イスラエルがパレスチナに行っていることは
全く注目されていないが,
ハーンユーニスでは今日も5人の子供が死んだ(アルジャジーラによる)。
こんなことは日常茶飯事だから、報道する価値もないのか。
遠い。
日本とパレスチナはやはりとても遠い。
今、日本人がアフガニスタンに注いでいる視線の
10分の1位でも、これまでにパレスチナに向けられていたら、
と正直思わずにいられないほど、
事態は深刻に、そして確実に悪化している。

先日中東を歴訪した橋本龍太郎氏がいっていたこと
「日本はイスラエル、アラブ両方に何の負い目も
負債も持っていないのだから,
もっとイスラエル政府に対して、
はっきりとものを言うべきである。」
と言うことを日本政府はぜひ実行して欲しい。
ユダヤ人はパレスチナではとっくに
「虐げられた哀れな人々」ではないのだから。




2001年11月22日(木) 一体いつ行けと・・・

9月に急に旅行に行くことが決まった時、
ちょっと青ざめたのはパスポートの有効期限。
切れる、来年の2月で。
幸いにも行った先には有効期限何ヶ月必要、
という規制がなかったので大丈夫だった。
んで、年末年始。
金がないんだから、行く予定などあるはずもないが、
なんとなくそわそわしている私を許してください(^^;)。
休みに入る前にパスポートを申請に行きたいと思っているものの、
どうしてこ〜、役所ってさ〜(−−;)。
申請受け付け4:30まで。
しかも土日祝日ともにお休み。
っておい、仕事休めって言うのか〜!!!!
区役所で住民票も取らなくちゃいけないんだぞ!
どうしろっちゅーんじゃい!

デパートやスーパーが9時10時までがんばっているこのご時世で、
やっぱり優雅だよな、と思い小腹が立ってしまうのは
致し方ないことだろう。
せめて、週に何回かでいいんで、
8時、いいやせめて7時までやってもらえないもんだろうか。
全ての役所関係。
これを選挙の公約にする人がいたら、
私の一票をあげても良いぞ。


2001年11月21日(水) 雲丹と地雷

次のチャリティーのテーマを探しています。
日本人義足技師がリュックをしょってローカルなバスに乗って2人だけでアフガンに行き、
そこで女の子の義足を取り替える、というニュースを見ました。
日本人女性がコンゴだかウガンダに行き、現地の義足工場で指導をしている、
という話しも母から聞きました。
月並だけど、地雷撤去と義足提供ってのがいいかも・・と思い、
色々なページを見ています。

ウサーマが死んだとか、映画館が長蛇の列だとか、
アフガン戦局は一見すると明るいように思えますが、
後遺症は長く続きます。
その1つが、やはりこの国でも地雷、なのです。
年末に公開されるアフガニスタンを舞台にした映画「カンダハール」の中にも
印象的なシーンとして地雷に関するシーンがいくつか出てきていました(紹介を見ただけですが)。
子供達に道に落ちている人形を拾ったり踏んだりしないよう、指導している女性がいます。
そう、人形の中に地雷が入れられているのです。
戦時下でもののない場所にぽつんと落ちているかわいらしい(新品の!)人形。
きっと女の子だけじゃなく男の子だって欲しいと思うでしょう。
取り合いになるかもしれません。
そして、地雷が爆発すれば何人もの子供達が犠牲になります。
ラストシーンは、空中投下された物資を追いかける何人もの松葉杖をついた男性達です。
彼らの多くは地雷で足を失いました。
そして彼らは俳優ではありません。本物のアフガン難民なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地雷に関しては個人的な思い出があります。
エジプトでのことです。
仲の良い友だち皆で、バスと運転手をチャーターして、
何度かカイロから日帰りでいける紅海沿岸(というか運河みたく入り込んでいるところ)に海水浴に行きました。
地図で見るとスエズ運河のもう少し下。
そのあたりにぽつぽつと海水浴場が開発されつつある時期でした。
建設中なんだか、もう壊れているんだかわからない、そんな場所でもお金を払う。
その施設のまわりはずーっと海岸線(しかももっときれいに見える!)。
だったら、お金を払わない何もない場所に車を停めたくなるのが人情でしょう。
しかし。
これは絶対に厳禁!でした。
このあたりは4次まで続いた中東戦争の防衛ラインだったので、
たくさんの地雷が埋められ、今もあまり撤去されていないということなのです。
私たちがちょうど同じような場所で遊んでいた頃、
このような「何もない場所」に入って海水浴をしようとしたフランス人が
地雷で怪我をした、というニュースも聞きました。

今日調べてみた所、意外なことにエジプトは地雷による国土汚染度ナンバーワンでした。
その数ずば抜けています。
彼らの場合、自分たちの国土を侵略者(イスラエル)から守るために、
たくさんの地雷を埋めました。
平和がやってきて、その除去作業には気の遠くなるような労力とお金がかかっていることでしょう。
そして全然撤去作業は進んでいないと思います(あの国のことだから)。

一度だけ、何もない浜辺に車を停めて、
皆で雲丹を投げ合って遊んだ夕暮れを思い出します。
何もない、雲丹だけしかない、そんな浜辺。
今考えるとかなり危険と隣り合わせていたのかもしれません。
そして、そののどかな夕暮れを思いながら、
早くエジプトの浜辺で自由に遊べる日が来ればいいと思います。
好きなところに車を停めて・・・。

それは今世紀中にかなう夢でしょうか?

