空が高くなってきたなぁ。朝の空気を気持ちよく感じる季節になった。
昨日は「今週はお弁当を作れていない」なんて愚痴を書いたけれど、今朝はちゃんと作ることが出来た。今週の成績は一勝三敗。「出来そうにないけど、やりたいこと」は日記に書いておくと良いかも知れない。言葉には「言霊」が宿っていてのぅ……という説はもちろんのことだが「書いた手前やらなくちゃ」という見栄が大きく働くのだ。別にチェックが入る訳でもないし、本当にしたかどうかなんて書かなければ分からないのに、この律儀さは何なんだろうなぁ。
昨夜もFから電話があった。メールで済ませられるような用事だったのに、わざわざ電話をかけてくるのは人恋しいモードに入っているのだろうか。最近、Fからの電話率が高いような気がする。
昨夜は『ぼくらはみんな生きている』というドラマ(私は観ていないんだけど)の主人公について話をした。バイクの事故で酷い記憶喪失になった男性の話。以前、作者が『徹子の部屋』に出演しておられたのを観たことがある。人の顔はおろか、字の書き方から、箸の持ち方、キャンディは包みを開いて食べるというこさえ分からない状態になってしまったとのこと。そして事故の前と後とでは立ち振る舞いから趣味嗜好も変わってしまって、まったくの別人になってしまったのだとか。
とても哀しいことを体験した時に「胸が痛い」なんて表現をするが、こういう話を聞くと人間の心があるのは、やっぱり脳なのだなぁ……なんて思ったりする。こういう仮定は不遜だけれど、もし友人や恋人が、そういうタイプの記憶喪失になったとしたら、付き合っていけるだろうかということを考えた。私もFも「たぶん無理」と答えを出したのだが、どうなんだろうなぁ。
それでも付き合い続けられたとするとしても、純粋に「深い愛だ」と思えない部分がある。まったく別人になった人と付き合えるということは相手の人格でなくて「見た目」で付き合っていたということが考えられる。または別人であることは分かっている上で「それまでの記憶」を頼りに付き合っていくということも考えられる。人の心ってムツカシイ。
昨日のドラマでは家族が主人公をサポートしていったらしいのだけど、現実問題を考えると、家族だったら、付き合えるとか、合えないとかでなくて一緒に暮らしていかなきゃならないんだなぁと思うだに、血の繋がりとか、法律上の繋がりって、存外重たいのだと思ったりした。その人の記憶が真っ白になってしまった時点から、新しく記憶を作っていくのだと思うと、なんだか切ない。友人や恋人だったら出来ないんじゃないかなぁ……そういうこと。
人間って、いかに「記憶」で作られているのかってことを、はじめて考えたように思う。
そう思えば、楽しい記憶も、消してしまいたいような記憶も自分にとっては、ほとんど同じくらい重要なのだろう。あんな記憶も、そんな記憶も、積み重なってきたから今の自分があるのだから。もしそ記憶の一部が欠けてしまったら、今の自分ではない違った人間になっていたのだろうなぁ。そう思えば「嫌な記憶」というのも財産であり宝なのかも知れない。消したいような記憶を「宝物♪」なんて思うのは不可能だろうけれど。
「記憶している」ってだけでも、何か意味があるのかも知れないなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
今週は1日たりとも、まともにお弁当を作れなかった。外食したり、コンビニへ行ったりしていないものの、レトルトを利用したりチャーハン等の1品メニューに頼ったりと、いたって貧しい昼食生活。明日あたりはコンビニで済ませてしまいそうな予感大。こんな1週間も珍しい。
お弁当作りの極意は前日の下拵えと言っても過言ではない。
夕食の後片付けをする時に、お浸しにする野菜を茹でたりなんかして、翌日の朝の作業を減らしておく……なんてのは基本中の基本。冷凍庫には、自家製冷凍オカズをストックしておいて、できるだけ手間を省いておかなければ、とてもぢゃないけどやってられない。そして今夜も何の下拵えもしていないし。なんとなく後片付けだけで手一杯な感じで。三連休のダラダラ感から抜け出せないのが敗因なんだろうか。
ま。愚痴話はおいといて。
ハーゲンダッツの秋冬限定アイス「カスタードプディング」を食べた。本物のプリンとは違う感じだが、私好みの味でこの秋冬はハマりそう。なんだかんだ言って秋だなぁ。あぁいうタイプの、ちょっとしつこい甘さのデザートって、夏に食べたいとは思わないから。味覚から秋はやってくる……てな感じ。
