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2004年11月30日(火) ■
「地球の歩き方 台北04」

「地球の歩き方 台北04」
台湾の首都台北四日間の旅に行ってきました。これまでいったアジアはこれで韓国、中国、ベトナム、に次いで4カ国目です。旅の終りの日、今回は失敗したかもしれないなあと思っていました。慣れてきたためか、台湾という国自体がそうなのか、なんか外国にいった「新鮮な感動」が少なかったのです。でも数日してやはり行ってよかったという気持ちになってきました。日本を取り囲むアジアの国を網羅したあと、日本の位置が感覚的にみえてきました。

この本は台北に関する丁寧すぎるほどの情報が詰まっています。この本の助言にしたがって移動は地下鉄を利用しました。遊々カードを購入。随分と重宝しました。また巻頭特集で興味を覚えて台北駅から一時閑弱で行ける田舎に行ってきました。平渓線ののんびり鉄道小旅行です。迫力のある十分漠布。そして場末の駅にある店はなんとなく懐かしい感じがしました。アイスキャンデーを買おうとしてまごまごしていたら、おばあちゃんが「あんた日本人ね」と正確な日本語で聞いてきました。田舎に行っても、簡単な日本語なら、お年寄りになるほど通じるというのは本当なんだ、感動しました。

台湾の日本との「距離」は韓国や中国よりも近いのではないか、そう感じました。




2004年11月29日(月) ■
「現代台湾を知るための60章」亜州奈みづほ

「現代台湾を知るための60章」明石書店 亜州奈みづほ
台湾旅行の事前学習のためにこの本を選んだ。読んで本当に台湾の事をほとんど知らなかったのだと実感した。その歴史、現代世界での立場、台湾政治の状況、経済立国としての実力、文化点描、過不足なく最新情報をつめこんで著者の目配りの広さには感心してしまった。
その上で実際に行ってみると、リトル東京を思わせる台北のたた住まいと、田舎のおばあちゃんほど日本語が話せる実態と、その言葉のはしばしに中国とは違い全然日本に対する悪意がないこと、若者の屈託のなさ、日本の約8掛けといって良い物価の高さ、あまり外国に行っているという感覚がなかった。もちろん細かいところは違う。アパートの全ての窓に鉄格子がはめられている事、迷彩服が街中を歩いている事、女性の化粧気がほとんどないこと、もっともその全ての背景はこの本を読んでいると察しが付く。事前学習としては良い本だった。



2004年11月28日(日) ■
「一日5000円ぜいたく旅台湾」光瀬憲子

一日5000円ぜいたく旅台湾」双葉文庫 光瀬憲子
台湾行きの飛行機搭乗まで二時間と少し時間が出来たので、少しでも参考になれば、と空港の売店で買ったのがこの本。小銭の処理にも役立ったし、読むのもちょうど2時間ぐらいで目を通せる内容。「女性にも安心満喫の裏ワザ生情報」といううたい文句。しかし、である。ほとんど役に立たなかった。

台湾通ならではの美味しそうな店や掘り出し物の店は紹介されてあるのだが、全て住所と電話番号が書いてあるだけ。私はお勧めの台湾料理の店に行くため、わざわざ一時間ほどかけて歩きまわったのだが、ついに見つけることは出来なかった。「忠孝東路4段205港7弄13号」と書いてあっても、手元にある地図で分かるのは4段ぐらいまで。初めての旅行者には非常に不親切な紹介であった。ほかの情報は「地球の歩き方」を持っていればだいたいカバーできるものばかしである。そういうガイド本が全然無ければ買ってもいいかもしれない。住所はその後ホテルの人に聞いて、だいたいの見当は付けたのだが、結局時間が無くて行けなかった。なんとも心残りである。



2004年11月27日(土) ■
台湾旅行記 その他

「平渓線探検記」04.10.05
台北駅から一時閑寂で行ける田舎に行ってきました。この旅では平渓線一日周遊券は買うべきです。平渓線の最大の見所は台湾2番目に大きい瀧である十分漠布ですが、そこの入場料180元が100元になるからです。それだけでもこの券の52元の元はとれてお釣りがきます。

十分漠布は歩いていくしかないので少なくとも駅から40分くらいの往復時間は見ておきましょう。電車の時間は一時間に一〜2本しかないので、瑞芳駅や着いた駅でしっかり出発の確認が必要です。瀧はミニナイアガラみたいで迫力満点でした。もう一つ嬉しかったのは、行く途中や瀧の公園内で日本で見掛けることのないような自生している花を6種類以上発見した事。綺麗でした。

場末の駅にある店はなんとなく懐かしい感じがしました。アイスキャンデーを買おうとしてまごまごしていたら、おばあちゃんが「あんた日本人ね」と正確な日本語で聞いてきました。田舎に行っても、簡単な日本語なら、お年寄りになるほど通じるというのは本当なんだ、感動しました。

「ワーナビレッジ体験」04.10.05
台北最大の映画複合施設。18のスクリーンを誇り、小吃(軽食)が充実しているのと、小物屋、本屋まである。館内は日本のシネマコンプックスと同じ。音響は私がはいった部屋はドルビーまで。

みたのは「明日世界」です。ジュード・ロウとヴィネス・パルストロウとアンジェリーナ・ジョリーが出演する滑稽無籐的、懐古的、恋愛的、冒険的、活劇です。(日本未公開)火曜日の19:50開演。約5百席の会場に約80人の入り。ほとんど若者のカップル。入場料は割引無しで285元。(約935円)この値段、私が最近行ったアジアの映画館と比べて、中国(約300円)、ベトナム(約300円)、韓国(約650円)少し高いが、日本の正規1800円と比べると安い。いかに日本の映画代金がべらぼうに高いか、分かる。この映画館では一つも台湾映画はしていなかった。入館人数や、コンピュータ管理など日本の映画事情とよく似ている。一つ違うのは上映前に予告広告以外に一般広告が6つも付き、そのうち半分が公共広告(交通規則を守ろうといった内容)だったこと。

「台湾昆虫博物館」04.10.06
成功中学の中の教室の1室を借りている台湾昆虫博物館に行ってきました。噂とおり蝶の展示は目がくらむほど豊富にあり、綺麗でかつ素晴らしかった。中学校の中にあるためか、説明版は全部手作り、とても好感が持てるし素人の私にも分かるように分かりやすくつくられていた。いってみてもし閉まっていても隣の研究室を覗いてみよう。誰かいればきっと開けてくれると思う。



