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2004年06月30日(水) ■
「指輪物語10追補編」評論社文庫 J.R.R.トールキン 

「指輪物語10追補編」評論社文庫 J.R.R.トールキン 
約一年間、『指輪物語』を読破するという私の読書の旅も終りを迎えつつある。半年間指輪と共にいたフロドは癒す事の出来ない指輪から貰った「傷」により「灰色港」に至るわけであるが、一年間この物語と付き合ってきた私も、直る事のない指輪の「影響」を受けたようである。フロドのように奇跡的にも滅びの山の火口にまでたどり着くような強靭な精神力と高潔な人格を持っていない、欲深い人間の私なので、とても灰色港から旅立つことは出来ないが、私は私なりにこの物語を咀嚼する事で「影響」の決着を付けたいと思っている。そしてそのための「追補編」でもある。

映画でセオデン王が『これで私も過去の王の名誉ある仲間に入る事ができる』といった事の意味が、「エオル王家」の年代記を読むと分かる。あるいは「アラゴルンとアルウェンの物語」では、理想の「最期の言葉」が述べられている。

「指輪物語」とは一人の作家の頭の中から出てきたとは思えないほど奇跡に満ちた一つの世界観でもある。もう一つの歴史、もう一つの地理、もう一つの言語と私たちは相対する。この物語を読み終った者は現代世界を相対的に見る目を持つ事になるだろう。

「トールキン指輪物語事典」 原書房 デビットデイ
指輪物語事典というより、「中つ国事典」といったほうがいいだろう。「ホビットの冒険」や「シルマリルの物語」も含めて、中つ国の歴史、地理、社会、動植物、登場人物を縦横に解説している。しかし普及版なので、地理の地図とかカラーならもっと良く分かったろうに、という部分が散見される。

これを片手に指輪物語を読むのはお勧めしない。よけい混乱するだけである。(というのが私だけだったら御免なさい)なにしろ指輪物語にも出てこない様々なエピソードをここでは解説している事が多いからだ。むしろ指輪物語を読んだあとで、この詳しい歴史を読んだり、映画で描かれる以前の世界である豊富な挿絵を鑑賞するのはとても楽しいものになると思う。

内容は非常に豊富である。「指輪」の「影響」を被り、もはや直る事はない「指輪病」である、と判断されるような人には必帯である。



2004年06月29日(火) ■
「縄文論争」講談社選書メチエ 藤尾慎一郎

「縄文論争」講談社選書メチエ 藤尾慎一郎
この本の最大の見所はは、「1000年の間3回も縄文人は稲作農耕を選ぶチャンスがあったのに、なぜ2回は見過ごしたのか」というところだろう。現代の考古学では、昔の狩猟に頼って栽培の技術は持っていなかった「遅れた」時代という縄文時代観は払拭されつつある。環境要因、韓半島の情勢、そして縄文人の中の主体的要因。幾つか重なって縄文人は弥生人になっていったのである。土偶の持つ意味、米と他の食物はどう違うのか、世界の中の縄文文化等、若い新進の考古学者が描く最新の縄文時代観である。(04.03.)



2004年06月28日(月) ■
「上弦の月を食べる獅子」(下) ハヤカワ文庫 夢枕獏

「上弦の月を食べる獅子」(下) ハヤカワ文庫 夢枕獏
下巻は一気に読まて貰った。舞台は蘇迷楼(スメール)、生物の進化を辿っていった先の人間世界である。さすがに人間世界の話は分かりやすい。大きな問いを畳んでいった先に二つの問いが残る。

双人としての主人公の一人の属性は今や隠す事無き宮沢賢治である。冒頭「銀河鉄道の夜」のサソリの話が出てくる。この物語は修羅の道をたどってきた賢治に決着を付けさせるという一面を持つ。夢枕獏は最後の問いを逃げない事をこの物語を書くときの条件にしたと言っている。なるほど問いには逃げなかった。しかしせっかく「とし子」を登場させたのにあの扱いはどうなのだ。私には「逃げた」ように感じた。

「正しい問いのなかには、すでに答が含まれている」という言葉には私は全面的に「肯」という。しかし、この物語は正しく問うているのだろうか。私には問うていないように思えたのだが、それは私の中に「答」がないからなのだろうか。