明日は早めに起きて、1からお弁当を作るかな……と出来そうにないことを、ぼんやりと考えつつ今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は、ちょっと気になっていることなど。来月から愚弟は社会復帰するのだけれど、その事について少し。
なんだかんだ言っても、2年と言うブランクはデカイ。厳しい言い方だが愚弟の時間は2年前で止まっているが、同世代の若者達は、その2年間ドドッと大きく育っているはず。心身共に大変だろうと思うのだが、それについては正直なところ、姉としては、どうだっていいと思っている。愚弟だって、ちょっとくらい苦労したらいいのだ。そりゃぁ痛い思いや、辛い思いもしただろうが、この2年間は母と姉に守られて、ある意味、極楽だったろう思うので。
ただ、どうしても心配なのは愚弟が、いつまでたっても包帯を巻き続けているということだ。
傷の関係で包帯の必要な時期もあったのだが、今はすでに「傷を隠す道具」でしかない。ずっとそのままでいられるなら、それでもかまわないのだが、これから義指を付けたりするのだし、自分の左手を隠している訳にはいかない。実際、醜く歪んでいる上に、指が3本しかないという左手を他人に見せるのは辛いだろうとは思う。
隠し通せない事は分かりきっているのだから、いい加減に吹っ切ったらどうよ?
……と思うのだけど、愚弟の左手について、愚弟には何も言うまいと決めたので口出しすることはないと思う。愚弟の気持ちなんて私には分かりゃしないのだから。他人の気持ちなんて、そう簡単に分かる訳がないのだ。そして、その壁を乗り越えるのは愚弟自身であって私ではないのだし。
ただ己の身を恥じるような人間にはなって欲しくないと思うだけだ。
己の内面を恥じるのは、かまわないと思う。しかし外回りを恥じる必要はないと思うのだ。私の思う「外回り」とは身体的なことや、経済的なことや、おおよそ魂とは関係のないもの……と言う意味である。
私は、愚弟が本当の意味で事故を吹っ切ってくれることを望んでいるが、もし出来なかったとしても、それはそれ。小狭く生きていくというのもアリかとは思う。愚弟が毎日、執拗に巻き続けている包帯を見ていると、正直なところ、とてもイラつく。10月1日の出社日も愚弟は包帯を巻いていくのだろうか。できれば「あの時は、あんたの包帯見てイライラしたもんだよ」と笑い話が出来るようになりたいなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
| 2003年09月16日(火) |
スケジュール帖の話とか。 |
「女性ってスケジュール帖が一杯にならないと気がすまないんだってね?」と聞かれたのだが、一般的には、どうなんだろうか?
確かにテレビドラマや、小説の中にはそういう女性が登場するが、私はむしろその逆だ。スケジュール帖がギッチギチに一杯だったら気が休まらなくて、それだけで疲れてしまう。あまりギッシリ予定が入ると「楽しみ」よりも、むしろ「やらなくちゃ」という気持ちの方が前に出てしまうのだ。人と会ったり、遊びに出掛けたりするよりも、家でポツネンとしていたい……って訳ではないのだけれど、1人でいる時間も欲しいんだな。これが。
実際のところ「休日だけど予定は何もないんです」ってな感じで、家にいたとしてもグウタラゴロゴロしていることは案外少ない。図書館へ行ったり、乙女な母を連れて買出しへ行ったり、お風呂掃除をしたり、とかくゴチャゴチャ動いていることが多いのだ。もちろんウィークデイの疲れがドッと出て、意識的に「昼寝」をして過ごす日もあるのだけれど。
なんと言うか、まったくのフリータイムとまではいかなくても、1人でいる時間ってのも必要な気がするのだ。そう言えば特定の「付き合ってる人」がいる時って、どうしても予定が詰まり気味になるので、けっこう憂鬱だった覚えがある。友人からは「愛がないからでしょう」と言われていたが、そうとばかりは言えないような気がする。
そういう感覚って、人それぞれだろうから、なんとも言い難いところではあるけれど。
閑話休題。