2004年11月26日(金) ■
台湾映画事情

10/3〜6、台湾は台北に行ってきました。観光です。この第7会議室、発言が少なくて、私の去年の発言「ベトナム映画事情」がすぐそばにあります。今回の発言それと比べてみてくだされば、アジアの各国それぞれ映画事情は違うなあ、とわかるのではないでしょうか。ひとつ言い訳しときますと、「私は決して暇とお金をもてあましているわけではありません。」(^^;)

台北最大の映画複合施設「ワーナービレッジ」に行きました。。18のスクリーンを誇り、小吃(軽食)が充実しているのと、小物屋、本屋まである。館内は日本のシネマコンプックスと同じ。音響は私がはいった部屋はドルビーまで。

観たのは「明日世界」です。ジュード・ロウとグウィネス・パルトロウとアンジェリーナ・ジョリーが出演する滑稽無籐的、懐古的、恋愛的、冒険的、活劇です。(日本題名「スカイキャプテン」未公開)火曜日の19:50開演。約5百席の会場に約80人の入り。ほとんど若者のカップル。入場料は割引無しで285元。(約935円)この値段、私が最近行ったアジアの映画館、中国(約300円)、ベトナム(約240円)、韓国(約650円)と比べて少し高いが、日本の正規1800円と比べると安い。いかに日本の映画代金がべらぼうに高いか、分かる。この映画館では一つも台湾映画はしていなかった。「2046」は封切り済み。一番人気を誇る。つまり台湾は中国と国交はないが、経済的、文化的交流はあるということだ。入館人数や、コンピュータ管理など日本の映画事情とよく似ている。一つ違うのは上映前に予告広告以外に一般広告が6つも付き、そのうち半分が公共広告(交通規則を守ろうといった内容)だったこと。






2004年11月25日(木) ■
「台湾旅行体験記」04.10.03〜06

「台湾旅行体験記」04.10.03〜06
台湾の首都台北四日間の旅に行ってきました。これまでいったアジアはこれで韓国、中国、ベトナム、に次いで4カ国目です。旅の終りの日、今回は失敗したかもしれないなあと思っていました。慣れてきたためか、台湾という国自体がそうなのか、なんか外国にいった「新鮮な感動」が少なかったのです。でも数日してやはり行ってよかったという気持ちになってきました。日本を取り囲むアジアの国を網羅したあと、日本の位置が感覚的にみえてきました。結論から言えば、ハードルはいくつもあるのは承知の上で、日本を含む「アジア共同体」をつくるのは可能であり、それが日本が平和的に生き残る再良の道ではないか、という感覚です。

幾つか印象に残った事をメモ的に書くと以下の通りです。
<台湾の人の親日的感覚は本物です。>
台北駅から一時閑弱で行ける田舎に行ってきました。日本統治時代、金鉱が出たため栄えた鉄道の線で、今は岡山県の芸備線よりも寂れています。そこの場末の駅にある店はなんとなく懐かしい感じがしました。アイスキャンデーを買おうとしてまごまごしていたら、おばあちゃんが「あんた日本人ね」と正確な日本語で聞いてきました。田舎に行っても、簡単な日本語なら、お年寄りになるほど通じるというのは本当なんだ、感動しました。この体験は一度や2度ではありません。駅のきっぷ切りのお爺さん。町の朝食屋のおばあさん。隣にいる若者は日本語は解さないのに、彼らには通じるのです。もちろん日本統治時代の日本語教育の結果ではあるのですが、彼らの話してくる態度にほんのかけらも日本に対する敵対心は無かったのです。同じく戦前日本語教育を徹底していた韓国ではついにこういう事は無かった。また、台湾の看板に時々思いだしたように日本語が付いてるのです。まるで日本における英語みたいな感覚です。台湾の中に抗日戦線があったのは事実ですし、それを顕彰する施設もあります。しかし、日本軍の残酷さを告発する施設はみつける事が出来ませんでした。幾つかの要因が考えられるとは思いますが、現代台湾の「台湾独立政策」(今は中国の正当な後継国であるという政策を廃し、独立を目指しているが、中国はこれを認めていないし、国連も認めていない)がもし成功したら、日本と台湾とは今以上のパートナーシップが築けるはずです。

<台湾の経済力は日本と韓国の中間に位置する?>
経済は門外漢なのでまったく感覚的なものですが、物価で見るとだいたい交通費、宿泊費、食費とも日本>台湾>韓国という感じがしました。(台湾の地下鉄一区間約70円。安宿約3000円。朝食の最低値段約50円。)首都の規模(広さ)は日本>韓国>台湾ですが、地理的要因が大きいのかもしれません。(台湾は山ばかし)。街の清潔さ、テレビCMの洗練は台湾のほうが韓国よりずっと上です。映画文化に対するお金の補助は韓国>台湾>日本なのかもしれません。映画料金が650円<935円<1800円なので。台湾の大卒すぐの給料はガイドの人の言を信じるなら5万〜10万。首都で持ち家を立てようとしたら、数千万から数億かかる。日本より少し低いくらいか。台湾の教育程度がとのくらいなのかは分からないが、輸出国、外貨準備高、ということでも相当高い事が伺われる。同じ島国として、一部分では既に日本を抜いている経済立国なのだ。

<徴兵制廃止の動き>
韓国に徴兵制がある事は今ではほとんどの日本人が知っているが、台湾にもある事を知っている日本人は少ないのでは。実は私今回初めて知った。韓国に徴兵制がある理由はいろいろ要因はあるが、最大の要因はやはり未だに北朝鮮と休戦状態にあるということであろう。しかし、韓国はベトナム戦争に兵士を送り、今またイラクに兵士を送っている。台湾の街中でもソウルほどではないが、迷彩服がかっぽしている。台湾の理由はいうまでも無く中国共産党との内戦の結果である。しかし、韓国ほどの緊張状態は無い。台北の街中ではありとあらゆる中国料理専門店があり、香港映画の大作「2046」は日本よりも早く台北では既に上映されており、一番人気を博している。それはすなわち国通しの国交は無いが、経済、文化的な交流は確立してる事を示しているだろう。ガイドが「台湾の靖国神社みたいなものです」といって、「忠烈嗣」につれていってくれた。そこでは近衛兵がまたばきもせずに直立しているのだが、20才で一年10ヶ月徴兵される若者は例えばそういう使われ方をしているのである。ここに祭られている聖霊は国共内戦以降は一人もいないらしい。つまりそれ以降全然戦争はなかったということである。国連に入っていないこともあり、海外に出る事も無い。「徴兵制に対する反対運動は無いのですか」と聞くと、「たぶんもう少ししたら志願制に変わると思います」という答が帰ってきた。ここで日本の若者に付いて考える。日本に徴兵制が無い事。それはやはり、日本の特殊性なのだ。9条を持っている日本の誇りうる特殊性である事は間違い無い。喜ばしい事なのではあるが、しかしそれを「特殊」だと思って支持する事と、空気のようにそうであるのが当たり前であると支持するのとは違う。韓国の徴兵制は一方では悲劇を生んでいるが、一方では極めて高い若者の政治性を生んでいると私は思う。台湾の徴兵制もどういう意味を持っているのか、今はまだよく分からないが、韓国と日本で始まっているように、若者とおしの交流が必要ではないか。私は自分も含めて「のほほん」としている日本の若者が喜ばしい事だとは決して思わない。

