江草 乗の言いたい放題
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2022年01月31日(月) 橋下徹はヒトラーではない        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan


 1月21日に過去に総理大臣も経験した民主党の元代表である菅直人衆議院議員が次のようなツイートをした。

橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。

 菅直人はこれ以外にもツイッターで維新の会についていくつか書いてるが、読んでいると彼が維新の会のことについてあまりにも無知であり、間違った認識を持ってるかがよくわかる。立憲民主党の中に「維新と戦う会」みたいな組織を有志で立ち上げようとしてるみたいなんだが、きちんと維新のことを知る人を入れないとダメである。政界引退した樽床元民主党副代表あたりを招へいすればどうだろうか。彼は大阪のことならよくご存知だろう。

 さて、上記のツイートに関してだが、維新の会の「民を切る改革」を知っているとあの連中が絶対に「福祉国家的政党」ではないことは明らかである。菅直人はそんなこともわからないような馬鹿である。また「弁舌の巧みさではヒットラーを思い起こす」という部分だが、これは「ヒトラーのように弁舌が巧みである」という意味の比喩表現である。日本語の比喩表現にとって大切なのは、「〇〇のように」と例えるときは決してその例えられるものと同じではないということなのだ。だから「橋下徹はヒトラーのように巧みな弁舌」という場合、橋下徹≠ヒトラーなのである。

 わからない人のためにいくつか例示しよう。

たとえば「○○の行動はまるで老人のようだ」と書いた場合、〇〇に入る人は決して老人ではない。老人ではない人に向かってその行動を「老人のようだ」と言うのである。同様に「あいつの口調はヤクザのようだ」と例える場合、あいつがヤクザではないことは明白である。比喩表現というのは、ある人の属性の一部分を切り取ってわかりやすく例える表現方法なのである。

 この比喩表現には「隠喩」と「直喩」がある。「直喩」というのは「まるで〇〇のようだ」「あたかも〇〇のごとし」という書き方であり、比喩であることが明示されている。「橋下氏の巧みな弁説はまるでヒトラーのようだ」「弁舌の巧みさはヒトラーを思わせる」という意味で語った菅直人の言い方はあきらかに「直喩」である。

いっぽう「隠喩」というのは「〇〇のように」の「ように」の部分が省略されてしまったものである。たとえば「君の瞳は1万ボルトの輝きのようだ」という書き方は直喩だが、「君の瞳は1万ボルト」と書くと隠喩となる。制限された文字数で表現する必要のある韻文や歌詞ではこのような「隠喩」が使われることも多い。もちろん君の瞳は1万ボルトなんかではない。ただ、スパイに向かって「おまえは官憲のイヌか?」と罵る場面などはイヌを比喩表現に使ってるのかそれともその単語自体にスパイの意味を持たせているのかが曖昧なのである。

 菅直人が「弁舌の巧みさではヒットラーを思い起こす」と書いた部分は、高須克弥とか麻生太郎、石原慎太郎のようなヒトラーを崇拝しそうな方々から見れば誉め言葉なんだが、菅直人が誉め言葉で使うはずがなくてここは「ヒトラーのような危険な詭弁野郎」という意味で用いてるのである。ただあくまで「比喩」という日本語表現の特性から考えれば、やはり「橋下徹=ヒトラー」という意味ではない。

 ここまで書いてきて、読んだ人が「そんなおまえみたいな反維新のクソ野郎の言ってることなんてあてにならない」と言うかもしれないが、オレは国語の教員免許を持ち、高校で教壇に立っている人間である。そのオレが日本語の修辞法について語っているのだからそこらの素人が勝手なことをほざいてるのではないということを理解して欲しい。

 そう考えたとき、菅直人の発言に対して「わが党の創設者の橋下天皇をヒトラー呼ばわりするとは何ごとか!」という意味ともとれる無理筋の言いがかりをつけた松井一郎や吉村洋文という維新幹部の連中は、まともな読解力もなく、国語力の足りない情けない人たちということになる。なんと馬場幹事長が書いたという抗議文まであるのだが、この抗議文はダメな論文の見本として参考書で引用してもいいくらいにレベルが低い。

 維新の連中がやってることは、乱暴な口調の悪質クレーマーに対して「そんなヤクザみたいな言い方は止めてください」とやんわりと言うと、「人をヤクザとはなんだ!」と逆切れして暴れるようなものである。「ヤクザ」と「ヤクザのような」は全然違うのに、その二つを一緒くたにしているのが維新の会の幹部たちなのである。ある意味ほんまもんのヤクザよりもタチの悪いごろつきどもである。

 まあ維新の会の幹部というのは、コンビニでバイトの接客が悪いと言って大暴れして店長に土下座させようとする程度のDQNしかいないわけで、そのDQN政党にまともな行政を期待するほうが無理である。コロナ死亡率日本一という大阪の今の状況はまぎれもなく医療行政を破壊した維新の会のせいである。

 大阪府にあった「公衆衛生研究所」、大阪市の「環境科学研究所」を「似たようなものが二つあるのは二重行政だ」と無理やり統合させ規模を縮小した。その結果大阪は自前でオミクロン株の判定もできないのである。行政をとことんスリム化すると、有事に対応できなくなるのは今の大阪の混乱を見れば明らかである。

 独裁者的にふるまう政治家が「ヒトラーのようだ」と例えられることはタブーでもなんでもなく、世界中で普通に例がある。トランプもそのように何度も例えられたし、海外では「Hashimoto as Hitler. 」はすでに以前から書かれている。おそらくは英語にあまり堪能ではなく、海外記事で自分がどのように書かれているかを橋下徹が知らなかったというだけのことである。それを「国際法上ありえない」といきなり虚偽のルールを持ち出して反論するのは橋下のいつもの卑怯な論法である。もっとも指摘されたせいかだんだん橋下のトーンは下がっていて、今は「ぼくとしてはありえない」というマイルールのところまで来たわけだが。

 橋下徹はヒトラーではない。そんな大物のわけがない。せいぜい文通費から党に寄付されたゼニを講演料という形で自分に還流させる程度のケチ臭い守銭奴である。平熱なのにパニックになってPCR検査させるようなビビりのオッサンである。その程度のケツの穴の小さい人間が、タイタンという大手芸能事務所に所属してテレビに出してもらえてるだけである。過去の自分の発言と矛盾することでも平気で放言し、自分が人気者であるかのように勘違いしてる痛いオッサンである。テレビしか視ていない惰弱や馬鹿は騙せても、ちゃんと教養のある相手は騙せない。いずれ中味のなさが明らかになって消えていくだろう。観ているだけでも気分が悪くなるうっとおしい嘘つき野郎だが、あとしばらくの辛抱だとオレは思っている。


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2022年01月30日(日) 節分の鬼と『鬼滅の刃』        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan






 日曜日夕方に放送される『笑点』で、出演者が鬼のコスプレをしていた。アフロヘアにして角をつけるというコスプレである。鬼がそうしたスタイルであるというのはいつから始まったのだろうか。もうすぐ節分である。

 そもそも「鬼」とは何か。漢文でも「鬼」という語は出てくるがそれは日本語での「幽霊」の意味で用いられる。しかし日本で「鬼」というと、桃太郎に退治される存在であり、角を生やした悪党である。この伝統的スタイルの鬼に対して、新たな概念を与えたのが大人気のアニメ『鬼滅の刃』だった。そこに登場する鬼はさまざまな姿をしていて、従来の鬼とは全く違ったものだった。その姿を見た幼い子は本当に鬼を恐れるようになるだろう。もしも節分の日にお父さんが『鬼滅の刃』に出てくる上弦の鬼のコスプレをしたら、子どもは恐怖のあまりオシッコをちびってしまうかも知れないのである。

 節分の日に鬼に対して人間が用いる武器は「豆」である。どうして豆なのか。そしてそんなものを投げつけられてもちっとも痛くないのに鬼は逃げるのである。「福は内、鬼は外!」と言われて鬼は人間社会から追われるのである。居場所を与えてもらえない悲しい存在が鬼なのだ。そこにオレは社会に排除された人たちや、戦争などで故国を追われた流浪の民の悲劇を重ねてしまうのである。そこで「鬼さんがかわいそうだ」という視点を持てる子どもがいれば、その子はきっと心優しい人間として成長していくだろう。