こういう物語があってもいいと思う。しかし私にはせっかく賢治に姦淫と殺生を犯さして更には再びとし子に逢わせるという体験をさせたにもかかわらず、いっこうに決着が付いていないように思えた。(04.03.13)



2004年06月27日(日) ■
「祖国を顧みて」岩波文庫 河上肇

「祖国を顧みて」岩波文庫 河上肇
大正2年(1913)、34歳、官費留学生として河上はヨーロッパに留学する。経済学者、宗教者、ジャーナリスト、大学教授、社会主義者、共産主義者と、左右上下に彼の意見は変わっていったが、彼の生き方自体はいつも変わってはない。それは一つは「誠実」という事であり、一つは鋭い「批評精神」があるということであり、一つは溢れるような「詩人」であるという事である。今回の旅も、祖国へ送るレポートは「愛国主義」にまみれているように思えるが、(その後の昭和の軍国主義を知っている私たちには危なかしくて仕方ないのだが)一方では優れて「文化人類学的」なレポートとなっている。

「西洋文明の特色は分析的で、単位と単位との分界が極めて明確な点にある」とレンガ石で出来た都市を説明する。一方「日本文明の特色は非分析的で、全て物を一まとめとする点にある。」と、日本の建築物を説明し、「この組織では大建築は出来難い。家族主義国家になって、世界主義にならぬ所以である」と主張する。確かにすこし画一的な説明ではある。河上に現代日本を見せたらなんというのだろうか。しかし、多くの部分では当たっているところもある。例えば、日本の食器はすべて誰々のものか、何々のためか属性が与えられているのに対し、西洋の食器はたとえ犬が食べた食器でも洗って清潔であれば晩餐でも使うといった合理主義があるという指摘は今でも通用するだろう。

河上のジャーナリスト精神、あるいは詩人としての文章力が健著に現れたのは、「伯林脱走記」である。かれはたまたま第一次大戦勃発時、ドイツ伯林(ベルリン)にいた。ドイツの開戦からイギリス参戦にいたる経過をベルリンに居て見事にレポートしている。いよいよベルリンを夜逃げするときの描写はなかなかの名文であった。(04.03.12)



2004年06月26日(土) ■
「高村薫の本」別冊宝島

「高村薫の本」別冊宝島
高村ファンにとってはたまらない本だろう。特に合田雄一郎ファンにとっては「素晴らしいニュース」も含まれているし。ただし、高村薫未読の人や、1冊ぐらいしか読んでいない人にとってはちょっととっつき難いかもしれない。それと、読本にしては詳細な著者年表が入っていないのも不満ではある。しかしそれ以外はおおむね満足一部大満足の出来である。編集の皆さんには「ご苦労様でした」といいたい。

これから秋にかけて「レディージョーカー」の映画化等でまたぞろ高村薫が話題にのぼるかもしれない。しかし基本的にはそれだけでこの本を手に取ると痛い目に会う。私でもまだ読むのは先にしたほうがいいかな、という特集があった。特に冒頭の爆笑問題太田光インタビューはまだいいとして、第二特集の高村薫と竹内洋の対談は「晴子情歌」を読んでいない私には非常に読み辛かった。その辛さも高村薫の魅力ではあるのだが。(04.03)



2004年06月25日(金) ■
「小さな花」かもがわ出版 加藤周一

「小さな花」かもがわ出版 加藤周一
変形函入りの小さな本を開く
加藤周一氏の
未発表文章を含む小品集だ
見新しい見解はない
長い論文はない
氏の中に「知」と「情」があるとすれば
この本の中には
優れて情が溢れている
知識の泉に遊びたいときは
氏の別の本を猟歩するとして、今は
強大な権力の前に差し出された小さな花を
愛でよう
氏の翻訳する
ポール・エリュアールの「自由」を
ベルトルト・ブレヒトの「子どもの十字軍」を
思い出したときに、必要なときに、
紐解こう
(04.03)



2004年06月24日(木) ■
「さつき断景」祥伝社文庫 重松清

「さつき断景」祥伝社文庫 重松清
阪神大震災と地下鉄サリン事件のあった95年から、2000年までの6回の5月1日を小説として寸描している。

その当時のテレビ番組や、新聞のスポーツ欄などを再現して、著者は明らかに読者である私たちを「挑発」している、ように私には思えた。問題はタカユキの恋の行方でもなければ、ヤマグチさんの家族への想いでもなければ、アサダさんの定年後の生活でもない。あの時の5月1日、あなたは覚えていますか。そう挑発しているのである。