<孫文とはなにか>
台湾には日本でいう平成のような元号があります。今年は民国93年です。元年はいつかというと、1911年辛亥革命です。よって孫文は建国の父として蒋介石に次いで国民の尊敬を集めています。しかし、孫文の思想というのは不思議です。彼の三民主義とは本当に単に「民主民生民族」で片付くものなのでしょうか。中国でも孫文は大きな記念館があるのは知られている通り。有為変転が多い中国の中で彼の偶像の価値は未だに一度も堕ちていないはずです。そして日本でもなんと孫文の人気は高い。明石に孫文記念館があり、犬飼木堂記念館の中に孫文コーナーがあり、日本の至る所に孫文記念館があるはずです。孫文の思想の中にアジアをまとめる大きなヒントがあるのかもしれません。誰か研究してもらえないでしょうか。

<アジア平和共同体に向けて>
まだ読んではいないのですが、喬尚中が唱えている「東北アジア共同体」構想、加藤周一が言及した日韓中共同体構想、に関心を持っていた私ですが、今回の旅でその実現の可能性をますます広げる事が出来ました。もちろん、日米安保体制の解消、台湾中国間の問題の解消、朝鮮半島の問題、あまりにも難しい問題が横たわっています。しかし、このまま日本がアメリカの言いなりを続けていたらやがて日本が戦争を起こす事は目にみえていますし、朝鮮半島の平和化はすでに北朝鮮以外の世界中の国では常識となっていますし、台湾海峡の平和化は予断は許さないものの一つの流れになっているように私には思えます。私は韓国北朝鮮中国台湾日本の平和条約の可能性は、これからの各国通しの後戻りの出来ない経済文化の交流如何にかかっているのではないかと思います。そしてそれは一部分ではすでに始まっている。後戻りの出来ない規模で。私が高校生の頃にこのことに気が付いたなら、迷わず北京語とハングルを同時に学んだろうに、と今悔しく思っています。



2004年11月24日(水) ■
「ハウルの動く城」は70点

「ハウルの動く城」宮崎駿
冒頭から戦闘機、戦車が描かれ、軍服が闊歩する。宮崎駿が初めて「戦争」を正面から描いた、と思ってはいけない。いや、私は最後の瞬間までそう思っていた。そうでなければこの作品が終らないと思っていた。けれどもそれは裏切られる。
この弱いラストはいったいどういうことなのだ。最後の最後になって宮崎は作品を投げ出したというのだろうか。ついには自分の後継者が見つからない、宮崎の愚痴みたいな作品になってしまった。いったん老いてしまうと「荒地の魔女」みたいにもう能力は戻らない。
もちろんいま流行りの「純愛」物語としても観れない事は無い。とくに、ハウルがなぜ「黒」の扉から出ていき、なにをしているのか、大人の女性である主人公はなぜ、ハウルの本質をああもたやすく発見する事が出来るのか、その事に万が一納得できるなら、それはそれで合格点を付けるだけの水準ではあるのだろう。でも不満である。少なくとも私は、主人公たちに共感していないからである。



2004年11月23日(火) ■
「海猫」は60点

「海猫」森田芳光監督 伊藤美咲 佐藤浩市 中村トオル 三田佳子 白石加代子 深水元基 ミムラ あお井優 小島聖
昭和50年代の北海道漁村。昔気質の残っている田舎で、けなげに頑張るロシアのあいのこの美しい若嫁。そして暴かれる三角関係。まるで一昔前の昼のメロドラマだ。でも丁寧につくれば傑作になる可能性はあった。本格推理小説の中には「閉ざされた山荘の中での密室殺人」という物語がくり返し描かれ、決して駄作ばかりではないということがありうるように、「閉ざされた環境の中での三角関係」というのはくり返し描かれるべき日本映画の永遠のテーマだろう。舞台設定、美術は素晴らしい。脇役は白石加代子を筆頭に堅実。だとすると、問題は主演俳優である。男優のほうは可も無く不可も無い。女優は問題である。些細なことだが、女優の目は青いはずだし、セリフでも明確に言われているのに黒いままというのはいかがなものか。いや、そんな事ではない。伊藤美咲、雰囲気だけはあるが、もっと上手い俳優にすべきではなかったのか。雰囲気だけを出そうとする女優への演技指導はつまりは「キャストミス」という事なのではないか。伊藤美咲がどんな気持ちで仲村トオルに走ったのか、そのもっとも大事なところを雰囲気だけで撮って貰ってはたまらない。つまりはこの作品は官能美溢れたメロドラマであり、映画作品としてはすぐ消え去るべきものである。ただし、伊藤のだらしない弟役、深水元基は収穫。



2004年11月22日(月) ■
「世界でいちばん不運で幸せな私」は60点

「世界でいちばん不運で幸せな私」ヤン・サミュエル監督 ギョーム・カネ マリオン・コティヤール
今年最初で最後のフランス映画。どうした事だろう。去年はあんなにも公開されたのに。去年は結局、9.11後のハリウッドの一時の休息であったのだろう。

ポーランド移民でいじめられている女の子と、母親を無くした男の子の、「いたずらを断ることの出来ないゲーム」。それがなんと20年間つづく。二人はお互い好きだけど、心はすれ違う。だって、日常を全て「ゲーム」で過ごしているのだから。

二人の関係はいつも「ゲーム」だった。だから続いた。何度かお互い気持ちを素直に出す事がある。でもゲームが続いている以上、それは相手には伝わらない。映画として成り立たせるために、それを悲喜劇で終らせるのだが、普通なら、思春期の10代でこの関係は清算するはずだ。それを俳優の事情からか、35歳まで続けさせた事でこの映画のリアリティが無くなったと私は思う。でも「ゲーム」は一人では出来ない。どんな結末であれ、ゲームの相手を見つけたのはうらやましいことだと思う。