 オレが大学生の頃、京都大学のキャンパスに隣接する吉田神社の節分祭というのは楽しい行事だった。東一条通をぎっしりと屋台が埋めていて、そこで買って食べ歩きするというのが楽しみだった。昨年はこの屋台は設置されず寂しい節分だったが、今年は数は減らされるものの復活するらしい。残念ながら平日なので行けないのだが、京都の風物詩だけに早くいつもの姿に戻って欲しいのである。

 京都大学ではその頃ちょうど後期試験が行われている。本部構内と吉田キャンパスの試験の静寂に挟まれた東一条通だけが全く異世界のように賑わっていたのである。そこでオレはちょっとしたおやつを買って食べ、また試験の教室に戻るという感じで後期試験の時期を過ごした。

 スーパーのお菓子のコーナーにはバレンタインデーのチョコレートが並ぶわけだが、節分の前後にはほんの少しの期間節分用のお菓子が並ぶ。オレは京都の豆政というお店の「五色豆」が大好きなんだが、京都で節分の時に小袋に入って参拝者に配布される「豆」は基本的にこの「豆政」のものである。

 水木しげるの功績は、民話や伝承の中に存在した「妖怪」をメジャーなものにして紹介したことである。そうして多くの妖怪が市民権を得ることとなってついには『妖怪ウオッチ』なるアニメまで生まれた。もしも水木しげるがいなかったら『妖怪ウオッチ』もなかったとオレは思っている。

 かつての民話や伝承の世界にあった鬼の姿を現代(というかあの世界は大正時代あたりなんだが)にリアルに描き出した『鬼滅の刃』はまぎれもなく世界に誇れるアニメである。その戦闘シーンの鮮やかさや迫力は従来のアニメとは一線を画している。あの動画の制作過程はどうなっていたのだろうかとオレは感嘆するのだ。

 日本旧来の行事である「節分」とコラボした『鬼滅の刃』関連商品がコンビニやスーパーの店頭に並んでいる。商魂たくましいと言えばそれまでだが、子どもたちはどんな気分でそこからお菓子を選ぶのだろうかとオレは思うのである。好きな味ではなく、好きなキャラが描かれたものを買うのだろうかと。


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2022年01月27日(木) 誰が中国を裁けるのか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan






 中国が新疆ウイグル自治区でやってることは明確な人権抑圧である。住民を収容所に送り込み、イスラム教から改宗させたり共産党思想を無理やり押し付けたりする文化的侵略や思想教育は断じて許してはならない。しかし、先進国は過去にこのようなことをどの国もやってきたわけである。100年前にはどの国もやっていたことを今の中国がやってるからと、誰が中国を裁けるのか? その過去の罪にまともに向き合わずに来た国々に対して、中国が「内政干渉するな」と開き直ることはある意味正当な言い分であるような気もするのである。

 日本もかつて北海道の先住民であるアイヌに対して苛烈な搾取と文化的破壊を行ってきた。彼らは自分たちの文化や言語を奪われて日本人に同化させられた。沖縄や八重山諸島も同様である。薩摩藩は琉球に対して過酷な収奪を行ってきた。その負の歴史を我々はどれだけ知っているだろうか。

カナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民居住区は寄宿学校跡で93の墓とみられるものを発見したと発表した。同国では昨年、各地の寄宿学校跡から何百人もの子どもの遺骨が見つかり、全土を震撼(しんかん)させてきた。カナダ史の暗部と先住民の強制同化政策について、カナダ人自身はどれだけ知ってるのだろうか。これらの政策はつい最近の1990年代まで行われていたことなのだ。先住民の子ども約15万人が国内139か所の寄宿学校に送られ、家族から引き離された上、母語や伝統文化に触れないまま長期間の生活を強いられたという。それと同じことを今の中国が政策として行っているだけである。カナダ政府には中国の今の人権抑圧を告発する資格はないということになる。


 北海道にはウポポイという先住民の文化を学べる施設がある。そこでは過去に和人がアイヌに対してどんなひどい搾取を行ったのか詳しく紹介されている。もちろんこのような施設を作ったからと言って過去の罪が消えるわけでもない。だから単なる偽善に過ぎないわけだが、たとえ偽善であっても「知る」ということには意味があるのだ。現在起きている人権抑圧を「存在しないこと」としてごまかそうとしている中国に対して、「我が国も過去に同じ過ちを犯した。だからこそ二度と起きないように訴えるのだ」という姿勢こそが求められるのではないか。

 最近になって有吉佐和子さんの小説「非色」が復刊された。これは戦後すぐに進駐軍の黒人兵と結婚してアメリカに渡り、そこでさまざまな差別を経験する日本人女性の物語である。オレはまだ未読なので読んでみようと思う。有吉佐和子さんは『複合汚染』『恍惚の人』などのような社会に問題提起する形の作品を残されている。数十年前の日本でそうした視点を持って作品を書いた人がいるのである。認知症の老人が交通事故を起こして若者の命を奪う今の時代状況の中で、『恍惚の人』という作品で描かれた老人福祉の問題はいったいどれだけ改善されたのだろうか。

 中国の人々が全員、習近平を神とあがめていて台湾への武力侵攻を支持し、その政策を全面的に支持しているわけではないだろう。そこにも必ず心ある人々がいて、少数民族の文化が破壊されることを危惧し、その人権を守ろうとして活動する人がいるはずである。オレはそういう人たちと連帯したいのである。

 社会を分断して「あいつらは敵だ」と攻撃することで世の中は変わらない。「大阪を前に進める」と住民を騙して、その納めた税金を巻き上げる連中はただのクズ野郎どもだ。今の日本を変えるためには、社会の構造を根本から変えるしかない。そのためにどれだけ時間がかかるだろうか。

 オレがそのことに気づいた時はもう遅かった。老人になったオレには時間はもうほとんど残されていない。ただ幸運なことはオレが教育という世界で働いていることである。オレにはできなかったことを次の世代の若者に託すことだけはできる。腐った日本社会も腐った大人たちがみんな絶滅した後でもっとよい社会になってるかも知れない。CIAの工作員、岸信介の孫である安倍晋三が日本の国益よりもアメリカの国益を重視してきたこともおかしさに気づいた人たちはどんどん増えている。そして「れいわ新選組」という貧しい多くの人たちの生存権を守ろうとする政党が出現した。れいわ新選組は国会で議席を獲得するようになった。その一方で国民を分断し、新自由主義のイデオロギーで庶民を奴隷にして搾取しようとする「維新の会」という勢力が大きく票を伸ばして野党第一党となろうとしている。

 社会はどんどん変わっていく。しかし、良い方に変わっていくとは限らないのである。それはこの世にいるのが良い人間ばかりではないからだ。オレはそれが残念でならないのである。




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2022年01月25日(火) DQN防止法の成立を!        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 電車内で優先席に寝そべって加熱式タバコを吸っていたDQNに向かって注意した高校生が、そのDQNに暴行され重傷を負った。電車で寝そべってタバコを吸うという明かなDQN行為を見れば「こいつまともじゃない」と普通の大人は判断して近寄らない。ましてやその男が身長193センチ、体重も100キロ以上というゴリラのような巨体の大男であれば、暴れられると危険である。

 しかし、そのDQN野郎に勇気をもって注意した高校生がいたのである。しかし、DQN野郎はその注意を「ケンカを売ってきた」と受け取り、高校生に対して10分間以上殴る蹴るの暴行を行い、土下座させてその頭を踏みつけた。高校生は顔面が陥没するような骨折の重傷を負った。

 マナーに反する行為を平然と行い、注意されるとキレて暴れるようなDQNに対して、人権は必要だろうか。これはあおり運転をして、車から降りて殴りかかってくるようなキ〇ガイに対しても思うことだが、そういった行為には通常の傷害罪とか暴行罪という範疇で罰を与えることは不適切だと思うのである。DQN罪というものを刑法で定め、そういう輩には一律に「島流し」という罰を与え、日本のどこかの無人島を「DQN島」と認定してそこに送り込んで二度と社会に戻れないようにするしかないと思うのである。

 もちろんそういうDQNであっても生存権は最低限保証してやらないといけないので、食糧は定期的にDQN島上空からヘリで投下すればいい。北硫黄島のような絶海の孤島なら脱出用にいかだを作って逃げることも困難だろうし、島にいる限り食糧は投下されるので病気にならない限り生存できるだろう。DQNばかり集めれば自然と島の中で秩序が生まれて、それなりによろしくやっていってくれるだろうという気もするのである。