私は覚えていなかった。何をしたかは少し調べればわかった。しかし何を考えていたか、何を悩んでいて、何を大切に思っていたのか、結局登場人物たちが思っているようには思い出さなかった。

1日1日を大切に生きろよ。著者は暖かく読者に話かけている。(04.03)






2004年06月23日(水) ■
「イラク戦争と占領」酒井啓子

「イラク戦争と占領」酒井啓子
混迷を極める現代のイラクの姿が、私には明治維新前後の日本と重なって仕方ない。民衆の反米意識、もはやフセインの手から離れたテロは米軍だけではなく、アメリカに協力的なあらゆる国、組織、イラク人にも及んでいる。それは幕末の壌夷運動に似てはいまいか。

あるいは民主化を求めるためのあらゆる模索。最初アメリカという上からの改革が提示されるが、やがてイスラームの台頭、あるいはイラク共産党の地道な活動、そして武闘派の台頭、いろんな勢力の百花僚乱。自由民権運動を想起しないだろうか。

もちろんイラクの現状はそういう一言二言で語れるほど単純ではない。未来は不透明ながら、第3章、第4章、終章では、酒井氏ならではの展望も語られる。しかし、それとて私にはやがて書かれるであろう、酒井氏によるイラクシリーズの第三弾への序章にしか思えない。それほど未来は日々変動している。ただ、この本には一般誌を読んでいたのでは到底見えないイラクの「現状」が確かに活写されている。特に第1章の著者本人による、イラク2003年7月現在のルポは、一番具体的で一番分かりやすかった。

我々にとって問題は、日本が果たすべき役割は何か、という事であろう。それは果たしてアメリカの要請を受けた形で自衛隊が「人道支援」に行く事なのだろうか。それを考えるべき幾つかの視点もここでは述べられている。(04.03)



2004年06月22日(火) ■
「バッテリー」角川文庫 あさのあつこ

「バッテリー」角川文庫 あさのあつこ
手に取ったきっかけは単純である。物語の舞台が私の地元岡山県だった。あらすじも単純そうだ。よくある野球マンガの設定である。天才ピッチャーが片田舎の野球チームにやってきて、チームが突然強くなる(のかな)。児童文学だそうで、活字も大きく、段組も広く、簡単に読めそうだ。

読んでいる間、久しぶりのドキドキ感が消えなかった。マンガなんかの描写じゃない。ましてや、文章は易しいが物語は全然安易ではない。緊張感を感じるいい読書をさせて貰った。自然描写の豊かさ、登場人物たちのはっきりした個性と、魂の高潔さと孤独、どきりとするセリフ、そして物語の面白さ。もちろん欠点もないわけではない。しかしそれを補って余りある面白さがある。素晴らしい物語と作家に出合った。今はただその事を喜びたい。(04.03)



2004年06月21日(月) ■
「回天の門」文春文庫 藤沢周平

「回天の門」文春文庫 藤沢周平
口先三寸で薩摩藩士達を討幕に持っていき、伏見寺田屋事件を誘発させた男。一転幕府の金で浪士組を募り、それを攘夷の党に染め変えた男。山師、策士、変節漢。そういう世評にたいし、藤沢周平はそれは「誇張と曲解」があるという。「清河八郎の思想的立場は一貫していて、変節のかけらも見出す事は出来ない。」今年、新選組がクローズアップされる中で、清河八郎という男は悪役に回りがちではある。しかし、彼自身が書いた文章と事実を短念に取材したこの小説を読むと、一人の田舎から出た秀才がひどく生真面目に時代と向きあった一生が浮かび上がる。

浪士組の件はこの小説が九割がた終りかけた頃に描かれる。八郎が実際行動に移すのはこの小説の半分近くにかかってからである。桜田門外の変の報を受け「八郎は幕府という大きな機構が、ずしりと音を立てて滑落したのを感じた。」八郎はそれまでは本気で江戸で文武両道の塾を立ち上げるのを目指していたのである。しかし、時代が彼を突き動かした。いわば70年代の全共闘世代に似ている。八郎たち若者ははテロルに走る。倒すべきは幕府。ふがいないのは各攘夷藩主。八郎に時代は人一倍見えていた。しかし、若さが性急な闘いを求めた。いつの時代も同じなのか。