2004年11月21日(日) ■
「血と骨」は60点

「血と骨」原作梁石日 さい洋一監督 ビートたけし 鈴木京香 新井浩文
 田畑智子 オダギリジョー 濱田マリ 中村優子 北村一輝 寺島進 伊藤淳史

大正年間に済州島より日本に渡ってきた「在日」の人々の1970年頃までの物語。大阪の「在日」のスラムのみが舞台になっているため、日本の中の「朝鮮」の昭和史を描いた物語だとも言えるだろう。金俊平は戦後蒲鉾工場を立ち上げ、成功し、やがて金貸しに転じる。嫁、息子、娘たちは反発し、妾は脳腫瘍で寝たきり、いよいよ凶暴、強欲、絶倫になっていく。

韓国を旅してひとつ気が付くのは、彼らの日常的な感情表現の過激さであろう。人前で喧嘩が始まるのは当たり前。街中の女の子たちは常に腕を組んで歩いていく。パコダ公園で、政治的アジ演説を始めるひと、朗々と哀切な歌も始まる。韓国の代表的な感情表現といわれる「恨(ハン)」の意味はいまだによく分からないが、日本人の感情表現とは明かに違うということだけは分かる。この作品にほとんど日本人は出てこない。しかし韓国の人たちが観たら、強い違和感を覚えるだろうと思う。確かに感情の爆発はある。しかしそれを独り「金俊平」の「血」のせいにし、「感情」に対する人々の対処のし方、あるいは描き方は、突然場面が変わるなど、非常に抑制されてあり、見事な「日本映画」になっている。たまたま同時上映になった「オールドボーイ」と見比べると、「暴力」の描き方の違いは明確であろう。韓国映画の暴力は、なんというか、湿っぽいのだ。

この映画はあくままで、金俊平の長男の目から描かれている。ビートたけしの存在感は圧倒的ではある。しかしそれに対抗する男たちのなんとひ弱な事か。新井浩文、もう少しなんとかならなかったのか。唯一対抗したのは、鈴木京香と田畑智子か。しかし、金俊平の神格化を狙っていたにしては単なるごうつく親父にしか見えなかった。よって、この映画、なにを描きたかったのか、分からなかった。たまたま日韓映画の比較が出来た事が今回の収穫。





2004年11月20日(土) ■
「オールド・ボーイ」は70点 

「オールド・ボーイ」パク・チャヌク監督 チェ・ミンスク ユ・ジテ カン・ヘジョン 
去年の今ごろ、韓国・釜山の街で偶然この映画を観ていた。偶然というのには少し語弊があるかもしれない。12月のはじめに韓国に行った時、なにかの作品を観ようと心に決めていた私は、喫茶店で読んだ韓国の映画雑誌で星が一番多く、評価が高かったのがこの作品であったのだ。もちろんなんの前知識も無かった。辛うじて韓国題名も「オールド・ボーイ」であり、切符も買うときに困らなかった事を覚えている。次ぎの週からは「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」「シミルド」が始まり、さらには「ブラザー・フッド」が控えていたので、ちょうど韓国映画の狭間の時期であったのだろう。作品自体は主人公を中心によく動くのでセリフが分からなくてもなんとなくストーリーは追える。チェ・ミンスクの最初の酔っ払いサラリーマンぶりには驚愕した。役づくりのためとはいえ、見事に太り、そしてガリガリに痩せて、「シュリ」のときはうって変わって感情の振幅の激しい役柄である。いや、正直言って彼の役者根性振りしか心に残らなかった。韓国語が分からないので、敵方の心理状態が今一つ分からないまま、終った。そしてこの題材はもしかしたら、日本にはやってこないかもしないなあと思っていたのである。そのときは韓流ブームが起こるとか、この作品がカンヌグランプリをとるとか、もちろんこれっぽっちも予測はしていなかった。

日本という国においては、「流行」とか「国外の評価」というのは、これほどにも決定的なのである。まさか全国拡大ロードショーになろうとは。そういう題材ではないだろう。日本語でみても結局さいしょの印象と変わらない。敵の心理状態はやっと少し分かったが理解できない。こんな不条理がどうして評価されるのか分からない。結局、題材が問題ではなく、「感情表現」が素晴らしかったのだろう。あくまで単館系で観るべき作品である。(釜山ではロードショーで若者中心250人以上、よく入っていたが。私の観た日本の館では初日にもかかわらず、20人ぐらいの入り。)ただ最終シーン。主人公の最後の顔の表情は後々まで心に引っかかる。



2004年11月19日(金) ■
「いま、会いにゆきます」は80点

「いま、会いにゆきます」土井裕康監督 市川祐司原作 竹内結子 中村獅童
前評判が高い作品。原作が「セカチュー」みたいに大ヒットしていたわけでもなく、口コミで広がりつつあった。そういう意味では少し期待して見せてもらった。なかなかいい映画であった。一度黄泉がえったことのある竹内を主人公に持ってきたキャストの企画勝ちですね。中村も「ピンポン」とはうって変わり、幅の広い役者振りを印象付けた。

純愛映画は引く事が多い私ではあるが、いろんな伏線を見事に活かしたこの映画は最後しみじみとさせた。泣きはしなかったが。「出会いとは不思議でもあり奇跡とも必然とでもいえるものかな」くま



2004年11月18日(木) ■
「トリコロールに燃えて」は80点

「トリコロールに燃えて」ジョン・ダイガン監督・脚本 シャーリーズ・セロン ペネロペ・クルス スチュアート・タウンゼント
奔放で美しい上流階級の娘、英国の労働者階級の男、スペイン内戦を逃れてきた娘、よくある男女三角関係の物語。しかしそれだけではない。1930年代のパリ、芸術が花咲き、スペイン内戦に義勇軍が馳参じる、40年代の欧州、ドイツがパリに進駐し、レジスタンスが闘われる。久しぶりの欧州歴史大河ドラマ。しかし、それだけではなかった。

「モンスター」の撮影直後にすぐこの映画をとったとは思えないほど、シャーリーズ・セロンの肌は白く、金髪は美しく、奔放で活発で魅了される。(最初の頃の裸は下腹がまだ出ている。しかしそれもいやらしくて私的にはよかった。後半は見事なプロポーションを保つ。)とくに最初の登場場面、生真面目な貧乏学生を一発で虜にするだけの輝きを放っていた。ずーとシャロン嬢の顔を見ているだけで、至福の2時間は過ぎ去った。というようなミーハー的意見だけを言い放てばいいような作品だと思っていたら、いい意味で期待を裏切られた。ひとつは享楽のパリとレジスタンス運動の対比が見事で、近年に無い歴史ドラマを作っている事。ひとつはシャーリーズ・セロンが、ひと皮剥けて、見事な本格女優として登場している事。