 このようなことを書くと、「DQNに対する差別を助長するのか」とか「DQNという言葉を使うな」とか「これはヘイトスピーチだ」と言われそうなんだが、人は生まれたときからDQNということはないのである。これが人種差別やジェンダーによる差別とは違うことである。子がDQNにならないように親は育てることができるわけだし、DQNの子がすべてDQNになるわけでもない。

 するとまた「DQNの明確な定義がない」というと言われそうである。確かにオレも明確な基準があって断定しているわけではない。それでとりあえずDQN三要素というのを提唱しておきたい。

1、他者への暴力
2、ルールを守らない行動(禁止された場所での喫煙や信号無視)
3、馬鹿


 この3つの要素にすべて当てはまる人間をオレはDQNだと認定したい。

 政治家の中にもDQNは大勢いる。松井一郎や安倍晋三もDQNだとオレは思っている。もちろん直接手を下すような暴力を彼らが行ってるわけではない。しかし、間接的に人が死ぬような行為に平然と手を染めていてしかも開き直ってる。だからオレの判定基準の中では松井一郎と安倍晋三はDQNである。

 イギリスではルールを破って宴会をしていた場合、大統領や首相であっても訴追されたり辞任させられるということだが、日本では松井一郎のように平然と開き直っているのである。公務員の喫煙は厳しく処分するが、自分は公用車を喫煙所にしている松井一郎は真正のクソ野郎である。彼に投票した大阪市民には市民税を3倍くらい払わせるべきである。


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2022年01月24日(月) ケツヒーターの快楽        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 最近特に寒さが厳しい。そういうわけでオレは通勤時にダイハツ・ロッキーに装備されたケツヒーターを愛用している。これはすぐにケツを温めてくれるのでとても便利である。0度近い冷え込みの中で、走り出して5分もしないうちにホカホカとケツがぬくもるのは本当に幸せなのである。

 ケツの快適さはやはり生活の快適さの中でもかなり重要だ。それは便秘や下痢が著しくQOLを低下させることからもよくわかる。その昔、便秘に悩んだオレは便秘薬に頼っていたが飲むと必ず下痢になってしまうのが厄介だった。ちょうどいい効き目のものはないのかと、昔かかりつけの医院でもらった「ヨーデル」という薬を飲んでみると、自然なお通じがやってきたのである。貰った時は「全然効かないなあ」と使わずに放置していたのだが、昨年夏に胃カメラをしたときにピロリ菌野郎が棲息していることがわかり、抗生物質で除菌した。それで腸内環境が変化したので薬の効き目にも変化が起きたのかも知れないのである。

 職場では椅子にジェルクッションを敷いている。長時間座ったままで仕事をするのでやはりケツの快適さは大事である。硬い椅子に長時間座るとたまに痔の症状が出ることもあるので、ケツを守るためにも柔らかな椅子は欠かせないのである。

 自転車競技に打ち込んでいた頃のオレはケツがデカかった。そこに肉がつくからであろう。その頃のデカかったケツと太ももは今は見るかげもなく衰えたが、そうして柔らかな椅子に座らないといけないということはケツのせいかも知れない。またしっかりとケツを鍛えれば、どんな硬い椅子にも平気で長時間座れるようになるのだろう。筋トレ好きの次男から「室内でこげるバイク買えばいいやん」と勧められたことを思い出す。テレビを見ながら家の中で運動できるからいいということらしい。

 毛沢東はその著書の中で「根拠地は尻だ」ということを書いていた。そうして落ち着く場所があるからこそ長い戦いにも耐えられるということなのだろう。ケツを愛するとか、ケツが大事というと一部の違った意味でケツを愛する人たちに誤解されてしまうことも多いが、オレはケツの重要性を改めて思うのである。

 車の装備品の中でこの「ケツヒーター」というのはどれくらいの率で装備されているのだろうか。オプションの中で重要度はどのくらいに認識されているのだろうか。

 次にクルマを買い替えることがあるかどうかはわからない。ただ、もしも人生最後の車を次に選ぶとしたら、その時は迷わずケツヒーターを装備したクルマを選ぼうと思っている。冬場にこれほどありがたい装備はないからである。
  


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2022年01月23日(日) USJクラスタは誰のせいか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 東京大阪で過去最高の人数を更新し続けている大阪の新型コロナ感染者数だが、大阪の場合は特に20代が突出して多い。その理由ははっきりしている。1月8日、9日、15日などに行われたUSJでの新成人の集いである。8日と15日は閉演後2時間は新成人だけのアトラクション貸切となったらしい。ここでオレが詳細について「らしい」と書くのはなぜかというと、この件に関する報道がすべて新聞社のWEBサイトから削除されているからである。オレは今、大正区のWEBサイトにある成人式の案内記事をもとにして書いている。

 大阪市民の新成人たちは、区ごとにそれぞれの区で開催される成人式に出た後、このUSJの無料招待と、閉園後の全館貸し切りではじけまくって遊び倒したのである。その結果がどうなるかはもはや書かなくてもわかるだろう。そこで発生した巨大なクラスターが今大阪中の若者を襲ってるのである。松井一郎はわざわざこんな時期に、参院選で維新の会に投票してもらうことを目的にして「新成人の集い」を開催し、参加者に「これもすべて松井さんのおかげです。松井さんは大阪の父、我々の偉大なる指導者です」と言わせたかったのである。まるで北朝鮮である。

 若者は無症状者が多い。そうして家に持ち帰ってまず家族が全員感染する。そして症状が出るまでは自分の感染には気づかずに普通に学校や職場に行くのでさらに感染は広がっていく。今の大阪はもう濃厚接触者を追いかけることをあきらめ、感染しても自宅放置を余儀なくされる状態なのである。

 大阪府が設置したナビダイヤルに電話を掛けると、保健所の電話番号を教えられるだけで全く何の意味もないのだが、もちろん有料サービスなのでゼニだけふんだくられる。保健所の方は人手が足りずにパンクしたような状態だが、吉村知事は「人は増やした」とテレビで放言しているが、実際は他部署から応援してもらっている程度で深夜まで残業しないと回らない状態はちっとも改善されてない。慢性的に人が足りないのである。「第六波は来る」と吉村知事は予言したが、その第六波に対する備えは全くできていないかったのだ。

 南港インテックスに作った中等症者向けの大規模施設は、ベッドが並んでそこにエアウェーブの立派なマットレスがあるだけで看護師や医師と言った医療従事者はいない。ただの箱であるがそこに80億円がつぎ込まれて「やってる感」を演出している。大阪では自宅放置者が2万人を超えているのに、この施設は何も機能していないのである。

 USJクラスタが起きなければ今ほど若者に感染は広がらなかっただろう。現状で医療崩壊している大阪の状況はもっとマシだったということは間違いない。そこを突っ込まれたくないので維新の会は朝日新聞や毎日新聞に圧力をかけて、ネット上にある「ユニバ新成人の集い」に関する記事を削除させたのだ。記事を削除して「なかったことにする」というのは維新の会の連中がいつもやることである。議員が不祥事を起こしても「離党や除名」でなかったことにするだけである。起きたことに対する説明責任など一度も果たしたことがない。自信の100万円ネコババ事件に対しても吉村知事は「ブーメラン刺さっていますけど満身創痍でがんばります」と開き直るだけである。ホンマモンのクソ野郎というのはこういう人間のことを言う。

 維新の会のやることは自民党政治の悪の部分の凝縮である。「責任は認めます」とは言うが、責任を取ったことはない。そんなことまでマネしなくてもいいと思うのである。

 貝塚市長選挙で維新の会と戦うのは自民党の元市議なんだが、立憲も推薦している。そのことに関して維新の会の連中は「立憲と自民が組むなんて」と批判してくるのだが、そもそも維新の会というのは党派を超えた「悪」そのものの反社会的集団であり、他党が結束するのはその悪を打倒したいからである。これはもう善と悪の戦いで、維新に投票するというのは悪の側に加担するのと同じである。

 USJクラスタで若者に広がった新型コロナ・オミクロン株は家で家族からあらゆる年齢層に広がっていく。もしもその感染のために高齢者が亡くなれば、それはすべて松井一郎のせいである。維新の会の思想様式は「役に立たない人間はいらない」「金を稼げない人間はゴミ」ということなので、コロナを一気に拡散させて高齢者にどんどん感染させるというのは実は福祉のゼニを節約するために松井一郎と維新の会が大阪市民に向けて仕掛けたテロである。