私はこの作品を読みながらしきりに現代のイラクを考えていた。反米テロ(攘夷運動)、幹部の手を離れ若者が自主的に動く(草莽の志士)。清河八郎の人生は悲しかった。(04.02)



2004年06月20日(日) ■
「謎とき「罪と罰」」新潮選書 江川卓

「謎とき「罪と罰」」新潮選書 江川卓
「罪と罰」は去年の私の読書生活の中では、大きな事件であった。いまさら、と言われるではあろうが、やはり名作は名作である、と再認識。ほとんど現代小説の傑作のように読み、今なお私を揺さぶりつづけている。その「罪と罰」を1冊丸ごと解説している本があるのだから、当然読まなくてはならない。しかも、私はたまたま岩波文庫で読んだのだが、その訳者の叙述だという。

退屈だった。何度読むのを投げてしまおうかと思った事か。そりゃ確かにそういう読み方も可能かもしれない。ドストエフスキーは念密に登場人物の名前や、セリフの言いまわしに二重三重の意味を持たせていたのかもしれない。しかし私にとって重要なのは、ラスコーリニコフは最後には罪の意識を持ったのか、彼はその気持ちをどのように変化させていったのか、ポルフィーリが仕掛けた罠と彼が掴んでいたという動かぬ証拠とはなになのか。スヴィドリガイロフは本当に妻を殺したのか。そういういわば、小説の根幹(だと私には思われる)の事なのだ。しかしその事に半分もこの訳者は答えようとしていない。唯一凄いなあと思ったのは、ラスコーリニコフとソーニャが実はあの時点でエッチしていた、という事の証明なのではあるが、それは最後のほうにやっと出てくる。この本は最後の一章か二章ぐらいが一番面白かった。(04.02)



2004年06月19日(土) ■
「ジョゼと虎と魚たち」角川文庫 田辺聖子

「ジョゼと虎と魚たち」角川文庫 田辺聖子
この本を手にしたのは、映画を見たからである。もう一度、ジョゼに逢いたかったからである。原作では「市松人形のような小さく白い顔」と表現され、映画では池脇千鶴が迫真の演技をした、ジョゼ。
よくあることなのだが、原作と映画は似て非なるものだった。そもそも原作がこんなに短い物語だったとは知らなかった。映画の中にある青年のこずるさ、ジョゼの自立心はこの原作の中にはない。正直、原作より映画のほうがよかった。
ただし、池脇千鶴がぶっとい大阪弁を駆使して女のしたたかさを表わした一方で、小さく震える背中で女のか弱さを演じたように、この短編集のほかの1篇1篇は現代女性の様々な一面が見事に表現されていて、どの短編も見応えがあった。全面大阪弁の恋愛小説集として、なかなか面白かった。(04.02)



2004年06月18日(金) ■
「「谷根千」の冒険」ちくま文庫 森まゆみ

「「谷根千」の冒険」ちくま文庫 森まゆみ
地域雑誌「谷根千」に出会ったのは今から10年ほど前だっただろうか。東京ぶらり旅でふと降りたのが日暮里駅。幸田露伴旧居を通って三崎坂を下る。円朝の墓を眺めて元愛染川だったへび道を歩いていると日曜野球の子供たちが自転車で通りすぎていく。ふと地元商店街の書店に寄るとこの下町情緒溢れる地域の観光マップらしきものが載っている地域雑誌があった。これは便利、と買い求めたのが、谷中・根津・千駄木を拠点に地元を調査・記録・紹介し、果ては「歴史建造物保存運動」のパイオニアまでになる「谷根千」という雑誌だった。私は帰りの電車の中で読み返し、いっしょにバックナンバーまで買っておかなかったのをひどく後悔した。そして同時にこの雑誌に関わっている森まゆみという稀有の文章家の存在を知った。

この本は「谷根千」を1984年に発刊したあとの七年間の記録である。育ち盛りの子供を持った主婦たち三人が、一つの地域雑誌を一万部発行まで育て上げ、なおかつ、様々な運動に関わっていった経緯が書かれてある。