(追記)
紅海沿岸だけでなく、アレキサンドリアからリビアへ向かう
地中海沿岸にも大量の地雷が残されています。
これらは紅海沿岸上の地雷とは違い、
もっと古く、第2次世界大戦の負の遺産です。


2001年11月20日(火) 預言者の面影

最近、もっともかっこいい!と思っている人物は
イラン大統領のハタミ師、である。
穏やかなまなざし、温和な語り口、
それでいて「言うことははっきり言う」あの理性、
ゆったりしたイスラム服がまたセクシー。
あれだけ品格のある国家元首ってのは珍しい。
やはり「世俗」でないところが良いのか。

ウサーマ・ビン・ラディンとブッシュ。
この二人を並べたら、多分アメリカ人ですら
心の中ではウサーマの方が見栄えがいい、
と思うんじゃないかと思っているのだが、
いかに?
さすがサウジの大ゼネコンの息子、
顔に育ちが出てしまうこの地域ならではの育ちのよさから来る品格。
その上彼はアラブハンサムの代表例だと私は思っている。
若い時はさぞかしうつくし〜、若者だったでしょう。
アラビアのロレンス並の白装束が似合ったに違いない。

そしてこのラマダン月。
ぼ〜っと預言者ムハンマドのことを考えていた私ははたと思った。
彼の支持者、そしてもしかしたら全く気がついていないかもしれないが、
たくさんのアラブ人、イスラム教徒は
ウサーマに預言者の面影を見ていないか?
それは、彼の行いから、では全くない。
ウサーマの容姿に、預言者の容姿を重ねてはいないだろうか?

太り気味の各国指導者の見苦しさとは全く無縁の痩躯に端正な顔立ち。
アラブの指導者にしては珍しく激しない、すばらしいアラビア語。
全く華美ではないしかしこざっぱりとしている最低限の服装。
預言者がクルアーンを啓示されたヒラーの洞窟を思わせる場所での映像。
彼自身は絶対に意識的にこれらを利用していると思う。
それを明確に意識しているムスリムは少ないかもしれないが、
もしかしたら預言者に思いをはせる時、
そこにウサーマの影がちらついていないだろうか。

アメリカにとっては彼の容姿すらも、脅威なのかもしれない。


2001年11月19日(月) 泣かせる話し

今朝、電車の中で放送大学の課題をやっていたら、
なんで日本人はアフガン人に同情的なのか、
ちょっとわかったような気がした。
国際関係論の教科書に書いてあったことだが、
第2次世界大戦中に国連の枠組みができたとき、
元加盟国となる資格がある国は、
連合国側、すなわち日本やドイツの枢機卿国と
対立関係にある国に限られた。
1945年、第二次世界大戦の帰趨がすでに決定していた状態
(すなわちすでに日本やドイツの敗戦がほとんど決まっていた状態)で、
それまで長く中立を保ってきたラテンアメリカ諸国などが
次々と日本に宣戦布告をしたのは、
国連の元加盟国になる資格を得るためで、
これによって多くの国が加盟国となった。

その中で、アフガニスタンだけは矜持を持ち、
最後まで対日宣戦布告をしなかったと言う。

もう、これだけ聞いて、どんと寄付金をつんでしまう
戦中派の人もいそうな話しじゃないだろうか。

これは完全に日本の「武士道」の世界である。
欧米メンタリティーの人にはこのアフガニスタンの行動は
国益を損なう話しとして理解しがたいものにしか映らないだろうが、
日本人には美しい精神として理解することは難しくない。
そう、「武士は食わねど・・・」、とか、
「敵に塩を送る」とか、そういう世界だ。

そしてそれだけ昔から、アフガニスタン人は日本に対して
好印象を持っていたと言う証拠だろう。
今度は私たちが矜持を持って、
彼らを最後まで支援していけたら、と思う。


2001年11月18日(日) 少しましなこと

久しぶりに会った友人とアラブ談義に花を咲かせたのだが、
その中で気がついたことがいくつかあった。
その1つが,アフガニスタンは湾岸戦争時のイラクよりも、
明らかに日本人の同情され,そして理解されている、と言うことだ。
湾岸戦争時、空爆されているバクダッドにいるたくさんの子供たちに同情し、
イラクの内政を理解しようとした人間は、あまり多くなかったと思う。
10年経ってネットなど個人が情報をとる機会が増えたとは言え,
パレスチナに対する理解度などが大して変わっていない事を見ると,
アフガンに対する日本人の同情と感心は
いまだかつてなかったムーブメントのように思える。

それは、明らかに現地で活動しているNGOの人たちの力が大きい。
今度の報復活動以前から,日本人の中に,
細々とだが独自の救援体制が作られており,
そんなに多くはない機会だったが,
アフガンの人たちの窮乏を目にしている人がそれなりにいたんだと思う。
これは、とても大きいことだ。