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2022年01月21日(金) 男の裸と国会中継と        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 NHKの国会中継で、志位さんの代表質問の最中に放送が終了した。どうして最後まできちんと放送しないのか。それを国民に見せたくないという悪意があるからである。サブチャンネルを使用しての放送継続などやり方はいくらでもある。最近のNHKの偏向ぶりや、東京五輪反対運動に関するねつ造番組など公共放送としての立場をわきまえない行動が目立つわけだが、それにしても国会中継の軽視は許せないことである。

 NHKは大相撲を独占中継している。あんなものにオレは全く興味がない。日本人の力士が減少して今はお雇い外国人に支えられてかろうじて継続してる大相撲はもう国技とは呼べない。モンゴルにでも興行権を譲渡してやめてしまえよとオレは言いたいのである。そもそも今の中学生、高校生の中に相撲に興味がある人などほとんどいないだろう。

 不健康に巨大化した男たちを、ほぼ全裸に近い恥ずかしいスタイルで戦わせる「相撲」という競技はもはや時代錯誤も甚だしい。その上に「部屋制度」などというまともな給料も払わずに力士たちを虐待する前時代的な仕組みが残っているのである。NHKはもう大相撲の放映権を民放に売却すべきである。取り組みと取り組みの間にCMを挿入できるから相撲は民放のコンテンツにこそふさわしいのである。

 オレは男の裸には全く興味がない。女性の裸は美しいし芸術だと思うが、男の裸はたいてい醜悪だ。ボディビルで鍛えられた筋肉モリモリの身体を視ても「キモイ」としか思えないのである。だから大相撲にも興味がないのである。

 だが国会中継には興味がある。一年前には菅義偉という3つしかことばをしらない幼児並みの総理大臣がいて、自民党の人材不足もここに極まったかと思ったが、それに代わった岸田文雄も唯一の長所は「会話ができる」という程度であり、3歳児が7歳児に進歩した程度の違いしかない。ちなみに菅義偉の3語とはこの3つである。

「法律に基づいた行為である」
「理由は説明できない」
「何も問題はない」


 老人たちはTVしか視ていない。オレの母もテレビしか視ないのでネットにしか存在しない情報はオレが説明してやるしかない。そのテレビが今は実に情けないのである。せめて受信料というゼニで運営されているNHKは不偏不党の立場で国民に奉仕するのが義務であるとオレは思っている。政権の御用マスコミとして電通の支配下に堕ちた民放にはできない番組を作ってもらいたかったのである。そのNHKがこれではもうダメだ。オレは受信料をこのまま払い続けることに対して大いなる疑問を抱いているのである。


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2022年01月18日(火) 東大刺傷事件についての私感        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 共通テストの初日、会場になった東京大学で受験生に対する無差別テロを行って、3人に対する刺傷事件を起こしたということで愛知県の東海高校の2年生の生徒が殺人未遂の容疑の現行犯で逮捕された。その少年は大量殺人事件を起こした後で自分も切腹して死ぬつもりだったという。彼をそのような精神状態に追い込んだものはいったい何だったんだろうかとオレはあれこれ考えてしまうのである。

 テレビで放言するしか能のない無責任な連中は「受験だけが人生じゃない」「医学部だけが人生じゃない」と語る。かつての自分の浪人体験をラグビー全国大会のせいにした橋下徹は「成績が伸びなかったのは自己責任」と語る。しかし世の中には「受験だけが人生」の人もいれば「医学部に入れなかったら親に勘当される」ような人もいるのである。秋篠宮家に生まれて本来ならば気楽な人生を送ることができたはずの悠仁親王が、たまたま皇后陛下に男児が生まれなかったために将来の皇嗣としての人生しか用意されてないという不条理を世間の人はどう受け止めているだろうか。自分の人生を自分で選ぶことができるなんてことはとても幸福なことなのである。

 オレの両親は貧しい露天商だった。たまたまものすごく記憶力が良くて成績もよかったオレは物心ついた時から学校では優等生だったし、高校受験も学区内で一番入学試験の偏差値の高い高校に進学できた。小説が好きでなんとなくモノ書きになりたいと思っていたオレは、医学部出身の作家が多いことを知り自分も地方の大学の医学部に入りたいと思った。それで信州大学の医学部が第一志望だったのだ。それはただ単にサイクリングで何度も訪れた諏訪が好きだったから、その土地で学生生活を送りたかったからである。

 オレが尊敬するSF作家で豊田有恒さんという方がいるが、彼は東大理Ⅲと慶応・医の両方に合格し、慶応に進んだが中退している。当時よく読んだ渡辺淳一もやはり医学部出身だ。だからオレは、医学部に入るのは医師になるためではなく作家になるための一過程としてとらえていたのだ。そして地方の国立大医学部なら自分は十分に入れると思っていたのである。

 オレが高校2年の時、信州大医学部は生物が必須になり、生物の授業をちっともまじめに受けてなかったオレは志望校の変更を迫られた。そうなると信州大以外の医学部になるわけだが、具体的にどこの大学に入ろうということは考えていなかったのである。

 オレが最初に大学受験のための模試を受けたのは高校2年の3学期だ。だからそれまでのオレは自分の能力がどんなものなのか、それは受験生の中でどんな位置づけになるのかなどということが全く分かっていなかった。オレが意識していた物差しは、通知表に記入された学年席次やクラス席次であり、自転車競技に熱中していた高校1年の時のオレは学年495人中481番というひどい席次だったこともある。45人クラスの44位だ。そこでもオレよりも下はいったい誰だろうなどと考えていた。東大や京大なんてありえないというのが高校1年の時のオレの成績である。数学で0点だったこともあれば、英語で赤点をとったこともあった。

 国語と地理だけは得意でクラスの上位だったオレに、春休みに英語の特訓をしてくれたのは当時の国語教師である。授業の前にどれだけ時間をかけてでも全文訳出来るまで予習するという習慣をつけたことで、オレの英語の成績は劇的に伸びて、高校2年の終わりごろにはクラス内席次も一桁台になった。まさか自分がその田舎の進学校で学年10位くらいの位置につけていたなんて、河合塾の全統模試を受けるまでわからなかったのだ。

 高校2年ということでその模試はまだ社会、理科が1科目だった。地理Aと物理Ⅰはほぼ満点取れる力があった。まさかできなかったはずの数学Ⅰで高得点できていたとは思いもよらず、高校の先生方もびっくりしていた。軽いノリで書いた京大医はB判定、工学部原子核工学科はA、慶応医学部はB、学習院大理学部数学科は志願者中1位だったかな。とにかくものすごい好成績だったのである。オレは舞い上がった。ただその成績は「共通一次」の可能性だけで、二次試験の記述力は除外されている。

 範囲が狭く問題が易しい共通一次では高得点できても、二次試験レベルの問題が解けるとは限らない。オレは広く浅い知識を必要とする共通一次では9割を超えて得点できるのに、数学Ⅲや物理Ⅱの勉強ではかなり手を焼いた。微分積分は得意だったが、数列や漸化式は苦手だった。現役で京都大学医学部なんてとても無理だと思ったし、浪人して頑張ればなんとかなったかも知れないがそもそも浪人なんてしたくなかった。

 高校3年の夏休みは趣味の自転車旅行にも行けず、ずっと数Ⅲや物理Ⅱ、化学Ⅱの問題と格闘しつづけた。古文漢文はすでに高校1年の時に完成していたし、現代文なんて模試の時に真剣に問題を解くだけで普段の勉強なんか皆無だった。オレは理系科目と格闘して苦しみ、高校3年の秋にそこから逃げた。ほぼ一か月勉強しなかった。片思いしていた女の子に振られ、自暴自棄になった結果のことである。その結果としてもう数Ⅲや物理Ⅱ、化学Ⅱをやらなくてもいいという晴れ晴れした気分で文系への逃亡者となった。

 オレには幸いなことに「絶対に医学部に行かなければならない」というプレッシャーはなかった。ただ、商売人だったオレの父親は息子を医学部に入れたらゼニになると思っていたようだし、本家の跡取りであるオレの従兄弟は三国丘高校から自治医大を出て医師になっている。だがオレは18歳にして「京都大学文学部」という人生の落伍者の集団に身を投じることを選んだのである。
オレの進んだ道は医学部の対極だったわけだが、もともと医学部に行きたい動機が不純だったわけで、そんな人間よりも奉仕の精神に溢れる有為な人材が入るほうが税金で運営された国立大学の医学部にとって有益なことである。

