Howdy from Australia ←|目次|→
緊張しながら迎えた初日。研修室に通されると、自分の名前が書かれた名札が置かれていた。素晴らしい!何を隠そう、日本語だろうが英語だろうが人の名前を覚えるのが大の苦手。仮に名前を音で聞いたまま覚えたとしても、大体スペルがめちゃくちゃだったりする。
いよいよ明日は初出勤。不安と期待が入り混じる中、一本の電話が入った。聞き慣れない声に戸惑いながら話を聞くと、研究員の職に応募していた病院からで、何と!面接の案内だった。丁重に断って電話を切ったあと、文字通り頭を抱えてしまった。希望の研究職に応募しておきながら結果が待てず、一秒でも早く無職の身から解放されるために事務職の仕事を取ってしまった。悲しいけれど、精神的にも経済的にも余裕というものが全然無かった。あの時点では賢明な選択だったのだと自分を納得させようとするけれど、やっぱりとほほっ…て感じ。それでも「二兎を追うものは一兎をも得ず」という展開になっていたら、その方がずっと堪えただろうし、これも経験、経験。明日から仕事なんだし、頭を切り替えくては。
研究室の皆が就職祝いに飲茶をご馳走してくれた。研究室を去ってからも、定期的に集まってきた仲間たち。年齢も(25歳〜38歳)、宗教も(仏教、イスラム教、ヒンズー教、キリスト教)、育った環境も様々で個性的な面々ばかり。こうやって平日の昼間に顔をあわせて飲茶を食べるのもこれが最後だね〜なんて笑いながら、楽しいひとときだった。
今月初めに面接をした所から電話連絡があり、8月27日より採用されることになった。明日、正式な書類が届くそう。6月末に就職活動を本格的に始めてから何の手応えも感じることが出来ず、不安と焦りでまさに追い詰められていたので、心底嬉しい。これでやっと無職&無収入の身から解放される。日本にいる家族にも、心配してくれた友達にも、そして推薦人になってくれた先生方にも報告をしなければ!遠い昔に申請していたオーストラリア版国民健康保険のメディケアカードも手元に届き、嬉しさ倍増だった。
私の指導教授と共同研究などをしていて、在学中にもお世話になった先生の所に私が面接に行った会社から連絡があったことを知った。現在候補者を絞り込むために、推薦人に連絡をして情報収集をしているとのこと。就職活動の際には必ず推薦人を指定して履歴書に書かなくてはならないのだけど、私の場合は職業経験がないので前の会社の上司というわけにいかず、研究でお世話になった大学と病院の先生方三名に推薦人になってもらえるようお願いした。三人とも快く引き受けてくれてとても助かった。「会社から連絡があったということは、面接が上手く行ったということね!」と言われ、先の見えない就職活動に自信喪失していた所だったので、勇気付けられる。
只今病院の研究職に応募する書類を作成中。履歴書だけでなく、どうして自分がその職に最適であるかという内容の手紙を応募資格要項にある必須条件と照らし合わせて書かなければならない。書類で通過しないと面接までたどり着けないので、これも大事な作業。万が一この研究職に決まればこれまでの経験も直接生かせるし、収入も安定するし、指導教授にも胸をはって報告できるし、勤務地もシドニー中心で便利と、この上ない。しかも、研究助手ではなくて研究員の募集という所が重要。これまで応募してきた職の中でも、ほぼ本命に近い。
面接に行った職場はシドニー西地区に位置し、電車とバスで約一時間かかる。慌てることのないように十分時間に余裕を持って出かけたため、約束の時間よりも30分も早くついてしまった。時間になって面接室に通され、3人の面接官が一列に並んで座っているのを見たときは、ちょっと圧倒されてしまう。部屋まで案内してくれた女性も面接に加わり、全員で4名。「一対一の面接が多かったよ〜」と友達から聞いていたので、ちょっと予想外だった。
yumiko
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