民間の人たちが、こつこつと岩にしがみつくように作ってきた
このアフガニスタンとの細い、でも確かな絆を,
国が断ち切ることなどないように,切に願ってやまない。


2001年11月16日(金) 他人の子供

電車の中で子供が騒いでいると、不快に思うことが多いかもしれない。
眠くなってわけがわからなくて泣いている、
という場合はこちらも「しょうがないな〜(−−;)=3」と思えるが、
ぎゃーぎゃー騒がれると、実際頭に来る。
特にお母さんがきれいなかっこをして話しに夢中になっていたり、
大して怒らなかったりすると、子供よりもその親に対して腹が立つ。
子守歴20年の経験から言うか、「子供は騒ぐもの」というのは
うそである。
確かに騒ぐが、きちんと教えれば場所をわきまえる。
実際、0歳児ですらいたずらをしようとする時は
まず親の顔をうかがって、うかがいながらそれをするのだから。
騒いでいる子供の親である「お母さん」達も、
自分が「OL」だった時、同じように電車で騒ぐ子供を見て、
絶対に眉をひそめた経験があるはずなのに、
それをすっかり忘れているのだろうか。
多分忘れている。
もしくは「自分の子供」はかわいいから何をしてもいいと思っている。
でも、悪いけど、私たちにとっては「他人の子供」で
うるさく騒げば全然かわいいなんて思えない。

自分の子供はかわいい。
他人の子供はかわいくない。
これはある意味しごく当然だが、
「自分の子供だけがかわいい。」となってしまうと、
色々な誤りを生み出す。

テロ発生前の9月、ユニセフがアフガニスタンの子供達に
ポリオのワクチン接種を行った。
お子さんがいらっしゃる方はお分かりだと思うが、
この手のワクチンというのは一回ではだめで、
間を置いてもう一度打たないと効力が出ない。
2回目のワクチン接種は11月の頭に予定されていた。
そこに来て、今回のテロ、そして報復行動である。

毎年この時期、どんなに激しい内戦があっても、
このワクチン接種のためにタリバーンも北部同盟も、
3日間の停戦をしていた。
それはそうだ。
アフガンの子供達は、「彼らの」子供達である。
どちらにとっても、次代をになう大切な子供達。
国がどんなに荒廃しても、人的資源がありさえすれば、
時間はかかるかもしれないが国を復興させることは可能だ。
しかし、どんなに国が栄えていても、
子供たちが病んでいけば、その国はやがて力を失っていくだろう。

今回、11月の第2回接種のためにユニセフと国連は停戦を呼びかけた。
タリバーン側はそれに対して停戦を約束すると発表したが、
アメリカはその呼びかけを全く無視した。
アメリカにとってアフガンの子供はあくまで「他人の子供」だから。
死のうが生きようが、ポリオになろうが、
そんなことは知ったことはない?

ユニセフ側は爆撃の最中にワクチン接種を敢行したが、
成果は一部マスコミで伝えられているように「滞りなく」とは
はなはだ言えなかったらしい。

日本の子供達がだめになってきたのは、
大人たちが「自分の子供」だけを大事にし、
ただただ甘やかしはじめたからと言われている。
自分の子供も他人の子供も、全部が「国の子供」、
しいては「世界の子供」なのだ。
アメリカ政府はまるで、「自分の子供」の権利ばかりを主張する、
馬鹿な親のような行動をしている。



2001年11月15日(木) 身近に感じるもの

何をいつも身近に感じているだろうか。
自分のことについてありふれたものから列挙してみると、
家、3度3度の食事、布団、お風呂、水洗トイレ、
清潔な(その季節ごとの)服、靴、
シルバーアクセサリー、スカーフ、めがね、化粧品、
コンピューター、新聞、本、筆記用具、
アラビア語の辞書、教科書、
自転車、満員電車、地下鉄、
テイクアウトのアイスカフェラテ、
仕事の出来ない会社の人へのいらいら、
同僚とのたわいのないおしゃべり、
大好きな人とのチャット、
色んな人とかわす大量のメール、、、、、

ほとんどの日本人が多分同じようなものを
「日常的」と感じていることだろう。
飢えや寒さ、恐怖心、武器、銃声や砲撃の音、
そんなものとは無縁の生活。

しかし、生まれた時から「戦争」しか知らない子供達がいることを、
暖かい布団よりも、武器を身近に感じる子供達がいることを、
学校よりも軍を身近に感じる子供達がいることを、
今こそ私たちは、日本の子供たちに教えるべきだと思う。
毎日服を着替えるということが、どんなに贅沢なことか、
私たちも気がつかなかったけれど。


2001年11月14日(水) 命の分配

「なんだか、生きることに疲れちゃった」と言って自殺した14歳がいる。
その一方で、生きたいと思いながらも生きられない人もたくさんいる。
幼い子供を残して。
夢をかなえたいと思って。
一生懸命、命にしがみついて、でもかなわず死んでいく人たち。