 現役で京大医学部に入る困難さを思えば、文学部なんて受験のうちにも入らない。貧困な家庭に生まれ、高校1年の時は劣等生として級友から見下されて差別されるという経験をしたオレは、「医学部に入る」という実質よりも、「京大文学部」というブランドの方を手に入れたかったのだ。そんな不真面目などうしようもない人間だったのだ。文Ⅰや文Ⅱに見下される東大文Ⅲよりも、18歳にして人生を捨てたという京大文学部の方がカッコいいし女にモテると思っていたのである。太宰治や坂口安吾、織田作之助のような無頼派の作家にあこがれ、放蕩無頼の人生を生きようと思ったのが当時のオレの姿だった。

 オレは大学の4年間、ろくに勉強しなかった。いざという時の就職用に国語科の教員免許を取るための単位取得と、卒業に最低限必要な単位の取得以外はバイトと旅行とナンパに明け暮れていた。だから大学の4年間しっかりと勉強された方には本当に申し訳ないと思ってるし、オレのようなふまじめな受験生が合格したということは、その代わりに本当に学ぶ意欲に燃えていた未来ある学生の居場所を奪ってしまったということなのである。

 担任から「東大理Ⅲは無理」と言われて人生に絶望した少年の担任教師がもしもオレだったら、きっと今回の事件は起きなかったはずだ。さまざまな医学部受験生を見てきたオレは彼に「絶対に入りたいなら合格するまで何年でも受け続けろ」と東大受験を勧めたはずである。進路指導に正解はない。人生がその先どうなるかは誰にもわからないからである。



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2022年01月17日(月) 震災から27年~忘れるということ        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





あの阪神大震災から27年が過ぎた。早朝の地震であったために倒壊した多くのオフィスビルはまだ無人だった。もしもあと3時間後で地震が起きていたら、新幹線やラッシュアワーの満員電車の脱線で想像もつかない被害が起きていただろうし、倒壊したビルの下敷きとなって多くの人命が失われていた可能性がある。

今、神戸を歩いても震災の記憶につながるような建物はほとんど残ってない。あの地震を機に建物の耐震基準は大きく見直された。その結果として多くのビルで耐震のための改修が行われ補強された。耐震工事をしていたおかげで東日本大震災の時に倒壊を免れた多くの建物がある。その一方で、危険な建物はまだ多く残っている。

 地震によって死ぬのではなく、建物によって殺されるということを阪神大震災で我々は学び、建物が倒壊しなくても津波によって死ぬということは東日本大震災で教えられた。そして地震でも津波でもなく、原発という人間が作ったものがリスクになるということも東日本大震災がなければ我々は意識することもなかっただろう。

 太平洋戦争の記憶を持つ人がいなくなったから声高に武力行使を主張する人が増えてきたのではないだろうか。「敵基地攻撃能力」などという概念を振りかざし、先制攻撃を主張する政治家もいる。「相手が攻めてくるかも知れない」という疑心暗鬼が、小さな紛争を引き起こし、やがて全面戦争へとつながる。武力侵攻によるクリミア半島占領をすんなりと実現できたロシアの次の標的はウクライナである。中国は将来の台湾への武力侵攻を公言している。ロシアや中国のような遅れてきた帝国主義国家に対して国連は無力である。プーチンや習近平のような独裁国家に対して、力を伴わない正義は何の意味もない。 

 地震の記憶も失われていく。南海トラフ地震はいつか必ず起きる。しかし、阪神大震災や東日本大震災の記憶はやがて失われていく。そうして人々が「安全」という幻想を抱いた時突然に地震が起きる。阪神大震災の時も、「神戸では地震が起きない」と多くの人が信じていたのである。京都や大阪も大地震のリスクがないわけではない。豊臣秀吉が築いた伏見城は地震で完成直後に地震で倒壊して多くの犠牲者を出したことが記録に残っている。

神戸の東遊園地には、阪神大震災で亡くなった人たちの名前を刻んだプレートがある。来訪者は亡くなった配偶者や両親の名前をそっと指で拭いながら、その記憶を思い出す。しかし、亡くなった人の記憶を持つ人も時間が経過するごとに減っていく。そしていつかその存在は忘れられてしまう。鎮魂のための慰霊碑は、いずれはただの歴史となってしまう。

 淡路島の北淡震災記念公園にあるにある野島断層保存館への来訪者は年々減少している。かつては小中学校の校外学習での来訪も多かったが、今はその数も激減し、そこへコロナによる外出自粛が加わった。いつかその施設も忘れられ、来訪者がほとんど無くなって廃止されてしまうのかも知れない。

 人は多くのことをどんどん忘れていく。オレが確かにこうして生きていたということをどれだけの人が覚えていてくれるだろうか。オレの過ごすリビングには8年前に亡くなった父の遺影掛かっているが、生前の父を知る人たちもどんどん亡くなっていく。8人いた父の兄弟姉妹も今は3人しか残っていない。先日墓じまいのために母と一緒に和泉市の横山墓地に行った折にそのうちの一人である叔母の所に立ち寄ってきた。叔母は若い頃に紡績の工場で一緒に働いていたので母と仲良しである。私の両親はいとこ同士の結婚だったのでもちろん叔母と母も従姉妹になる。二人は小学生の頃の思い出を延々と話していた。そんなに昔のことをどうして人は思い出せるのだろうか。

 かくいうオレにも1歳の頃の記憶がある。自分がおむつを換えられている場面も、乳母車に揺られていたことも覚えている。そうした記憶のすべても、オレの死と一緒に失われる。そうしてすべてのことが忘れられ、いつか地球が終わる時にはそこに人類という種が存在したことも忘れられているのだろう。


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2022年01月14日(金) なぜラブホテルは減ったのか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 「オレは肉食系だ」というとかつては「牛肉や豚肉が好き」という意味だったが、最近はその肉というのはつまり「人肉」の意味であり、つまりは「性欲が強い」という意味として用いられる。そして「草食系」というのは性欲の弱い淡白な人という意味となる。

 高校生の男女の性体験の有無についてアンケートをとったところ、処女童貞の高校生が増えているということがわかったそうである。オレの通っていた高校は地域では一番入学試験の偏差値の高い高校だったので処女童貞が当たり前で、うっかり高校在学中に性体験したものは必ず浪人するというジンクスがあった。だからその当時の普通の高校生がどの程度遊んでいたのかはわからないのだが、少なくとも今よりはずっと遊んでいたのだろうと思われる。

 そうした若者の草食化の結果起きることが、ラブホテルの激減である。自宅で親と同居している若者は異性を部屋に連れ込めないのである。仮に連れ込むことに「成功」したとしても簡単に「性交」に至るわけではない。ドアの外で親が聞き耳を立てていたり、部屋に親が監視カメラを仕掛けていたりするのである。また部屋には普通はシャワーなどもない。そういう不自由な環境での性行為よりも、ラブホテルの方がはるかに快適である。そういうわけで若者にとってラブホテルというのは極めて大切な施設なのである。

 そのラブホテルが激減してるのだ。通勤時に見かけていた道路わきのラブホテルがある日突然更地になっていて、しばらく経つとそこにマンションが建てられているということが頻繁に起きる。かつては日銭をじゃんじゃん生み出してくれる優良ビジネスだったラブホテルが、若者の草食化の結果儲からなくなってしまったのである。

 ラブホテルの客が減った理由としてもう一つ考えられるのは若者の貧困化である。ラブホテルのご休憩の料金というのはせいぜい5000円程度であるが、それすら払えない若者が増えているのだ。だから少しでも安くしようとしてコンビニの多目的トイレを使ったり、ネットカフェを利用したりするのである。

 貧しい若者はクルマという移動式密室も買えないし、ラブホテルにも行けない。クルマがないとラブホテルに入りにくいし、お金もない。そういうわけで若者の貧困化とラブホテル減少という状況には相関性があるとオレは思っている。ロードサイドのラブホテルがどんどん減っていく背景にはそうした事情があったのである。

 風営法で規制されるラブホテルを新規に建設・開業するのは困難である。以前にはビジネスホテルを装って開業して実際はラブホテルだったということが問題視されたが、今はそういう話も聞かない。ビジネスホテルとして営業するほうがリモートワークなどの集客ができるのかも知れない。少子化の一つの理由が若者の草食化という可能性もある。子どもを作るような行為が減少すればそれだけ子どもは減るわけである。

 ラブホテルはなぜどんどん廃業するのかということの理由を考えていくと、それは社会構造の変化や景気の悪化、そして世界の先進国の中で唯一成長しなかった日本の政治家の無能という現実に行きつくのである。