美しい彼女はペルソナ(仮面)を幾つか使い分ける。男と男を渡り歩く享楽的な彼女、あるときは女優、あるときは女流カメラマンとして芸術界で活躍する彼女、上流階級の娘としての彼女、ナチスの将校の恋人としてうまく世渡りをしている彼女。幾つかの仮面が何回か剥げるときがある。一人の孤独な女性として。愛を知り始めた女性として。それを無理無く演じわけたシャーリーズ・セロンはもはやカメレオン女優などではなく、見事なアカデミー主演女優であった。再終盤の彼女の表情など、なにも喋らなくても、私には言いたいことは全て伝わってきた。えっ、伝わってこない?あそこが一番分かりにくい?残念だ。歴史を勉強しよう。最後の彼女の手紙をもう一度思い返そう。運命とはなにか。人生とはなにか。じっくりと考えてみよう。素晴らしい映画であった。

しかし、一つだけ疑問がある。冒頭の場面、彼女が貰った占いとは「運命が見えない。それはあなたが34歳になるときである。(つまり1945年)」というものだったと思っていた。つまりわたしは、45年彼女に生死は別に何事かが起こるのだと理解していた。しかし、映画をしばらく見ていると彼女はそのようには理解していなかった事が分かる。彼女は「34歳以降はこの世にはいないのだ」と思っていたようである。誕生日を極端に嫌い、運命論者であると恋人に告白している事から間違いは無いだろう。これは私の勘違いだったのだろうか。それとも「字幕のミス」なのだろうか。ちなみに字幕は戸田奈津子嬢である。しかし、この部分はこの映画の「肝」といっていいところ。ミスなら許されない。他のひとの意見を聞きたいところです。



2004年11月17日(水) ■
「隠し剣鬼の爪」は75点 

「隠し剣鬼の爪」山田洋次監督 永瀬正敏 松たか子 小沢征悦 
不満である。力作であるし、心地いい感動も与えてくれるだけに、画龍点晴を欠く、永瀬、松、両者のたった一つの演技に不満である。
永瀬の場合は堀家老に激しく詰め寄る場面。普通なら死を覚悟しての詰めよりでなければならないはず。しかし永瀬の場合、まるで現代のサラリーマンが常務に詰め寄るように無防備だ。「たそがれ」のヒロインの現代的だったのはよかった。彼女の場合はそれなりに女性ということもあり、リアルだった。しかし、宗蔵は跡取り息子である。あのような言葉は吐いてはいけない。吐くときには今にも鬼の爪を使うような迫力が欲しかった。結局永瀬には子の役は無理だったのかしれない。松の場合、彼女の質素で可憐で顔を隠しながら笑う場面など、まさに花のある女優、魅力があったが、しかし、一番の見所は嫁入り先の商家で、ボロボロにされ、納戸でねかされている場面であろう。ここが相当悲惨に描かれていないと、宗蔵がたえを救いだすことにリアルさが無くなり、物語自体が成立しなくなる。しかし質素な身なりはしているがたえは丸々健康そうで、しかも清潔そうで、死にそうな雰囲気は無いのだ。まつはせめて10〜20キロ減量して欲しかった。せめて宗蔵におぶわされたとき、「おら、くさぐねぇべか」ぐらいは言って欲しかった。原作ではトイレも行かせて貰えず、たれ流しだったはず。
監督の気持ちはよく分かる。前はしがない貧乏父さんにエールを送り、次ぎは若者にエールを送りたかった。上司に対して少しはうっぷんをハラしたかった。
ずっと前に鬼の爪は読んでいたのに、あの隠し剣の使い方、なかなか見事であった。ひとえに名優緒形拳の存在感によるところが大きい。



2004年11月16日(火) ■
「笑の大学」は50点

「笑の大学」星護監督 三谷幸喜原作・脚本 役所弘司 
客はこの作品に笑うために来ているのである。くすくす笑いは出ていたが、ついには大笑いは無いままで終った。中途半端な感動なんて要らない。残念ながら失敗作である。



2004年11月15日(月) ■
「コラテラル」は70点

ロザンゼルスのタクシー運転手・マックス(ジェイミー・フ
ォックス)は、ある日ヴィンセント(トム・クルーズ)という
客を乗せる。法外な前金を払う彼にマックスは気をよくしたが、
ヴィンセントは一晩で5人の殺害を計画している殺し屋だった
のだ……。

 トム・クルーズがこれまでに演じたことのなかった“完全
ヒール(悪役)”にチャレンジする意欲作。監督は『ヒート』
『ラスト・オブ・モヒカン』のマイケル・マン

「コラテラル」というのは、巻き込まれるという意味だったのか。

出自の事情はあるものの、冷徹で非常に優秀な(ゴルゴ13ほど
ではない)殺し屋の内面に共感する人はたぶんいるだろうけど、
(女性は理屈抜きに共感するのだろうか)、それはよほどの偏
屈だと思う。常識人なら、やはりタクシーの運ちゃんに共感す
るだろう。よって、彼がどれだけリアルに描けているかは、こ
の作品の成功の大きな要素だと思うが、さすがにマイケルマン、
そつなく作っている。だから殺し屋のあの一言が心に残り、運
ちゃんがこれからどういう人生を送るか想像がつくのである。

しかし、そうであっても、どうもしっくりこなかった。たぶん
一番の悪役に決着がついていないからだと思う。勧善懲悪の物
語ではないと分かってはいるんだけど……。



2004年11月14日(日) ■
「エクソシストビギニングは60点

「エクソシストビギニング」
 神に失望し、信仰を捨てたメリン神父(ステラン・スカルズゲー
ルド)は、考古学者としてアフリカに派遣される。歴史にあるはず
のない教会が土中から発掘されたため、その調査を依頼されたのだ。
だが彼が現地に赴いてから、次々と怪奇な事件が起き始める。メリ
ンはそこに“悪魔”の介入を察するのだが……。

 ホラー映画に燦然と輝く名作『エクソシスト』の恐るべき前史。
ジョン・フランハイマー死やポール・シュレイダーの降板など、次
々と監督が代わり、最終的に『クリフハンガー』のレニー・ハーリ
ンが監督を手掛けた。撮影はヴィットリオ・ストラーロ。


前作は科学が敗れた後メリー神父がやってきた。それと娘を思う母親の気持ちが丁寧につくられてあり、いい作品だった。今回のメインは一度ある事情で信仰を無くしたメリー神父がまた信仰を取り戻すまでを描く。一度無くしたものを取り戻したとき力は倍化されているというのは容易に想像がつく事ではある。それはいい。しかし神父はなぜ信仰を取り戻したのだろうか。そこのところが私には今ひとつ分からなかった。それとあのどんでん返し。少しは伏線あったのかしら。無かったとしたら、失敗作といってよいでしょう。