なんでなんだろう。
どうして「生きたい」と思うのに死んでいくんだろう。

「死にたい」と思う人の命を
「生きたい」と思う人に分配できればいいのに。



2001年11月13日(火) 一億円の価値

カイロに住んでいた時分、私たちは毎朝のようにごみ屋の小僧と
1エジポン(1エジプトポンド33円くらいでしょうか)を巡る攻防戦を繰り広げていた。
いわゆるバクシーシ攻撃だ。
私たちが入っていたアパートの大家さんは珍しくお金に汚くない人で、
必要以上のお金を私たちに払わせることのない人だった。
彼女いわく、自分がゴミ屋にはそれなりのお金を払っているので、
別に私たちが払う必要はない。
「たまに心づけを渡すことはもちろん構わないけど。」
もちろん、私たちだって月に1回程度なら心づけを渡すことは嫌ではない。
が!
この小僧は毎日なのだ。
しかも、エジプトの家の玄関ベルってのは凶悪的にうるさい。
それを、こちらが出て行くまでのピンポンラリー。
出て行ったが最後、「バクシーシ。」、
その靴くれ、その服くれ、
挙句の果てには「アーイズ・ボッス(kiss me)」。
何度も大家さんに言って、その都度数日こいつは来なくなるのだが、
持ち回りでゴミを集めている組の関係で、気が付くとまたこいつが集めてる。
このゴミ小僧に関してはこのアパートに入った全ての外国人が
文句を言っていたくらい、強烈な小僧だった。
結局、私たちは玄関ベルを切って、知人にはドアをノックしてもらうと言う
なんとも消極的な解決策を取った。
たかが33円のために・・・。

33円。
日本ではみみっちい金額だが、エジプトだったら
簡単なお昼くらいはこれで食べられる。
ターメイヤサンドイッチ1個とか、コシャリとか。
そう考えると、私たちも負けるわけには(?)いかなかったのだ。

お金の価値ほど国によって違うものはない。
一億円、日本だったらどんなことが出来るだろうか。
家を買って、その中の家具を買って、車を買って・・・。
多分、そんなことをしたらすぐになくなってしまう金額だ。
一億円あったら、アフガニスタンの首都カーブル全域を復興できる、
と言う話しを聞いた。
真偽の程は明らかでないが、当たらずも遠からず、だと思う。
日本やアメリカで大した事のない金額で、
救えるものがたくさんある。
連日、アメリカがアフガニスタンに落としているミサイルや、
報復行動開始から今までに使った軍事費があったら、
アフガン全土を復興させ、女子大も作ったってなお、
おつりが来てしまうかもしれない。
金は使いよう。
やはり、今の使い方が正しいお金の使い方とはどうしても思えない。

そしてそれは、サウジなどのイスラム諸国側にもいえる。
ウサーマに献金し、自国への攻撃を止めさせる莫大な裏献金があったら、
もっと、国民や他の国の信頼を得ることが出来るだろう。
ウサーマにしても、ムスリムの信頼を集めつつ、
欧米に対しても効果的に自己存在アピールをするお金の使い道が、
テロ以外にもたくさんあったはずだ。

しかし、正しい道に使われるお金はあまりにも少ない。


2001年11月12日(月) colacaco的パレスチナ再考その5

【パレスチナ人の中の南北問題】

パレスチナ人、と聞いてどんな人たちを想像するだろうか。

パレスチナ人、と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、
私が実際に知っているパレスチナ人の姿だ。
彼らは皆、ニュースでみる「イスラエル占領下のパレスチナ人」とは
大きく異なる人生を送っているように思える。
もちろん、私の知っているパレスチナ人はほんの数人だ。
ヨルダンやその他周辺諸国に住んでいるパレスチナ人の中にも
経済格差があり一概に言えないし、全体を語ることは出来ないが、
あるタイプをそこに見出すことは出来る。
彼らはみな、かなり早い時期にパレスチナの外に出て、
アラブの他の国で暮らしている。
そして父親はサウジなどに出稼ぎに行ったことがあり、
ある程度の家をその国に構えている。
そして、どこでも生活できるように、
子供達に語学と、専門的な知識を身につけさせるため
高等教育に力を入れていること。
その結果、彼らは「パレスチナ人」という偏見をものともせず、
機会を見つけては海外に出て勉強を続け、
仕事もそこで見つけたり、
日本人からみれば「エリート」としての人生を歩んでいる。

例えば、現在の私のアラビア語の先生であるH先生はシリアで育った医師で、
現在家族で日本にやってきて大学院で研修中。
奥様も同じくお医者様で同じ大学院で勉強しているが今は産休中だそうだ。
このH先生の前の先生であるA先生はH先生の実兄。
同じくお医者様で、全く同じ大学院で勉強していた。
「パレスチナ人」である彼らはシリアのパスポートを持っていない。
しかし文部省招聘の留学生なので、そんなことは全く問題にならない。
不思議なのは、日本政府の招聘で来たから日本ではパスポートを
もっていなくても大丈夫だとしても、
彼らがこの日本から、ちょくちょく兄弟のいるアメリカまで遠征できることだ。

またヨルダンで世話になったTも、同じく知的エリートで、
「パレスチナはビザを取るのが大変なんだよ、パレスチナ人は全員テロリストだと
思われているからね。」
などと言いながらも、アメリカ、日本と留学生活を送り、
30近くなって北欧へ奨学金留学し、
そのままそこで仕事を見つけて現在にいたる。

その一方で、占領下の狭いエリアから出ることもままならず、
仕事も勉強も続けることが出来ないパレスチナ人たちがいる。
せっかく進んだ大学を、わずかなバス代が払えないために、
泣く泣く止めなければいけない学生がいる。
パレスチナ支援を続ける女性から、そういったパレスチナ人を
なんとか日本に来させて勉強を続けされることができないかという話しがあった。
しかし考えれば考えるほど、厳しいことしか言うことが出来なかった。
まず、どうやって彼らに旅券を持たせることが出来るのか。
そしてその旅券を日本の入管が「旅券」と認めるのか。
保証人の問題、支度金の問題。
また、リスクの大きいと思われる彼らを受け入れる日本語学校なり、
大学が果たしてあるのか。
どれ1つとして、現実的ではなかった。