今日は、ちょっと吃驚なことがあった。またまた記憶が飛んでいたのだ。今回、飛んじゃったのは朝の記憶。新した覚えのない読書禄が更新されている。内容は書こうと思っていたことに、ほぼ近いものだったが誤字脱字の嵐&変な文章なので、後で直しておくなくちゃ。そしてお弁当を作った記憶も曖昧だったりする。作った覚えはあるのだけれど、その過程は見事に忘れていた。梅干を入れたことや、彩り(仕切り代わり)にレタスを入れたことは、まったく覚えていなくて、昼食時に見覚えのないお弁当レイアウトを見て非常に驚いた。
ほとんど本能で動いていたのだろうか? 寝ぼけていたと言えば、それまでなんだろうけど、こういう事があると、自分がものすごく駄目人間のように思えて、嫌になってしまう。アルコールとか、薬とか飲んでなくて、スッピンの状態で「記憶にない」ってなぁ……「ど忘れ」とは違う感じだし。
記憶を飛ばすのは草臥れている時にやってしまいがちなので、とりあえず早く寝よう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は取り敢えず……関西人&阪神ファンは阪神優勝の話を書かなきゃ、いけないでしょう。
なんだかんだ言いながら、私は道頓堀川に飛び込むことはありませんでしたが、自宅のテレビでその瞬間は観ておりました。しかも「にわか野球ファン」に過ぎなくて、球場で野球観戦した経験も1度きりという軟弱者ではありますが、それでも「やはり地元・甲子園で胴上げを」と思ってはいた訳で。おめでとう阪神。ありがとう横浜。おめでとう星野監督!!
いくら止められても、沢山の人が道頓堀川に飛び込んじゃうんでしょうねぇ>大阪人@阪神ファン
馬鹿な事には違いないですが、ま。お祭りですし。それにしても今日、球場で優勝の瞬間に居合せた人達や、心斎橋周辺へ駆けつけた人達は、さぞかし盛り上がったことでせう。祝日の甲子園で優勝を決めるだなんて、なかなか粋な采配ぢゃぁ、ありませんか。社会人ファン達も会社を休むことなく盛り上がることが出来て、良かったなぁ……と思ったり。
私。昨日は会社のバーベQだったのですが、ほとんどお肉を口にすることなく働きづめで「いまいち充実感が無かったなぁ」なんて思っていたのですが、今日は友人から美味しいお肉が届いたので自宅で焼肉を食べながら、優勝の瞬間を見守っていたのでありました。休日だし、お肉は美味しいし、お酒も美味しいし、阪神は優勝するしで、とってもご機嫌。これから、夕食の後片付けをいたします。
さて。明日から、また頑張って働くぞ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
<私信>
日記復活おめでとう。こういうお知らせって、すっごく嬉しいです。
私も、早いところ掲示板を復活させますね。
今日は会社行事のバーベQ大会に参加してきた。
黄金週間に参加した時に「この会社の人達はアウトドアで働く人が少ない」ということを知ったので、できれば参加したくない感じだったのだけれど「これも付き合い」と諦めて参加することにした。愚痴になってしまうけれど、積極的に働いた人は参加者の4分の1以下。荷物の1つも運ばずに、最初から最後までアルコールと付き合っている人が多いようでは、正直言って準備が大変。「働かざる者喰うべからず」がアウトドアの掟なのに。
ま。そりゃともかく、前回は海だったが、今回は山だったので、それなりに楽しめた。和歌山県の九度山ってところまで行ったのだが、川の水が透き通っていて美しかったのと、木漏れ陽が気持ちよかったのが良かった。たっぷり日焼けしたけれど、基本的には屋外遊びは好きなのだ。そして私は、また「火遊びの技」と「バーベQの技」を磨けたし。
私はアウトドアに関して、かなり手際の良い人間に成長していると思う。今回は「会社の付き合い」だったけれど、家族や気の置けない友人を連れて行ってあげたいなぁ……と思う。自分の好きな人のために働くのは厭わないけれど、会社の人のためとなると面倒くさいと思うのだから現金なものである。
そう言えば、模様替えの時も「私はかなり自信がある」と書いたような気がするなぁ。模様替えにアウトドア……密かに肉体派な感じがするなぁ。これから先の人生で、たいして自慢できるような事でも無いというあたりが味噌である。自慢は出来ないけれど、愉快に生きるネタにはなるか。
連休最終日の明日は1日家にいる予定。ちゃんと休息も取らなければなぁ。お陽様の下でたっぷり遊んだので、今夜はよく眠れるだろう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
うっかり年齢を詐称してしまった。