今回改めて「谷根千」バックナンバーを引っ張り出して読んでみた。聞き書き中心の「足で書く」文章である事、広告収入に頼らないもの申す事には堂々ともの申す「志高い」雑誌である事を再確認した。この作品は、そういう雑誌はどのように作られるのか、そして自分の住んでいる地域とどう向かい合うのか、読み方によっていろいろなアプローチの仕方がある興味深い本だと思う。(04.02)



2004年06月17日(木) ■
「心では重すぎる」文春文庫 大沢在昌

「心では重すぎる上」文春文庫 大沢在昌
大沢在昌が探偵を主人公にした作品を描くのだから、チャンドラーを向こうに張ってどのような文章を書くのか期待していた。そう、私は佐久間公シリーズは初めて読んだわけだ。彼にもいろいろ紆余曲折があったらしいが、今は立派な中年である。しかしこれほど議論する探偵も珍しい。マーロウ探偵みたいに粋なセリフを吐くわけでもない。ひたすら中年が今の若者の気持ちを知ろうとする。私などはまさしく佐久間公と同年代の中年ではあるが、「迷惑掛けるのは友達じゃない」という若者の友達観に怒ったりはしない。佐久間は命を掛けて怒ろうとしている。下巻が見ものである。

「心では重すぎる下」文春文庫 大沢在昌
クスリ、渋谷、マンガ家の失踪、自己啓発セミナー、暴力団、高校生、上巻ではばらばらだったこれらの項目が一つの形になっていく下巻である。最終も最終になって見事に収まっていく構成はさすがである。
「はじめてやさしいことをいったね」最終盤に至り錦織が佐久間公にこう呟く。この言葉はいったいなにを意味しているのだろうか。それは読んでからのお楽しみ。



2004年06月16日(水) ■
「藤沢周平残日録」文春新書 阿部達二

「藤沢周平残日録」文春新書 阿部達二
この本は藤沢周平の4冊のエッセイ集から人物、場所、学校、食べ物、本、映画など約150項目を抽出したもの。加えて長編32編と短編3編のあらすじを記している。
エッセイ集を全て熟読している人にはわざわざ買わなくていいような本である。ただ全然発見がなかったかというとウソになる。例えば、藤沢の母「小菅たきゑ」の項では四つのエッセイ集全てからエピソードが抽出され、彼女の全体像がくっきり浮かび上がる短文になっている。あるいは長編「風の果て」の主人公桑山又佐衛門のモデルが庄内藩改革派の「菅実秀」という事が分かるなど、今までの藤沢文学研究の到達点もいくらか盛り込まれている。しかしそれはあくまでもエピソードの羅列に過ぎない。幾つかの大事な事実が外されており、この辞典が決して辞典としては決定版ではないことを示している。(04.01)



2004年06月15日(火) ■
「東京遺産」岩波新書 森まゆみ

「東京遺産」岩波新書 森まゆみ
東京駅が歴史的建造物だと知ったのはつい最近の事だ。最初の東京駅の印象は悪かった。悪夢のような人の波波波。加えて駅構内が迷路のようで、山手線に乗り換えるのにもう少しで迷いそうになった。悪い印象のまま数十年間乗り降りしたあとふと東京駅玄関から降りた。そうすると目の前に広がる巨大な赤レンガの建物。「こりゃ、やっぱり首都の駅だわ。歴史的な建造物だわ」と変に納得した覚えがある。

この駅の超高層ビル構想を断念させた運動があったとはこの本を読んで初めて知った。いろんな文化人が参加して「おしゃれな運動」になったらしい。このような東京遺産保存運動の成功例(上野奏楽堂、岩崎邸、上野不忍池、安田邸)、失敗例(丸ビル、谷中五重塔、富士見坂、同潤会アパート等)の経験を語りながら、東京という「地域」から草の根「遺産保存運動」のあり方を問う書になっている。私の住んでいる倉敷でも参考にすべき点が多々あると感じた。(04.1)