そのどちらもが「パレスチナ人」だ。
パレスチナ人として、パレスチナを故郷だと思っている。
お互いがお互いをどう思っているのか。
時折、私は北欧にいるTに、本当の気持ちを聞きたくなることがある。



2001年11月11日(日) お肌復活

気楽な話題が続いております。
ハードな話題(?)ちょっとお待ちを。
休日だし。

さて。
私は外見ではほめられる所はほとんどないのだが(^^;)、
1つだけ全ての人にほめられる所がある。
それはお肌。
自分では「ま、ほとんど問題ないし、手がかからないのよね。」
程度にしか思っていないのだが、
皆様、「肌が綺麗」だの「木目が細かい。」
だの言って下さる。
誉められればうれしいのは当たり前( ̄ー ̄)V.

所が、である。
この唯一とも言える私のお肌が!
ぼろぼろになりました。
最初は体に慢性蕁麻疹が出てきた。
梅雨前からず〜っと。
薬を飲んだり注射を打ったりしても全然治らなくて、
一日に何度もボリボリ掻く姿はいい年した「大人の女」にしては、
ちょっち恥ずかしい(−−;)。
しかし発想を転換し、薬を止め、アロマオイルでのマッサージを始めた所!
体の蕁麻疹は収まってきた!
まあ季節が変わったからと言えるけど、なかなかよろしい傾向。

しかし!体が収まったと思ったら、
今度は首と顔がひど〜い。
ぶつぶつだらけ。
これだったら体に出ていてくれた方がまだマシじゃんと悲嘆にくれておりました。
ところが蕁麻疹?と思っていたら、恒常的にぶつぶつが出てくるようになり、
ついには首に赤い斑点が( ̄□ ̄;;)!!!
どう考えてもこりゃ蕁麻疹、じゃないわけっすよ。
かぶれてるんです、何かに・・・。
うにゃ〜???といろいろ見回すと。
あった、アレルゲン・・・。
それは寒くて引っ張り出した室内用にしている980円でユ〇クロで売っている〇リースだ!
確かに、夜風呂上りに着ているとチクチクして痒かった・・・、
ってその時に気がつけ!って感じなんですけどね(^□^;)。

かぶれとわかれば医者に行って薬をもらった方が治りは早い。
今ではすっかり美しい〜お肌が回復!
肌の調子が悪くなったおかげで、
「手作り化粧品」という楽しみも知ったし〜。

しかし、体質ってあっという間に変わるんですね。
去年着ていたものがアレルゲンになる。
食べられていたものがだめになる。
ストレスとか、年とか、色々原因はあると思うのですが、
はっきりとは突き止められない。

国家の体質も、同じようにあっという間に変わるのかも。
「自由」の国アメリカ。
その体質がもう変わってしまっているかもしれない。
報道関係の「自主的な」言論統制、
女子高生の反戦活動を停学にしたこと。
しかもそれを裁判所が支持!!
「アフガニスタンの子供たちを・・・」なんて口にできない情況。

顔のかぶれが最後の膿みで、出し切ったことによって
また体調が元に戻ったように、
アメリカもまたどかん!と膿みを出すような事がないと
元の「自由な」アメリカには戻れないんだろうか?
でももしかしたら、アメリカの病は「癌」みたいなものかも知れない。
自覚症状がなくて、気がついたときには手遅れ。
それが一番、恐ろしいのだけれど・・・。


2001年11月10日(土) 頼むよ、チェルシー

ただいまイギリス留学中のアメリカ前大統領の娘チェルシー。
留学中のオックスフォードで行われた500人規模の
反戦集会に星条旗を持って数人のアメリカ人と共に妨害に入ったそうです。
「ニューヨークの犠牲を忘れるな!」とか何とかアジったそうですが、
この時、彼女、自分のSPに守られていたそうで。

あのな〜、特別護衛をつけて妨害なんかするな。
情けない。
もし妨害したいのだったら、
袋叩きにあってもいい覚悟でやてちょうだい。
そんな「お嬢さんのたわ言」、アメリカ人以外誰も聞きやしないよ。




2001年11月09日(金) 続けること

チャリティー期間も今日でおしまいです。
自分が密かに目標としていた金額を見事クリアしました。
正直、これほど買ってくださる方がいるとは思っていなかったので、
びっくりするやらうれしいやら・・・。
これからこのお金をどう配分して寄付するか、
私1人ではちょっと荷が重いのですが、
皆様のお気持ちを出来るだけ無駄にしないで済む所に
きちんと寄付いたします。

それにしても。
アフガン自ら20年戦争と言い出したりして、
戦局は全然収まりそうにありません。
そう考えると、たった一度の企画で自己満足し、
自己完結してはだめだな〜と思います。