 このような社会状況を生み出したのは誰のせいなのか。日本の政治家の中で国家100年の大計というものを考えることができた人は田中角栄以後は出ていないとオレは思っている。小泉純一郎は竹中平蔵と組んで日本を外資に売り渡し非正規雇用を増やすという成果を出した。安倍晋三は司法制度を骨抜きにして日本を道徳的に破壊することが最大の成果だった。貧困化とモラルの崩壊の次にやってくるのはいったい何だろうか。なんだか日本はもう滅びるしかないような気もするのである。こんな日本で生きている若者が本当に不憫でならない。
 


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2022年01月13日(木) 夢洲カジノは儲かるのか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 夢洲に建設が予定されているカジノ・IRの売上予測は年間4400億円となっている。そこから毎年1100億円の収入が大阪府と大阪市に転がり込むということで、住民にとってこの計画は大いにプラスであるというのが計画を推進してる維新の会の連中の主張である。

 しかし、カジノってそんなに儲かるのだろうか。ギャンブルが解禁されているアメリカの合法ギャンブルの売上高の週ごとの統計があったので参考にしてみた。すると2021年のギャンブル売上高の予想が4.9兆円となっていた。この4.9兆円にはオンラインでのカジノなども含まれるので、州ごとの統計の方が参考になる。ラスベガスのあるネバダ州の売上高は4半期で34億6000ドル、(3800億円)、これを単純に4倍すると1兆5200億円ということになる。年間にそれだけの売り上げがあるわけだ。

 ラスベガスのように世界中から観光客が訪れてくれて、その観光客が負けまくってくれたらその結果として年間に4400億円を稼げるのである。多くのカジノを有するラスベガスの1/3近い売上高を稼ぎだせるというのが夢洲カジノの試算である。どれだけ多くの観光客がやってきて、どれだけ遊べばこれだけの売り上げが出るのか。いずれにしても途方もない金額であることは確かである。

 地政学上のことを考えると、おそらく夢洲カジノがメインターゲットとするのは中国の富裕層だろう。関空にじゃんじゃん飛行機で連れてきて、そのカモたちを夢洲に運び、カジノでしっかりと負けさせて・・・という魂胆なのだろう。マカオのカジノで遊んでいた人たちを大阪に連れて来ようとしているのである。

 カジノの来訪者が年間に1000万人あるとして、その1000万人が一人たったの4万4000円ずつ負けてくれれば売り上げ高4400億円というのは達成できる。カジノの客が負ける金額が年間でたった4万4000円ということはない。実際はもっと負けるだろう。パチンコ依存症の人の中には年間に100万円以上負けている馬鹿がたくさんいる。そう考えると夢洲カジノの可能性はかなり広がるのである。

 日本は世界有数のギャンブル大国である。パチンコ業界の全売上高は最盛期には30兆円ほどあったらしい。これは世界中のカジノの売上高の合計くらいある。日本という国は実は世界一のギャンブル大国だったわけだ。

 夢洲のカジノに来てくれるのは中国人だけではない。地元大阪の人間も行くだろう。大阪は日本一馬鹿の多い都市である。それは維新の会という反社会的集団に投票する人の多さからよくわかる。昨年の衆議院選挙の結果に大阪以外の人たちは失笑したが、大阪の人間は馬鹿が多いのでその結果の意味を理解していなかった。

 大阪中の馬鹿、関西中の馬鹿が夢洲カジノに出かけて、ギャンブルで負けてゼニを失うのである。世界中のカジノでギャンブルを経験している中国人の方がギャンブルに強くて、大阪の人間はカモにされることがオレには予想できる。おそらく大阪の人たちはカジノから大阪府・大阪市が得られる1100億円以上に負けるのである。もしかしたら大阪の人が負けたゼニが中国人のフトコロに入るかも知れないのである。そうなると「馬鹿な大阪の人間をカモにしよう」「下手くそな日本人からゼニをふんだくろう」と大挙して中国人が攻めてくるかも知れない。いやはや、本当にろくなことがないのである。

 開催されている説明会では「ギャンブル依存症対策をきっちり行うので依存症は発生しません」という力強い答えがあった。それを聞いて愚かな市民たちは納得した。納得できないのはオレのような性格の悪いオッサンである。そもそもどんな対策をしたらギャンブル依存症を無くせるのか。そんなすばらしい方法があるのならいますぐに大阪で実施して、大阪中のギャンブル依存症の人を撲滅してくれよと思うのである。亡くなったオレの伯父はひどいギャンブル依存症で「給料袋を落とした」と言っては我が家にゼニを借りに来ていた。そういう人たちを完全に救える矯正プログラムを大阪市や大阪府が持ってるのならそれは世界中に広めるべきである。

 維新の会の推進するカジノ・IRは、もしもその宣伝通りに実現したらものすごい経済効果があるだろう。しかし、失敗に終わった場合は大阪の住民がとてつもない借金を背負って、それを税金で返さないといけなくなるのである。松井一郎は消費税の税率を地域ごとに変えられるようにすればどうかとかつて語っていた。失敗に終わったカジノのもたらす1兆6000億円の借金返済のために大阪はあらゆる料金が値上げされ、今すでに日本一高い介護保険料だけではなく、公共サービスが日本一高くつく自治体として名を馳せることになるとオレは予想する。大阪だけは消費税が70%とかいうことになったらどうするのだろうか。

 いやその前に大阪は、大量にやってきた中国人観光客が我が物顔に街を闊歩し、あちこちに中国特区が作られ、西成は中華街となり、人口の減ったニュータウンはいつのまにか中国人居住区となり、もはや日本ですらなくなるのである。そんなものは繫栄などではない。維新の会の目指す方向性は、習近平が目指している世界の中国化と実は軌を一にしているのである。大阪が日本進出の橋頭保として習近平に狙われていることを忘れてはならない。日本で一番馬鹿が多い都市である。狙われて当然である。



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2022年01月12日(水) 鎌倉殿の13人        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 1月9日(日)に今年の大河ドラマである「鎌倉殿の13人」の第一回目がNHKで放映された。どんな内容になるのか興味深かったのだが、早速初回の放送で登場人物の中に工藤祐経がいて、伊豆の最大領主である伊東祐親に所領を奪われて怒ってる場面があった。史実ではこの工藤祐経が伊東祐親の子である河津祐泰を殺し、その祐泰の遺児である曾我十郎祐成と曾我五郎時致(曽我兄弟)が父の仇である工藤祐経を討ち果たす。それが「曽我物語」となって歌舞伎などで描かれるわけだ。

工藤祐経の登場で「おお、曽我物語をぶっこんで来たのか」とオレは嬉しくなったわけだが、そのあたり歴史オタクでもないでもない人にはちんぷんかんぷんだろう。大河ドラマの常として、登場人物が増えるとわけがわからなくなってしまうという傾向がある。そこで大胆にも人物を切り捨てる必要があるのだ。松山ケンイチが平清盛をやったとき、オレはテレビを視る父にわざわざ系図を書いて登場人物の関係を説明してあげる必要があったのである。

一年間という長丁場のドラマだけに視聴者をどれだけ飽きさせないかということが求められるわけで、三谷幸喜といえどもそれは簡単なことではない。そしてこのようなドラマの常として「いかに実際の歴史を脚色するか」ということも起きる。「平清盛」では平治の乱の描写として鴨川の河原で平清盛と源義朝が一騎打ちするというありえないほどお馬鹿な場面があったのである。あれには多くの視聴者がのけぞっただろう。しかし三谷幸喜は面白くしようとして話を大胆に変えてしまうのだ。「新選組!」の芹沢鴨暗殺の場面とか沖田総司の最後の場面とかがそうである。なんで結核でふせっている沖田総司のところに明治政府側の刺客がやってくるのか。それを沖田がたちまち斬り伏せるわけだが、ファンサービスのしすぎである。

 オレがもしも日本史を教える教師ならば、そうした時代劇のドラマの虚実を毎回授業のネタにしただろう。「○○ではこのように描かれてしましたが、史実はこうです」というふうに語っていたはずである。遠山の金さんは「はりつけ獄門申し付ける」と沙汰を下すが、確か町奉行には死刑判決を下す権限はなかったはずである。

 中学生や高校生は大河ドラマを視たほうがいいとオレは思っている。それは歴史の基礎的な部分、その時代の雰囲気を理解し、歴史の流れを知るために重要だからである。歴史上の人物を登場させるゲームもあるが、「戦国無双」なんかをしても受験勉強には何の役にもたたないのである。「戦国BASARA」なんかをしても受験勉強には何の役にもたたないのである。濃姫が股間から機関砲を出すなんてありえないのだ。