2004年11月13日(土) ■
「シークレット・ウィンドウ」は70点

「シークレット・ウィンドウ」ジョニー・デップ
くそ−悔しい。ミステリーが好きなのに、映画半分の時点で、ネタを暴く事が出来なかった。
あんなにも伏線を張っているのに。
(前半までに五つ以上はあります。)
せめて、ネタがばれる10分前に分かったのが救いか。
これ以上言うとネタばらしになるので言わないが、
スティーブンキングらしく、デップらしい作品である。
終りの一言はなかなか良かった。




2004年11月12日(金) ■
「ナイトメア−・ビフォア・クリスマス」は70点

「ナイトメア−・ビフォア・クリスマス」ティム・バートン
ハロウィンの国のかぼちゃの王ジャックは、ハロウィンを成功させてもどこか物足りない。ひょんなことからクリスマスの国に迷いこみ、ジャックはクリスマスをハロウィンの国でお膳立てする事を思いつく。
同作品上映前にある短編「ヴィンセント」「フランケンウィニー」で、ティム・バートンの気持ちは充分に伝わる。そして本篇では一気にめくるめく色彩の世界に入っていく。「後もう少しで(クリスマスの国の事が)分かるんだけどなあ」と唄うジャックの気持ち、それはすなわち、「後もう少しでハロウィンの国の事が分かるのだけどなあ」という私の気持ちにも重なる。バートンの気持ちは分かるが、やはりお互いの国は理解しあうという事は無いのだ。ただ、理解しがたい事を目の前にして、わくわくすると言う気持ち、それだけは理解する。映像は素晴らしい。93年製作というと、ディズニーの快進撃が始まった頃だろうか。異端の作家、ティムの心意気が伺える快作。



2004年11月11日(木) ■
「モンスター」は80点

「モンスター」パティ・ジェンキンズ監督・脚本 シャーリーズ・セロン クリスティーナ・リッチ

シャーリーズ・セロンが13キロも体重を増やすという役作りをして、アメリカ初の女性連続殺人事件犯人として死刑になったアイリーン・ウォノースを演じる。

シャーリーズ・セロンはこの5年間、「ノイズ」というダメダメ映画でその美しさに魅了されて以来、ずっと私の「お気に入り」女優である。彼女が主演を張っているだけで、どんなダメ映画(例えば「レインディア・ゲーム」)でも満足して映画館を出る事が出来た。彼女は作品ごとに役柄どころか、髪型、髪の色まで変わる。しかし、その透き通るような肌は変わらず、ずーとそのアップ顔をスクリーンで観ることで私は至福の2時間を味わっていた。

と、いうわけで、この作品を観るには勇気が要った。この作品には、これでもか、と彼女のささくれだった肌がアップで出てくる。様変わりした顔、ぶよぶよの腹、下卑たセリフとガニ股で歩く姿、私には辛い体験だった。しかし、その辛さこそがプロデューサーとしてこの作品に情熱を燃やしたシャーリーズの狙いだったのだ。パンフで字幕翻訳者の松浦美奈が信じられない事を書いている。「美しいシャーリーズは美しくない女優がつかめたかもしれないチャンスを葬ってしまったとは思わないのだろうか?そんな事を言うのはヒガミなのかな。」これこそ女のヒガミとしか思えない。最初幼い主人公が女優を夢見ていたという告白が語られる。いろんな女の子はそういう夢をみるものだが、女優のシャーリーズはそれを実現した数少ない女性の一人である。しかしアイリーンは家庭環境の不幸もあり、正反対の道をたどる。一つ道が違うと、こういう風に同じ人間でも変わりうるのだと私たちはずーと1時間49分見せつけられる。これこそが映画の「力」である。その狙いも分からない字幕翻訳者の見識には失望した。

主人公アイリーンは確かに可哀想な部分はあるが、一方殺人に弁解の余地は無い。そして彼女の立ち振る舞いは彼女が嫌っていた自分を買う男たちの態度そのままだ。のぞけり、空威張りして、時々卑屈になる。彼女の環境をそのまま見せることは、80年代のレーガン政権が行ってきた弱いものを顧みない政策のツケを観る事にもなる。やはり彼女のアカデミー女優賞の受賞は本物だった。彼女のファンとして心からおめでとう、と言いたい。
もちろんこの2週間後、私は彼女が美しく復活しているに違いない「トリコロールなんとか」を観るのは言うまでもない。



2004年11月10日(水) ■
DVD「MUSA武士」は80点

DVD「MUSA武士」
明との国交回復に失敗した副師団が、元の部隊から明の姫を護りとおす事で成功に変えようとする物語。日本にはまったく知られていない歴史の一コマである。しかし、これが見事なエンターテイメント作品になっている。中国オールロケ(なのかな)を敢行して、さらには中国の役者を招聘し、チャン・ツィイーが代表格として姫様を演じる。韓国と中国の映画を通しての協力体制も新鮮。
なんといっても、一人一人の個性が実にくっきりと描かれている。儒教の人格者を体現する冒頭死んでしまう副師。それに仕えていた奴隷で槍の使い手(主人公格)、武士としての尊厳と自分の使命と自分の弱さの中で好演した将軍(主人公格)、気の強いが、しかし護ってあげたい魅力一杯のお姫様(主人公格)、副官、隊長、農民、敵の元の将軍、慰安婦の女性、新婚ほやほやの軽兵、通訳、漢民族の農民の女性、首長、高麗のお坊さん、ざっと思いだしただけでもこれだけの人物像がしっかり描かれてありそれぞれ「見せ場」を持っている。この手腕はちょっと日本には無い。凄い映画を観た。



2004年11月09日(火) ■
「永遠の片想い」は65点

「永遠の片想い」イ・ハン監督・脚本 チャ・テヒョン(猟奇的な彼女) ソン・ウンジュ(ラブストーリー) ムン・グニョン(ブラサー・フッド)
大親友女の子二人と一人の女の子の三角関係。難病ものでもある。
韓国映画はかならず「悲劇」で終る。もうそろそろ日本の観客はその「法則」に気が付くべきだろう。そうだと分かっていて「感動」する作品を私は評価する。この作品は「あともう一歩」だった。単なる難病ものではなく、どんでん返しが二つある。このサービス精神も韓国映画の特徴ではある。しかし一つは納得したが、一つはあざといと感じてしまった。
「ブラザー・フッド」で鮮烈な印象を残したムン・グニョンがなかなかの好演。