それに、せっかくなんだか1人だったのが、
大縄跳びになった感じ。
いつのまにか人が増えている、そんな・・・。

どうしたらいいのか。
何をしたらいいのか。
具体的なことは全然わからないんだけれども、
まだまだ「何か」を続けていこうと思います。
アフガンへの報復が終わるまで。
ううん、アフガンへの報復が終わっても、
パレスチナが安定するまで。
世界のどこかで困っている人がいる限り、
小さいことをこつこつと
続けて行きたいと思うのでした。


2001年11月07日(水) 近頃の・・・

「近頃の・・・」に続くのはどんな言葉でしょうか?
「若者は・・・」ブー。
「母親は・・・」ブブー。
本日の場合は「年寄りは・・・」です。

友だちの会社と私の職場がものすごく近いことがわかって、
本日は久々にお昼ご飯を一緒に食べることにしました。
んで、食事が終わって喫茶店に移動。
店内は結構混んでいたのですが、
お店の人が案内してくれるわけではなかったので、
とりあえず目に付いた空席に座ろうとしました。
そこにはぽつんと荷物が1つ置いてあったのですが、
「すみません、いいですか?」と声をかけてみました。
荷物を置いていたのは70歳近いと思われる女性の2人連れ。
荷物の主と思われる人が荷物をどかしてくれたので、
私たちが座ろうとした瞬間!
連れの女性がかなり大きな声で
「下に置こうね〜、下に。他にも空いてるでしょ?ブツブツ」
と言ったのには驚いた。
場所代2倍払ってるのか!と言いたくもなります。

年寄りは出来るだけ大切にしたいと思うのですが、
な〜んか、「全く今時の若い子は!」ってすぐ言うくせに、
自分達の方が常識がないだろう!
っていう「いい年した人」も多いような気がします。
長く生きてきた=だから偉い=だから何してもいい、
そういう図式なのか、よくわからないのですが・・・。
道の真中で止まって話しているのは
若い子よりも全然年配の人の方が多いですよね。
電車の中で場所を取ってるのは何も若い子ばかりじゃない。
おやじ、そんなに股を広げて、蒸れるのか!
と言ってやりたい人もいるし。
座席に荷物を置いているのだっておばさんが多いし。

一番それを感じるのが、道路を横断するじじばば。
信じられない時に渡り始めたりするんですよね。
ひいてくれ!と言わんばかりに。
ああいう年寄りをひいてしまった運転手さんは
本当に気の毒だと思います。
そういう判断を出来なくなるのも、
「老化現象」なのでしょうか?
そう考えると、やっぱり老化は怖いですね〜。

もしかして、常識なしの行動をとる若い人は、
すでに老化が始まっていたりして?


2001年11月06日(火) ブルカを被る「権利」

駅前のコンビニで雑誌を立ち読みしていたら、
気になる記事が目に入った。
それは、アフガン難民を支援したい気持ちはあるし、
アメリカの報復行動には反対なのだが、
それを行動に移したら、「女性の権利を剥奪している」タリバーンを指示していることになるのではないか、
と考えて行動に移せない日本人女性達のジレンマについての記事だった。
以前の日記(旧日記)にも書いたが、私もタリバーンの
女性に対する様々な権利剥奪には大反対だし、
イスラム的にも「正しい」とは言えないんじゃないかと思っている。
しかし、タリバーン=完全悪という言わばアメリカにより作られたプロトタイプに
惑わされている日本人が多いということは、
やはり多くの日本人が「西洋型の権利意識、自由の観念」に
毒させてしまっているんじゃないか、と思わざるを得ない。

北部同盟軍の将軍であった故マスードに最後にインタビューした
フランス人女性の記事が「西洋型の権利観念」と、「イスラムの権利観念」の違いを
明確にしていたと思う。
現在、北部同盟軍の支配地域では女性のブルカ着用は強制ではない。
しかし、多数の女性がブルカを着用しているのを見たそのフランス人記者は
マスードに問う、どうしてブルカをかぶっている女性がいるのか、と。
実際、マスード夫人はブルカを着用しておらず、スカーフ姿であるのだが、
マスードはその質問に
「アフガンの多くの女性達は、今までの価値感や既成概念にまだとらわれているのです。
ブルカを無理やり脱がせることは、タリバーンのやり方(ブルカ着用強制)と同じになってしまう。」
と答えている。
フランス人の女性の考え(=西洋の価値観)では全ての女性は
ブルカなんて着たくないと心の中では思っている、と信じている。
しかし女性達の中には自ら望んでブルカを被っている者も少なくはない。
エジプトでもヨルダンでもシリアでも、スカーフで頭を被うことは全く強制ではない。
もちろんアメリカやヨーロッパでは!
しかしカイロ大で学んだり、一流企業に勤めているような女性や、
住居が非イスラム圏である女性達の中にも
ムハッジャバ(ベールをかぶっている女性)が多く見られるのは、
どうしてなのだろう?
それは、彼女達の意思的な選択だ。
彼女達はクルーアンやハディースの教えを彼女達なりに消化し、
自らの意思でベールを被っている。
それを非ムスリムがとやかく言う権利はあるのだろうか?