2004年06月14日(月) ■
「M」文春文庫 馳星周

「M」文春文庫 馳星周
男の手による情念の小説である。凄いものを読んだという気がしてならない。これは男にしか書けない。ぜひ女性にも読んでもらいたい。
小池真理子や山本文緒が「恋の情念」を描くのだとしたら、馳は「欲望の情念」を描いている。どちらが上等でどちらが下等だという議論は不毛である。感情が揺れ動き、制御できなくなり、奈落に落ちていく心の状態を余すことなく描く。確かに描かれている事は少し「特殊な事例」ではある。しかし一方ではどこか「思い当たる」所もある物語。それは小説を読むときの醍醐味である。(04.02)



2004年06月13日(日) ■
「東京ナイトメア」講談社文庫 田中芳樹

「東京ナイトメア」講談社文庫 田中芳樹
薬師寺涼子警視が更にパワーアップして戻ってきた。部下(従者?)の泉田警部補も心なしか逞しくなっている。まあ「ドラキュラもよけてとおる」お涼とずっと付きあっていると、逞しくなろうというものだが、それだけではない。彼は元々相当優秀であったのだという事が今回の作品では明かになる。
今回私はずいぶん楽しめた。その最大の要因は私の精神状態にある。ちょっと精神的に参っているときにこういう本を読むと、彼女がハイヒールで足蹴にする男たちの描写がなぜか心地いいのである。そしてもう一つ魅力を発見した。泉田クンの一人言がほとんど「ハードボイルド」タッチなのである。めちゃくちゃな彼女のキャラクターを冷静に観る目、そして彼女を取り囲む警察機構の真実をつき皮肉る数々の言葉たち。いろんな名言がちりばめられていてそれはそれでなかなか楽しかった。
またちょっと疲れたとき付き合って貰いましょう。幸い、続編もいくつか出ているらしい事だし。(04.2)





2004年06月12日(土) ■
「OKAGE」 新潮文庫 梶尾真治

「OKAGE」 新潮文庫 梶尾真治
一気に読める本である、ではない。読まされる本である。
「ハーメルンの笛吹き」ならぬある日突然、全世界規模で子供たちが移動を始める。世界的規模の話なのだが、舞台はあくまで熊本県内に限定されている。だから話としては滑稽無等なのだが、身近に感じられて話は結構リアルである。作品冒頭に謎が提示され、その中身を知るために最後まで一気に読ませられるのである。
ただ、最終的な謎はあまりにも不思議SF。「旧人類」の私には「納得」は難しかった。「新人類」たる子供たちに祝福あれ。(01.1)



2004年06月11日(金) ■
「古事記の読み方」岩波新書 坂本勝

「古事記の読み方」岩波新書 坂本勝
「古事記」をめぐる雑学である。特に言葉の持つ意味、あるいは風景、力に及んだ叙述に魅力がある。古事記は日本書紀のような完全漢文で、官制の立場に完全に立ったような文章ではなく、変体漢文体で綴られ、生活の言葉がここかしこに溢れる魅力ある文学なのだ。
「天」(あめ)と「空」(そら)を古事記はどのように使い分けていたのか。
「原」は現代におけるそれとどう違うのか。
「黄泉」と「常世」の境界はどこにあるのか。
創世神話の中の自然観察、そして性の描写、等々。
筆者の学者の眼と詩人の眼を併せ持った文章に出逢い、私も遠い古代の国々に遊んだような心地もちをした。(01.1読了)



2004年06月10日(木) ■
「ワカタケル大王」文春文庫  黒岩重吾

「ワカタケル大王」(上)文春文庫  黒岩重吾
時は西暦460年、朝鮮半島の百済からこの物語は始まる。日本で初めて中央集権国家らしきものをつくった倭王武(雄略天皇)の王子時代の物語なのだが、物語を倭国だけに限定していないところがこの時代の雰囲気をよくとらえていて素晴らしいと思う。一方で百済王の弟が一時期飛鳥地方に住んでいたと描かれる。彼の子飼いの部下ムサの青の描写は生き生きとしている。
古代の人たちは私たちの想像よりずっと国際的であり、行動的であり、知略に優れていた。そういうことが実感できる物語としてこの作品はうってつけ。この時代をいきいきと描く事の出来る人は黒岩重吾氏しかいなかった。つくづく氏の死が惜しまれる。