2004年11月08日(月) ■
「インファナル・アフェア無間序曲」は75点

「インファナル・アフェア無間序曲」
監督アンドリュー・ラウ/アラン・ラック 
おしい。良い映画だとは思う。しかしまるで「ロード・オブ・」だ。三部作全てが完結しないと評価が難しい。犯罪映画である。フィルム・ノワールである。香港返還前の暗黒社会を一部では脇役に回っていた組織のボス(エリック・ツァン)と警視(アンソニー・ウォン)が、その若かりし頃を見せる。今回実質の主役である。やがてとニーレオンが演ずる事になるヤン(ショーン・ユー)の気持ちの中が今一つ見えない。アンディラウが演じる事になるラウ(エディソン・チャン)のほうは単純なぶんだけ面白い。今回初めて登場してきた人々は第一部では既にいなかったのだから、当然死ぬことになるという事がもう明かに分かっている。具体的には組織のボスでヤンの義兄に当たるハウ(フランシス・ン)、ウォンの相棒ルク(フー・ジュン)、サムに恋女房マリー(カリーナ・ラウ)。しかし、一部では見えなかった愛増の糸がこれでいよいよはっきりして(いよいよ複雑で分からなくなり)第3部ではなんともう一度第一部に戻るという。こんな三部作は初めて見た。来年が楽しみだ。最後の予告編が正直一番衝撃的だった。



2004年11月07日(日) ■
「夕陽妄語�察廖_弾�周一

「夕陽妄語�察彡�日新聞社 加藤周一
朝日新聞月一の連載の単行本化7冊目である。2001年1月より2003年12月までが収録されている。単行本の帯にはこう記されてある。「ぶれない・流されない・こわばらない 20年間の定点観測が教えてくれる抵抗のかたち」なかなか的確なキャッチコピーだと思う。加藤周一の意見はずっと変わっていない。しかしこの20年間変わってきたのは日本と世界の政治状況であろう。「大勢順応主義」に陥りやすい日本のことをその文化の根本からずっと批判してきたのは加藤周一である。(ぶれない流されない)しかし彼の関心はいつも政治に向かっているのではない。むしろ、この数年間は「日本美術史序説」の完成に向けてアジアに散らばる仏像と日本との関連、あるいは雪舟の事、あるいは淋派の事、あらゆる美術を精力的に見ていた。(こわばらない)ただこの連載の三年間の途中でその研究を一時中断してまで取り組まねばならない出来事が起きたのだと、私はこの単行本の目次を見て気が付いた。2001年9月11日の同時多発テロに発する、アフガン征伐とイラク戦争、そしてそれを積極的に「支持」する日本政府と「改憲」策動である。9.11以降の28ヶ月で直接間接にこれらの事に関して言及しているのは、私見によれば20ヶ月にも及んでいる。長い連載の中これほどまでに具体的な政治状況にコミットしたのはなかったと思う。この連載の外では精力的に講演もこなし、反対宣言も幾つか出し、そして関連の本も書いている。1919年生まれの加藤周一氏であるから今年85歳のはずである。私は氏がこの連載中二回も紹介した木下順治作「巨匠」の事を思いだしている。老知識人は自分がそれを言いだせはナチスに殺される事が分かっていて自分の芸を披露する。その事がなによりも大切な自分の生きている証だったからであり、抵抗のかたちだったからである。失礼な事を充分承知しながらあえて言えば、私は日本を代表する知識人・加藤周一がこの老知識人のように「最後の闘い」に打って出ているのだ、と何度も何度も感じてたいた。

アマゾンコム書評で没になった。
やっと問い合わせることができた。
800字を超えているそうだ。
他にも超えている書評はあるような気がするのだが、
今は良い。とりあえず理由がはっきりしたので、削ってみる。

朝日新聞月一の連載の単行本化7冊目である。2001年1月より2003年12月までが収録されている。単行本の帯にはこう記されてある。「ぶれない・流されない・こわばらない 20年間の定点観測が教えてくれる抵抗のかたち」なかなか的確なキャッチコピーだと思う。加藤周一の意見はずっと変わっていない。しかしこの20年間変わってきたのは日本と世界の政治状況であろう。「大勢順応主義」に陥りやすい日本のことをその文化の根本からずっと批判してきたのは加藤周一である。(ぶれない流されない)しかし彼の関心はいつも政治に向かっているのではない。むしろ、この数年間は「日本美術史序説」の完成に向けて、仏像、あるいは雪舟、あるいは琳派、あらゆる美術を精力的に見ていた。(こわばらない)ただこの連載の三年間の途中でその研究を一時中断してまで取り組まねばならない出来事が起きたのだと、私はこの単行本の目次を見て気が付いた。2001年9月11日の同時多発テロに発する、アフガン征伐とイラク戦争、そしてそれを積極的に「支持」する日本政府と「改憲」策動である。9.11以降の28ヶ月で直接間接にこれらの事に関して言及しているのは、私見によれば20ヶ月にも及んでいる。長い連載の中これほどまでに具体的な政治状況にコミットしたのはなかったと思う。この連載の外では精力的に講演もこなし、反対宣言も幾つか出し、そして関連の本も書いている。1919年生まれの加藤周一氏であるから今年85歳のはずである。失礼な事を充分承知しながらあえて言えば、私は日本を代表する知識人・加藤周一が木下順二の戯曲「巨匠」の老知識人のように自らの人生を証明するために「最後の闘い」に打って出ているのだ、と感じていた。



2004年11月06日(土) ■
「塩の道」宮本常一

「塩の道」講談社学術文庫 宮本常一
信濃などの山の中でも当然のことながら塩が必要とされた。その塩を運ぶ道は街道ではなくそれに沿った細い道が使われている。なぜか。牛で運ばれていたからである。途中で草を食べる必要があったのだ。等々、綿密な民俗調査から明かにされる昔の人の生活の知恵の数々が次々と出てきてなかなか楽しかった。例えば塩サケなどは保存のためだけではなく、その塩を必要とされていたのだということ。あるいはニガリのある「悪い塩」をわざわざ買い、そのニガリを抜く事で山中の人々は豆腐を作るためのニガリを確保していたのだということ。

長い歴史の中で「道を開く」という事はどう言う事なのか。その道が必ず海に通じていたという事はどう言う事なのか。「道も一つの遺跡である」街道などの当時のクニが作った道だけでなく、民衆が作ってきた道をどう見るかという視点をくれたことが今回の収穫であった。

宮本民俗学は柳田民俗学とは違い、綿密な民俗調査のあとがはっきりしていたり、歴史文書資料の活用など、学術性が高いところに特徴がある。しかもその眼差しは常に民衆の立場に立ち温かい。それは彼自身が若い頃からずっと自分の足で日本中をくまなく歩いてきた成果なのだろうと思う。