もちろん、女児割礼に見られるような身体的精神的にダメージを与える
悪しき習慣も存在するので、
非ムスリムからのアプローチが全く無駄な、余計なことだと
言い切ることは出来ないが、
数多くの非ムスリムのイスラムに対する「人権擁護」の申し立ては、
全く見当はずれのよけいなお世話に思われてならない。

自分達だって、そうだったではないか?
悪しき習慣を断ち切ってきたのは、外部からの圧力によってではなかったはずだ。
特に「権利」を獲得してきた歴史は、
内部においての当事者の戦いだった。
イスラムだって同じだ。
もし変えたいと思ったら、彼らがその中で血を流して変えていかなくてはならないものだと思う。
そして彼ら自身が何かを変えたいと思った時、
自分達以外の誰かの手助けが必要であると認識し、
救いを求める手を差し出してきた時、
その時にいつでも助けられる体制を整えていることが
私たちがするべきことではないかと思う。

自分達の意志によって変えたものしか、人間は納得して変化していかない。
日本の憲法が今ひとつ効力を持たないのは、
戦後「アメリカに押し付けられた憲法」という意識が
たくさんの人の心のそこにあるからではないだろうか?

世界の価値は決して1つではない。
ブルカを被る権利もまた、大事な権利なのだと私は思う。


2001年11月05日(月) 帰巣本能

電車で爆睡している人は日本ならではの光景だそうだ。
隣の人が寄りかかってくるのは重いし、
これが油てかてかのおやじだったらうげ〜と思ってしまうし、
こっくりこっくりされるのも、
あれはあれでけっこううざったい。
そして不思議なのは、そこまで意識が遠のいていながら、
自分が降りる駅になると全ての人が、
がばっと起きだし、何事もなかったように電車を降りていくこと。
う〜ん、人間の動物的本能ってのも案外失われていないなあ。
体が時間的距離的感覚を覚えているのね。

時間的距離的感覚と言えばもう一人、
絶対に忘れてはいけないお方がいる。
我が家の近くには公営賭博場があり、
すっからかんにすったそこに来るおじさん達が
庭先の自転車は盗むは、
店先の糸こんにゃくは盗むは、
立ちショ○はするは、ごみは捨てるは、
けっこういい迷惑なのだけれど、
毎回毎回ここで公営賭博競技が行われると、
駅や酒屋の店先が勝手に「飲み屋」化してしまう。
おじさんたちが酒を片手に勝手に集ってしまうのだ。
話題はもちろん、今日のレースの反省会・・・。
まあ、こういうおじさんたちは、
大体無料バスが終わる時間には三々五々散っていく。
しかし、1人だけ、夜になっても酒屋の前に座り込み、
管をまいているじいさんがいる。
アラビア語の授業がある日はここを通るのが
9時半過ぎになるのだが、
まだいる。
私が住んでいる区は交通の便が大変悪く、
区民は自嘲地味に「東京の中国」などと言いながら
自転車を愛用しているのだが、
このじいさんは自転車もないようだ。
その上バスはすぐに終バス。
9時半にこれだけ管を巻いているってことは、
どう考えても終バスには間に合わない。
最寄の駅までは歩いていけないことはないけれど・・・・。
夏であろうと、冬であろうと、じいさんは管を巻いている。
寝込んでいるときもあるので、冬などは凍死しないかと心配になるのだが、
騒ぎにもならないし、
実際まだじいさんはそこに来るので、凍死はしないらしい。

多分、人間にも帰省本能があるのだろう。
ある時間になると、じいさんはむっくり起きて、
ぶつぶつ文句を言いながら家に帰って行くんだろうと思う。
海外に生活していて、どんなにその国がすきでも、
やはりほとんどの人が何年かに一度は生まれた国に帰りたがる。
それも一種の帰省本能なような気がする。
帰省本能に従って、帰りたい時に国に帰れる者は幸せだ。
帰りたくても帰れない人が、
地球上にはあふれている。
帰れないからこそ・・・、
「ふるさと」のイメージは清く鮮麗で、
強く大きくなっていくものだろう。
各国に住むパレスチナ人にとっての、「パレスチナ」のように。


2001年11月03日(土) うれしい悲鳴

チャリティーが始まりました。
どうやら昨夜は寝ないで待機してくださった方も多かったらしく(^^;)、
快調な滑り出しです。
しかし、快調すぎて「ごめんなさい!」続出。
申し込んでくださったのに、ご購入いただけなかった皆様、
本当にほんとうに、ごめんなさいです。。。

お忙しい中出展してくださった方には
まだこれから発送手続きが始まります。
引き続きよろしくお願いします。
見事商品をゲットぉ!された方は、
首を長くして商品をお待ちくださいね。

みんなの熱意が少しでもアフガンの子供たちに届きますように。
そして一日も早く報復活動が止みますように。

でも、最初に、そして一番助けられたのは、
私かもしれません。
今回の企画は、自分がみんなにパワーをもらうために
行ったようなものだな、と心底思いました。
今日一日皆様からいただいたメールを読んでいて、
すごく元気がでました。

チャリティー最終日まで、
元気をもらい続けたいと思います。
みんな、どうもありがとう。


2001年11月02日(金) やってみる〜アフガン難民のために

湾岸戦争のとき。
戦争には反対だったけれど、どう行動して良いかわからなかった。
家族にも上手に問題点を説明することもできず、
フォアグラ用のガチョウ(でしたっけ?)のように、
ただ口をあんぐりとあけて、
アメリカから垂れ流されてくる情報を
詰め込まされているだけだった。