 最近のNHKの大河ドラマで面白かったのは何だろうか。オレは綾瀬はるかのファンなので「八重の桜」はかなり好きだった。でも、あの作品の後半部分の主人公は八重の兄を演じる西島秀俊だったと思う。「軍師官兵衛」も「真田丸」もなかなか面白かった。

 旅行で田舎に行くと、ご当地のヒーローを大河の主人公にしてほしいというさまざまなポスターが張られていたりする。「真田丸」はそうした取り組みがうまくいった例かも知れない。福岡県の柳川市では「立花道雪」を大河ドラマに出してほしいと地元住民が期待しているのかも知れない。道雪は九州での戦いに連戦連勝したことで地元では有名だが、全国区ではない。

 大河ドラマに関係した街は観光客に来てもらえる。吉田松陰の妹のおかげで萩が賑わったりするのである。まあそういうわけで街起こしの材料として今後も大河ドラマ誘致は続くだろう。視聴率は昔に比べてかなり落ちてるけれど。


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2022年01月08日(土) オレは上級国民、武井俊輔        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 普通の人間は車検切れのクルマは運転しない。車検の時期が近づくときちんとカーディーラーなどで予約して車検を通す。最近はオートバックスでも車検が受けられるし、楽天車検というものもある。それが普通の人間の感覚であり、車検が切れてもそのまま運転しているなんて「ありえねー」という出来事である。

 ところが自民党の衆議院議員である武井俊輔は、自分が管理して秘書に運転させている車両の車検が切れていた。「すべて秘書に任せてあった」ということだから。車検がキレていても気づかないボンクラ秘書だったのだろう。武井俊輔議員の秘書と言えば、過去に飲酒運転で事故を起こしたクソ野郎もいて、どうしてそんなクズしかいないのだろうかと思うが、いい人間が集められないというのはおそらくパワハラやモラハラがひどくて普通の人間には務まらずすぐに辞めてしまうという可能性も考えられる。

 その車検切れのクルマで、こともあろうに当て逃げ事故を起こしたのが去年の6月8日のことである。武井議員秘書運転のクルマは交差点で自転車にぶつかったのだが、そのまま逃げたのである。当て逃げされた自転車の男性は追いかけてクルマが赤信号で止まっていたところで追いついた。後部座席に座る武井議員がぶつかった時「行ってしまえ」と叫んだ音声がドライブレコーダーに記録されている。 

 こういう悪質なものは普通なら逮捕じゃないのか。逮捕はされなかったものの、無免許運転で事故を起こした都議会議員は激しいバッシングの果てに辞職に追い込まれた。無免許運転と無車検運行はオレの頭の中では同じレベルの不祥事である。ところが武井議員の秘書の場合は半年もたって2021年1月5日になってから「書類送検」なのである。当て逃げ事故を起こしたのにその場で警官を呼んで事故処理をしていなかった(不申告)のようである。こんなもの完全アウトじゃないか。

 その武井議員は昨年10月の衆議院選挙で自民党から公認を受けている。どうしてそういうことになるかというとすべては安倍晋三に帰着する。大規模に公費で有権者を接待していた「桜を見る会」に関連する一連の事件で安倍晋三の公職選挙法違反は明らかなのに、司法は全く動かなかったのである。それに比べれば無車検運行なんて軽いことなのだろう。

 自民党政権が仕掛けた「道徳革命」はどんどん進行している。議員様なら法律を冒してもOKということがもはやお約束なのだ。だから維新の会のような不祥事の総合商社の連中が大手を振って永田町を闊歩できるのである。「与党もやってる」ということになるのである。

 武井議員は当て逃げ事故に関して「当たったという認識がなかった」と答えたらしい。上級国民ならこんな言い訳が通用するのである。安倍晋三の買収だって「有権者に買収されているという認識がなかった」から不起訴なのだ。そんな言い訳が通用してしまうのである。今の日本は上級国民ならなんでもやり放題である。これからどんな犯罪が起きるのだろうか。そういえば秘書の殺人未遂を不起訴にしてしまった維新の会というクソ政党があったが、こいつらは存在そのものが悪である。


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2022年01月05日(水) 正月ラブホ物語        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 この話はフィクションです。また作品中に登場する人物は実在の人物とは全く関係がありません。


 もう交際を始めて10年になるカップルがいた。男の名は大室圭、女の名は秋宮真子という。二人はお正月らしく初詣に出かけた帰りに、不埒なことに今年の初Hも済ませたいと思ったのである。本当に罰当たりな二人である。しかし、10年間も交際していながら親から結婚の許しを得られないという不幸なカップルでもあった。そういう意味で二人がデートの後にラブホに行くことはある意味必然だったのである。

 圭には若干の不安があった。それはラブホというものはおおむね年末年始に料金UPされてしまうということである。通常料金よりも2割から3割高いいわゆる「正月料金」にされてしまうのである。いつもホテル代を払っている圭は、高くつくことに対していささかの不安を抱えていたのである。

 お正月のホテルは混んでいた。二人の行きつけのホテルである「ゴールデンボール」は入り口に「満室」という表示が出ていた。他のホテルを探さないといけない。それで圭はクルマを走らせて、少し高いが割といつも空いている「フル・レイク」に行ってみた。ところが自分たちよりも一瞬早く駐車場に車を滑り込ませたカップルに、一つだけ空き室表示されていた部屋のボタンを押されてしまい、タッチの差で入り口には「満(フル)」の表示がともった。

 ラブホテルがどこも満室ということは、「今日はあきらめて健全にデートを終えろ」という神様の思し召しなのだろうか。圭はあきらめかけたのだが、真子はしっかりと圭の手を握った。その手のぬくもりからは、「絶対に今日は抱き合う」という強い意志が感じられたのである。

 あてもなくクルマを走らせた二人の前に、見たこともない一軒のラブホが出現した。ホグワーツ城のような不気味な外観のそのホテルの名前は「ハリー・ボッター」だった。「ハリーポッター」ではなく「ハリーボッター」である。「Po」ではなく「Bo」である。そこにこれから二人が遭遇する大いなる悲劇が存在するわけだが、一刻も早く合体したいと焦っている二人はそのことに気づくはずもなかった。

 「ハリーボッター」の入り口には「正月特別料金実施中」とあった。しかし、通常料金は「REST2900円 STAY6600円」と書かれていたので、普段から安いのなら正月でもそれほど上がらないと圭はたかをくくっていたのである。

 二人は楽しいひとときを過ごした後、心地よい疲労感に包まれながらホテルを出ることにした。フロントに電話をかけて退室を告げ、ご休憩の料金を確認した。その金額に圭は耳を疑った。なんと53900円だったのである。
 圭が部屋で過ごした時間は2時間弱だった。ということは1時間の基本料金である2900円に延長料金が30分ごとに1000円つくから4900円である。そこに消費税が加算されれば5390円である。それくらいならまあ納得の値段である。しかし請求されたのはその10倍の値段だったのである。

 圭はその時、小さな文字で記載された正月料金に関する注記を発見した。なんと、12月29日から1月4日まではお正月特別料金で10倍になると書かれていたのである。なんということだ。2割増しくらいならまだ納得いくが、10倍なんてありえないのである。

 しかし、どうやらそのホテルは料金を払わないと部屋の鍵がロックされたままで出られないという仕組みのようだった。火事になったらいったいどうするんだと圭は激しい怒りを感じたのだが、今はとにかくゼニを払ってその部屋を出るしかない。このままゼニを払わずに永遠に部屋にとどまるわけにもいかないのである。あきらめて圭は財布を探ったが現金は3万円くらいしかない。ただ真子の財布には10万円を超える現金があったので「真子、頼む」と圭は頭を下げて3万円借り、その6万円を精算機に投入しておつりを受け取った。するとロックが開錠されて部屋から脱出できたのである。

 しかし、ラブホテルの料金がこんなひどいぼったくりということがあってよいのだろうか。これがぼったくりバーやキャバレーだったら納得がいく。そういう店は昔から存在するからである。逆らったら怖いお兄さんが出てきてボコボコにされる。しかし、ぼったくりラブホなんてものがこの世に存在してよいのだろうか。