「ワカタケル大王下」文春文庫 黒岩重吾
五世紀は大和朝廷の基盤が出来た時期である。それまではまだ地方の「国」との連合国だった傾向が強い。首長の強い個性と武力・戦略、そして国際感覚。それらを兼ね備えた大王として「ワカタケル」が登場する。当時の国際情勢、王子同士の覇権争い、そして遠景として描かれる当時の人々の暮らし。五世紀後半の倭国が生き生きと描かれていて、一気に読ませた。
ただ、ワカタケル王子が即位してからの話が尻すぼみなのがなんとも残念である。せっかく百済王の弟を重要人物として登場させているのたがら、弟の帰還、百済の公州への遷都(475)、ワカタケル大王の宋への上表文(476)への件をもっと描いて欲しかった。



2004年06月08日(火) ■
「本と私」岩波新書 鶴見俊輔編

「本と私」岩波新書 鶴見俊輔編
本好きの私が本好きの人たちの文章を読む。また楽しからずや。多くの興味深い話題があったのだが、とり合えず2編のみ選んで感想を付す。

「戦火のなかの1冊」(中嶋多喜子)。忘れられない本というものはある。戦時化、敵の国の本という事でこっそり母子で読んだ『岩窟王』。「どうせ死ぬのだから。どうせ死ぬのだから」と呟きながら母子で逃げ惑い、戦火をくぐりぬけ、九死に一生を得たあと瓦礫の中に見つけた身代わりになったかのように半分に胴だけ残ったこの本。おばあちゃんの話として、親子3代、そして更にその子へと、語り継がれていく伝説。時代は変わるけど、古典の中身は変わらない。人生と時代と古典について考えさせる一文章であった。

「社会的記憶装置としての図書館」(岡林秀明)。社会には貴重な経験をつんでるけれどもなかなかそれを「本」にするまでは出来ない人たちが多数いる。「商業出版」でもない。「自費出版」でもない。第三の道を実現する手段として図書館に次ぎの機能を持たせてはどうかと提案する。�)椶鼎�りの教育。�∨椶鼎�りのコンサルティング。�J垢�書きボランティア・スタッフの育成。�な垢�書きの実施。私は素晴らしい提案だと思う。高齢化社会のこれから、実現できるし、必要とされる「道」ではないだろうか。日本もそろそろ「経済大国」ではなく「文化大国」を目指してもいいのではないだろうか。(01.1読了)



2004年06月07日(月) ■
「指輪物語王の帰還下」評論社文庫 J.R.トールキン

「指輪物語王の帰還下」評論社文庫 J.R.トールキン
指輪戦争が終った。それで大団円かと思いきや、この本はまだ半分も終っていない。ホビット庄から始まったこの物語はホビット庄で終る。そしてそれは決して単なる付けたしではなかった。
物語を貫く大きな事件が終る。その事件が終った直後から真の主題が現れる。映画では省略されている「ホビット庄の掃蕩」がなければ、この物語は真には終らなかった。いやはや見事な終り方であった。私はこの物語の主題は著者がどう言おうとやはり「戦争と平和」だと思う。
「王の帰還」の「王」はほとんどの人はアラゴルンと思っているのだろう。しかし私は違うと思う。(01.1読了)



2004年06月06日(日) ■
「指輪物語王の帰還上」トールキン

「指輪物語王の帰還上」トールキン 評論社
上巻はほぼ全編戦闘場面が続く。しかしこれは改めて奇妙な「戦略」である。中つ国かってない会戦の目的が、ホビットの指輪を滅ぼす任務の遂行のため、敵の目を逸らすことだけだ、というのだ。
「武力で勝利は勝ち取れない。でも武力で可能性はつくれるかもしれない。」ガンダルフは言う。犠牲は甚大である。勇猛な戦士が、偉大な王が、次々と死んでいく、あるいは傷つき倒れる。
平和とはなんだろう。「力」とはなんだろう。答はまだない。(04.1読了)