あれから10年経って。
また戦争(というか一方的攻撃と言うか)が始まった。
でも、10年経って、世界は明らかに少しだけ便利になっていた。
インターネット。
見えない蜘蛛の糸が世界に張り巡らされている。
知りたいこと、言いたいこと。
自分が意識的に動こうと思えば、
10年前とは比べ物にならにくらいの情報を瞬時に手にいれることができる。
そして、国境も言葉も超えて、
ひとつの目的で見知らぬ人と連帯できるという心強さ。

今度は、ただ何もしないで「見ているだけ」の人にはなりたくないと思った。
手段が生まれたのだから。
例え、自分がはじめることがほとんど何の役に立たなくても、
世界中の「役に立たない些細なこと」がいくつもいくつも積み重なったら?
きっと、少しは何かが変わっていくだろう。
世界はそういう風に変わってきたのだから。

やってみよう。
報復行動が始まった日に、そう思った。
とにかくやってみよう。
自己満足でも良いじゃない?
偽善でも無よりはマシなことだってある。

そして・・・・。
本当はたくさんの人たちが「何かしたい!」と思っていることを知った。
でも、何をどうしたらいいのかわからないことも。
みなさんの小さな思いが集まって、小さなチャリティーになりました。
出展してくださった方、本当にありがとう。
そしてたくさんの人に買っていただきたいと思います。
みんなの、小さな「やってみる」気持ちを・・・。

「アフガン難民支援のためのチャリティーバザール」
11月3日(土)昼頃〜9日(金)深夜まで。
http://colacaco.pos.to/peace.htm(よもやま通信にて)



2001年11月01日(木) colacaco的パレスチナ問題再考その4

【免罪符としてのパレスチナ】
追い出されたパレスチナ人とイスラエルとの争いに、アラブ各国は深く関わって来た。
中東戦争は4次にまで渡ったが、アラブ各国がイスラエルに「勝った」のは、
スエズ戦争と言われる第2次中東戦争のたったの一回だけ。
しかしイスラエル側も4次まで来ると少々息切れ。決定的は勝敗は決められなくなっていた。
問題はイスラエルがパレスチナ・アラブを排除してイスラエルを建国しようとしたこと。
押し出された難民としてのパレスチナ人を多数抱えることになった近隣諸国がこれに反発。
その上、国連安保理決議242(占領地からのイスラエル軍の撤退。中東域内のすべての国が安全に生存する権利を尊重する。の2点を骨子とした)、その履行を再度求めた国連安保理決議337を、イスラエルがアメリカの後押しで完全に無視しつづけ、占領地の状況ますます悪化していっている。

そしてこれがイスラム過激派がアメリカを攻撃する口実になっている。
そう、確かに国連決議を無視しつづけパレスチナを占領しているイスラエル、
それを庇っているとしかいえないアメリカは理不尽だ。
しかし、「パレスチナ」という言葉は、アラブ人(広くイスラム教徒と言ってもいいかもしれない)にとって、
良きにつけ悪しきにつけ「免罪符」になってしまっていて、
ここに非ムスリムの理解しがたい「打倒アメリカ!」のスローガンが浮かび上がってくる。

もし、全てのテロ事件で「パレスチナ解放!」という言葉が聞かれなかったとしたら、
多分ほとんどのアラブ人は犯人のことを「マグヌーン(クレイジー)。」と一刀両断にすることだろう。
ところが。
一度でも「パレスチナ」と言う言葉が聞かれた日には、話しはだいぶ変わってくる。
彼らは思う。
「アラブ人として生まれたからには、犯人のことを理解しなくてはならない。」
なぜなら、パレスチナは開放されなくてはならないから。
開放させることが、アラブ人としての義務であり、権利だから。
犯人のやり方はちょっと荒っぽかったけれど、
イスラエル軍を見てみろ!
やつらのやり方はどうだ!
少しぐらい、汚いやり方をしなくては、やつらは追い出せないぞ!!!

しかし、冷静になって考えてみよう。
オサマは本当にパレスチナのことを考えているのだろうか?
むしろ窮地に追い込んでいるんじゃないか?
彼の豊富な資金があれば、パレスチナをもっと効果的に援助することができる。
適切な人材に教育を受けされる機会を与える。
近代的な病院を作る。
何でもいい。
イスラエル統治下にあっても、できることはたくさんあるはずだ。
資金さえあれば。
実際に、イスラム原理主義団体は人的援助で支持者を集めている所も多い。
病院を作ったり、教育の機会を与えたり。
人々の目線に立って援助をしている団体が多いことを忘れてはならないと思う。
でも、オサマはどうだろう?
実際に彼はそういう「人的援助」に資金を使っているんだろうか?
そんな話しは聞いたことがない。
誰か教えてください。

アラブ人も、パレスチナ人も、「パレスチナ」と言う免罪符を
これ以上ばら撒かないように注意しないとだめだと思う。
世界中のほとんどの人にとって「パレスチナ」は免罪符ではない。
むしろ常に問題を引き起こす最悪のカードのようなイメージしかない。
うわべだけ、おいしいところだけ利用する輩に自ら手を貸して、
自分の首を締める付けていることに、
そして、「パレスチナ」という名前が利用されてしまっていることに、
早く気がついて欲しい。
クルアーンにも書いてあるではないか。
シャイターン(悪魔)は気が付かないうちに、いつのまにかやってきている。
味方のような顔をして。


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