 お正月のデートがとんだ高いものについてしまった圭は、怒りとくやしさに打ち震えながら駐車場から出ようとして、振り向いてホテルの名前を再確認した。ハリーボッター・・・・そう、「ボッター」というのは「ぼったくり」の「ぼった」だったのである。なんということだ。どうしてそこに気づかなかったのか。古城のようなその外見から思わず圭はそのホテルの名前を「ハリーポッター」であると早合点していたのである。そもそもそういう名称は常識的に考えてラブホには使えないのである。訴訟を起こされてしまうのである。
 
 


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2022年01月03日(月) 母と駅伝        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 お正月の3日間、母はいつもテレビで駅伝を見ている。母は高校駅伝も見てるし、とにかく駅伝が好きだ。そしてよく選手のことを記憶していて、とくに高校駅伝で活躍した選手が次は箱根駅伝、そして実業団の駅伝と出ていることをわかっているのである。選手の紹介もよく聞いていて、オレに説明してくれるのである。

 今日もテレビの前で編み物をしながら母は駅伝を視ている。昭和11年生まれの母はもう85歳になるのだが、背中も曲がってなくてシャキッとした姿勢で早足で歩くし、ご近所の方の内職の手伝いに行ったり、頼まれて一人暮らしのお年寄りのお世話をしに行ったりしている。頭もしっかりしていて、ボケ防止だと言って漢字のクロスワードとか数字のパズルで遊んでいたりする。さっきまで帰省中の孫と談笑していた。

 母のテレビにはHDDを使った録画機能があったので、オレは500GBの外付けHDDを接続して録画できるようにし、その使い方を説明した。すると少ない容量なのにうまく工夫して映画を録画したり韓流ドラマを録ったりして楽しんでいる。見終わったものを消して容量を空けてはまた録画するという感じでしっかりと活用しているのである。

 孫の一人が外国人と結婚してスイスに住んでるので、タブレットを使って時々ビデオ通話している。時々操作の仕方を質問されるが、LINEでのコミュニケーションがそれなりにとれているようである。

 母は若い頃映画が好きで、休日にまだ幼稚園くらいだったオレを連れて映画館に出かけて洋画を観ていた。オレは母の横で字幕を読んでいた。ストーリーまで理解したわけではないと思うが。字幕の文字はちゃんと追えていたと思う。幼稚園の時にすでにオレはひらがなとやさしい漢字は読めるようになっていたからだ。今でもたまに母を映画館に誘うとすごく喜んでついてくるし、自分がどうしても観たい映画があると、母は電車に乗って天王寺まで一人で観に行く。我が家は最寄り駅からかなり遠いのだが、バスに乗ったり気分のいいときは2キロの道のりを歩いて帰ってきたりする。もちろんそんな時は「歩き疲れてヘトヘトだ」と言うけれども。一番近いスーパーは家から400mくらい離れてるのだが、そこまでなら普通に歩いて買い物に出かける。

 よくお年寄りが押して歩いてるカートみたいなのを買おうとか訊くと、「あんなん押していたら年寄りに見えるからやめて」と言われた。杖もつかないし、いつも背筋をしゃんと伸ばして歩いているのである。ただ、家の中で母が使っている部屋は2階なので、階段を降りる時はいつも手すりをしっかりとつかんでそろりそろりと降りる。今は食事も自室で摂るようになったので、食べた後のお茶碗や湯呑を丸いお盆に乗せた状態で片手で持ち、片手で手すりを持って階段を下りてくるのである。

我が家の家事はほとんどオレと妻がしているのだが、母は洗濯の一部だけはしてくれる。自分の分と息子のオレの分だけは母が洗濯してくれるのだ。またきれい好きなので家の中で気が付いたところをせっせと掃除してくれるのだが、あとでオレが掃除しなおすこともある。力がないので窓なんかももう強くは拭けないのである。母が拭いてくれたリビングの大きな窓は、オレが持ってるクルマの窓用の洗浄剤を使って後からきちんと透明に拭き上げてやった。「おかあちゃん、ありがとう。後はやっとくから」と声を掛けるのだが、息子夫婦のためになんかしてやろうと思ってくれる気持ちが嬉しい。

 母はマシュマロが好きで、乳ボーロやこんにゃくゼリーも好きだ。昼間はオレも妻も働いていて不在なのだが。買い置きのレンジで温めてすぐに食べられる赤飯がすぐになくなるのでよく食べてるのだろう。食欲のないときにもすぐに食べられるようにエナジーゼリーみたいなものも買い置きしている。風邪をひいて調子が悪いときは寝てるのだが、そういうときのためにエナジーゼリーを用意しているのである。リポビタンDのような栄養ドリンクは握力の落ちた母は自分で開けられないので、私が代わりに開けて飲めるようにして枕元に置いておく。

 もうかなり高齢だからあと何年今のように元気でいられるのかわからない。以前に大腸がんの手術をしているせいかトイレも近くて、母と外出する時はいつも「トイレ行っとく」とオレは確認するのが習慣である。

 若い頃にたくさん苦労した母がこうして穏やかな日々を過ごすことができていることでオレはちゃんと親孝行できているのだろうか。母が元気なうちにどんなことをしてあげられるだろうか。

 昨年は京都・四条河原町あるお気に入りの「志る幸」という店に母を連れて行った。オレの妹もついてきた。ただ、母はご近所さんに配ると言って八つ橋などのお土産をたくさん買っていた。きっと「息子が連れて行ってくれた」と話すのだろう。今年も暖かくなればお花見とか連れていきたいと思っている。少し残念なのは、オレが母と二人でいるとよく夫婦と思われるのとである。店に入ると店員は母に向かって「お連れ様」ではなく、「奥様」と声を掛けるのである。


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2022年01月01日(土) 正義の実現する世の中を        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan





 2022年をどんな年にしたいのか。オレが唯一望むことは「正義の実現」である。法律を破った人はきちんと罰を受けてほしいということである。自分の選挙区の有権者を東京に連れてきて飲み食いさせ、国費を使って接待した安倍晋三が「不起訴相当」になるふざけた国であって欲しくないのである。このクソ野郎を刑務所にぶち込んでこそ正義は実現するとオレは思っている。

 上級国民ならなぜ優遇されるのか。交通事故を起こして人を死なせても、逮捕され身柄を拘束されるということがないのはなぜか。どうして同じ罪でも扱いが違うのか。オレのような下級国民には納得いかないのである。

 オレは「れいわ新選組」以外の野党を全く信用していない。昨年の総選挙、どうして野党は「消費税廃止」を旗印に戦わなかったのか。「正義の実現」を主張しなかったのか。もしもそれが選挙の争点になれば全く違った結果になっただろう。自民党、公明党、維新の会を「悪」、それ以外の野党を「善」と規定し、選挙の争点を「善と悪の対決」という形でアピーㇽすれば、自民公明維新に投票するということは「悪」に加担することとなって有権者の投票をためらわせるのに十分だったはずである。そういう戦いができなかった理由は、おそらく枝野が「わざと選挙に負ける」密約をしていたからだとオレは思っている。枝野のようなボンクラを党代表にしているのは、万年野党でいたいからである。もっともだからといって泉健太のような「隠れ国民民主党」を党首にしたらもっとヤバいのだけれど。

 与党がどんな不正を行っても、与党の政治家にどんなスキャンダルがあってもマスコミはそれを大きく取り扱うことはない。無視されることもある。批判精神を失って与党の広報紙と成り下がったのが読売や毎日、朝日といった大手新聞社である。購読料収入が大幅に落ち込み、広告収入に依存するあまり電通にその生殺与奪の権を握られている新聞社が官邸の御用機関になってしまうことはある意味必然かも知れない。

 大阪は今無法地帯になっている。「法」による支配ではなく、「維新の会」による支配が現実のものとなっている。その行政の方針に異を唱える公務員は処分されたり左遷されたりする。市民の税金は失敗が目に見えているカジノIRのために浪費され、将来巨額の借金として市民が背負うことになる。マスコミは維新の御用機関となり、吉本興業の芸人を使って松井一郎や吉村洋文が理想の政治家であるかのようにもてはやす。吉村洋文が自分のインスタにあげた写真が報知新聞に載るのである。「吉村さんカッコいい」と黄色い声が飛び交うという。それを苦々しく思っているオレのような人間は少数派で、多数派の維新支持者(馬鹿)は全く疑問を感じていないのである。

 このディストピアをオレは救いたい。生まれ育った大阪を維新の会のカツアゲから守りたい。そのためにはオレは戦わないといけないのである。維新の会を打倒して大阪を市民の手に取り戻すというのがオレの願いである。


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