2004年06月05日(土) ■
『トロイ』は80点

『トロイ』ウォルフガング・ピーターセン監督 ブラッド・ピット(アキレス)、エリック・バナ(ヘクトル)、オーランド・ブルーム(パリス)、ダイアン・クルーがー(ヘレン)ブライアン・コックス(アガメムノン)、ピーター・おとーる(プリアモス)、ローズ・バーン(プリセウス)、ショーン・ビーン(オデッセウス)80点
ちょっとした妄想です。お間違えなきよう。
『指輪戦争』が終わりエルフと魔法使いも去り、
人間の世紀たる第4紀に入ってはや数千年、
人間は懲りもせず、戦争をしていた。
魔法や魔物はすでにないが、体力と知恵で
ギリシャのアガメムノンは地中海世界を制覇しつつあった。
ただフロド著『指輪物語』は口承で伝えられていて
『私たちはやがて出来るであろう伝説の主人公になるんだ』
というサムの言葉は
アキレスを始め多くの民衆の中に血なり肉となっていた。
アキレスは『名を残す』ことに自分の生きがいを見つける。
まだキリストは生まれていないので、
『正義のための戦争』などという概念は生まれず、
『わしの嫁を寝取りやがった』という個人の欲望で
戦争を起こすことが出来た。
しかしそれだけでは兵士の士気は上がらない。
我々は何者なのか……という深い哲学的思索が
その後ギリシャの中で生まれるのは当たり前であった。
『人間は死ぬべき存在である。だから美しいのだ。』
アキレスはひとつの真実に到達していたが、
いかんせんそれは哲学として昇華されるのには
数千年の時間が必要だった。
ただ男と女は昔からいや今以上に率直に愛し合っていた。

歴史考証にちょっとそれは誇張だろう、
というものが多すぎとか、
アガメムノンの処理の仕方とか
(あれでは名作『アガメムノン』は生まれないよお)
不満はあるが、
それとテティスの役割が小さいので
『運命と人間』という叙事詩的テーマが散漫になったとか
色々あるけど、
私『ロード・オブ・ザ・リング』第四部として楽しみました。
禁欲的なエルフとして死んだレゴラスの無念がパリスとして転生し
『戦争には力が必要』という間違った考えで命を落としたボロミアは
英雄オデッセウスとして転生した、と私は『解釈』しました。
もちろんあの崇高なホビット族がいないので
第四部の評価が低いのはいかんとも仕方ありませんね。



2004年06月04日(金) ■
「下妻物語」は90点

「下妻物語」中嶋哲也監督 深田恭子 土屋アンナ 宮迫博之 阿部サダヲ  岡田義徳 矢沢心 荒川良々

今年の邦画の大きな収穫です。

しっかり元気になれる映画。
しっかり応援できるキャラクター。
土屋アンナちゃんも熱演しているのだけど、
深田恭子が凄い。
あのキャラで全然不自然ではない。(凄い女優だ)
脇役も大熱演。(阿部サダヲがお気に入り)
青春映画の王道を行くけど、
先の見えない展開。
楽しい映像。(宇多田ヒカルの夫よ参考にしてね)
細かいところへの気配り(下妻駅での猫とか)

エンドクレジット最後の断り書きが、真面目に書いているだけに
笑わせる(私「イオングループ」内のシネコンで見たのでよけいに)



2004年06月03日(木) ■
『レディ・キラーズ』は75点

『レディ・キラーズ』
前半も後半も楽しめました。
なんといってもトム・ハンクスの役つくり。
彼の人を騙す時の眼と本気の時の眼を
一生懸命見ているうちに
いつの間にか収まるところに収まって映画が終わっていました。
    
まあ、教会のあの大合唱を好きになれるかで、
この映画を楽しめるかどうかが決まるのでは。



2004年06月02日(水) ■
「フォーチュンクッキー」は80点

「フォーチュンクッキー」
たまたま前前日に見た「スクールオブロック」と構造上は良く似ている。知らない世界に飛びこんで、相手の事を知るということ。エンドタイトルにロックバンドの演奏を丸々聞かせるというのまで同じだ。けれどもこっちのほうがよっぽどいい。母親になった娘のホンボウな無機道ぶりもどきどきするし、その母親に恋する本来娘に恋する役割を持っているはずの青年の存在も「あれ?」と思う。先が見えない面白さ。もちろん話は大筋で定番通りに決着するのだが、その「ドキドキ」感がたまらない。人生とはこうでなくちゃ。



2004年06月01日(火) ■
「スクールオブロック」は65点

「スクールオブロック」
見ている間は楽しめるし、笑えるんだけど、みんなでどうしてこんなにいい子なんだ、PTAはどうしてこんなに聞き分けがいいのか、違和感が拭えなかった。これがファンタジーだと定義されればそれでいいんだけど。ディズニー製作だし。でもそうじゃないんでしょ。