2004年11月05日(金) ■
「テイキング・ライプス」は60点

「テイキング・ライプス」
監督D.J.カルーソ イーサン・ホーク アンジェリーナ・ジョリー
「サイコ・パス」対「FBI心理捜査官」ものである。もう「羊たちの沈黙」以上の傑作はつくれないのだろうか。相手が弱すぎる。捜査官に深みがない。物語上必要だからといってああ簡単に裸晒して良いものだろうか。まあ、いうまい。あっという結末が待っています。
そもそもサイコキラーで映画をつくるのは止めたほうが良い。どういう背景を描こうと、彼の心理に「ドラマ」を求めるほうが間違いだと思う。サイコキラーを分かったつもりになってはいけない。しかし、それを分からないとドラマは作れない。ドラマをつくれなければあとはスリラーがアクションに頼らざるを得ない。もうそれだとB級映画以上のものは作れない。それが悪いというわけではないけど。



2004年11月04日(木) ■
「アイ・ロボット」は75点

「アイ・ロボット」
監督アレックス・プロヤス ウィル・スミス ブリジッド・モナイハン ジェームズ・クロムウェル
ロボット三原則はやはりこんなに簡単に破る事が出来るのだ。ということだけを教えてくれる映画。SF部分に目新しさはなにもない。むしろ、主役級のロボットが全てCGである事を考えると、俳優のこれからの生きていく道の険しさを考えて同情したくなる。最初事件から始まり、最後のその解決で終る映画としては、ミステリ映画としてみたほうが良いかも。女優はよかった。ああいう美人弱いのよね。



2004年11月03日(水) ■
「サバイブスタイル5+」は60点

「サバイブスタイル5+」
企画・原案・脚本多田琢 監督関口現 浅野忠信 橋本麗香 阿部寛 小泉今日子 岸部一徳 荒川良々 ヴィニー・ジョーンズCM業界の苦悩は良く分かった。ついでに夫婦関係の難しさも一応同情しよう。でもこれがスタイリッシュってことなの?万が一の可能性に賭けて見てみたのだが、予想とおり外した。CMというのは商品を売るために存在する。しかし、この映画の「役割はなんだ?」私に質問するな!脚本家と監督に聞いているんだ!さっさっと答えろ!このビッチ! 



2004年11月02日(火) ■
「ヴィレッジ」 は60点

「ヴィレッジ」 ナイト・シャラマン監督 
19Cと覚しきアメリカの一村では、森の中に入ってはいけないという様々な禁畏があった。なぜそんな掟があるのか、森の外の町は本当はどんな「町」なのか、ほとんどそのラストの種明かしに向けてのみ、物語は進んでいく。

過去に幽霊、超能力、異星人と登場させてきた監督だけに、推理あと一歩まで行ったのに、過去の作品にとらわれて、解明する事が出来なかった。「6センス」に戻ったかのような「ほのぼの」ラスト(もちろん文字通りに捕らえてはいけない)である。しかし、私は失敗作だと思う。今回はたまたまうまく行ったからいいものを、もうあとが続かないのは目に見えている。この世界のウソはもうほとんどすぐに暴かれるとしか思えない。監督が一生懸命築き上げた「ウソ」も、それに並行して先が見えてしまう。感動しない所以である。



2004年11月01日(月) ■
再開の弁

9月24日、「スウィング・ガールズ」を2重投稿してしまって、「あっ、やっちゃった」と思った直後、PCがブレイク・ダウン。去年と同じ理由で長いお休みをさせてもらいました。しかし、去年はPCの買い替えが必要な深刻なハードの故障だったのに対し、今回はソフトの不具合。再インストールで二日後には再開。しかし、いろいろ不具合があってインターネット再開には1週間以上かかり、「まあいいや。このまましばらく休んじゃえ」と思って1ヵ月半近く休んでいましたが、このたび、月が変わるに従い、再開する次第です。

一応(毎日更新めざす)と書いてるのですが、元より毎日1冊、あるいは一本、あるいは1回、本を読み終えたり、映画を観たり、旅をしたり出来るはずも無い。私もごたぶんにもれず、毎日サービス残業をしたりする長時間労働者ですし、しかも、労働組合の役員までしているので、週休二日といいながら、たいてい一日はなんらかの会議がある始末です。しかし、それでもこういうことに時間を割く事が出来るのは、一に私の努力(冷汗)、二に独身という境遇のせいです。しかも不幸な事に、恋愛に割く時間をほとんど持たなくてもすむという境遇のせいです。しかしまあ、休んでいたせいで大部ストックも出来たし、しばらくは毎日更新できそうです。

この秋、めでたく会費更新を果たし、私も永年会員になりました。これでおそらく数年、下手をすると30年ほどは、このまま明日私が死んでも、この電脳空間に私の駄文が残る事になりました。私はその事になにやら「意義」を感じているのです。思えば不思議なものです。もちろん私の批評や、書評や、旅行記が社会的な意義があるなどとは、思うほど私は若くありません。でも「無いとも限らない」と一方では思っているのです。このサイトに訪問してくれている人は今までで1627。それは私以外に数人はいるという事を示しています。将来で言うと、何人になるかは予想も出来ないというのも事実でしょう。いやいや、一日何万も訪れる超有名で有益なサイトがある事は知っています。そいうサイトに社会的意義があるかどうか、とまでは一般的に言えないという事も一方では私は知っています。そういうサイトと比べると私の文章なんてゴミ屑の集まりのようなものです。でもです。要は何が残るかは、遠い未来の歴史家に任せるほかは無いのです。たとえば、小熊英二の「<民主>と<愛国>」を今読んでいるのですが、そこにこんないち少女の文章が載りました。1952年の静岡県富士郡上野村で、不正選挙がはびこっている事に、石川という少女が学校新聞に抗議の文章を書き、それが学校側で回収され焼き捨てられると、「朝日新聞」に手紙を書こうとする。すると彼女の家が「村八分」に追いこまれた。その後教師のアドバイスの元、知人の新聞記者に手紙を送る事になった。「私は限りなく祖国を愛したい。だから限りなく人を愛したい。」小熊はこれを「村の思想」と「祖国の思想」の対決だといい、戦後『民』の自立が試されていた時期、一方ではアクティブな革新運動に行ったが、一方では「民」の「私」の方向に行き、その「民」の分断を支配層はうまく利用したのだと指摘した。この少女の文章はそのなかではっせられた「一つの可能性」だったのではあるが、ついには歴史的には花咲く事は無く終った。私は石川といういち少女のこの文章は小熊がゴミの山の中から見つけてきた『一つの花』だと思っている。歴史家とはそういうことをするのである。

私はいつかでいい、『一つの花』を描きたい。加藤周一は戦車という圧倒的な権力の前にさしだされた『小さな花』ほど美しいものがあるだろうか、と美しさの基準を描き出した。私はその事に大いに賛成する。