知人から「白蓮さんは、まだまだ若い」と言われて「いやぁ。こう見えて、これが、けっこうオバサンです。もう32歳ですし。小学生の子供がいて○○君のオバチャンって言われてたって不思議じゃない年ですよ〜」と返したらば「あれっ? 白蓮さんって31歳ぢゃなかったっけ? たしか従妹と同じ年だったような」と突っ込まれてしまった。
おっゃる通り。よくよく考えてみると31歳でした。しかも31歳になってて3ヶ月も経っちゃいないようです。
1歳の違いなんて別にどうだって良い訳なのだが、私の中での私は「32歳・女」なのだった。定期券にもちゃんと「白蓮32歳」と書いてある。私はどこで余分に年を取ってきたんだか? 微妙に謎なところだ。知人からは「年齢を多くサバを読む女性は珍しい」とたいそう笑われてしまったが、なんともかんとも。
私は30過ぎて自分のことを「女の子」と称する女性が好きぢゃない。ついでに書くと子供に「お姉ちゃんと呼びなさい」と強制する女性も好きぢゃない。なので、自分が30代に突入したら、そういう女性にはなりたくないと思っていた。そして、いつでも胸を張って自分の年齢を言える人でありたいとも思っていた。
しかし自分の年齢が分からない人になりたいと思っていた訳ではない。日記には「31歳」って言葉を使っていたのに、あれはキーボードを打つ時の反射で書いたらしく、自分の中では、しみじみ32歳であった。1歳若いことが判明して、何やら複雑な心境。
自分の年が分からなくなるほど、年とってないはずなんだけどなぁ……
年上の友人・知人が多いので、それに合わせて、大急ぎで年を取っちゃったのだろう。そう言えばかつては「早く大人になりたい子供」だったし。ま。そういうことにしておこう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
| 2003年09月12日(金) |
ますます嫌いになってゆく |
台湾の関連会社からお菓子が届いた。
先日送った本のお礼なのだとか。義理を重んじるお国柄なのだろうなぁ。箱びっしり入った月餅のようなお菓子。名前はわからないけど、喜び事とか、お祝い事とか、お礼とか、そういう時に食べるお菓子……のような気がした。こういう時は「日本語しか喋れない」ってのは不自由でいけない。とは言うもののの、本を探して送った人間としては、任務完了って感じで、嬉しかった。
ま。それはいいとして……だ。
台湾からのお菓子は、中国のお菓子にありがちな「大きくて甘い」タイプで、日本人だったら1個食べたらお腹一杯、胸一杯になりそうなものだった。送ってくれたはいいけれど、社員の数には足りなかったので「甘いもの好きな人」リストの上から順に配るか、欲しい人が勝手に取って食べるかにしてもらおうと思っていた。興味はあったけれど、私はたぶん苦手な味のような気がしたので「数も足りないし今回はパス」と思っていたらば、上司Jから「食べませんか?」と声を掛けられた。
上司Jは「こんなに大きいお菓子は私1人で食べられないので半分こしましょう」と言う。遠まわしに食べたくないとアピールしたらば「甘いものは嫌いですか?」と問われた。そうではないと伝えると、上司Jは「じゃぁ半分こしましょう」と言って、自ら給湯室へ行き、果物ナイフでお菓子を半分に切って私のところへ持っきてた。もう半分は、その場で上司Jの口の中へと消えていった……
唖然として、開いた口が塞がらなかった。
私は本来「半分こ」ってシュチュエーションが大好きだ。「数は足りないけど、分け合って食べましょう」てのも「美味しそうだけど1個も食べられないから」てのも良いなぁ……と思う。が。しかし、それは親しい間柄の中ではじめて成立するんぢゃなかろうか? 上司と部下との間で(しかも親しい訳でもない)そういうことをするのってオカシイような気がするのだが……それとも私の気にし過ぎ??
私は結局、そのお菓子を食べなかった。
お菓子に罪はないのだが「今はお腹が一杯なので後で食べます」とかなんとか言って、その場で食べず、その後も食べる気にはなれなかった。嫌いな人なだけに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、人を見る目が濁っているのかも知れないけれど、先日の「クリスチャンですか?」発言にしても、今回のことにしても上司Jは思考回路が少しズレているような気がする。悪人ではなさそなのだが、なんか変なんだなぁ……上司Jって。
明日から三連休。大っ嫌いな上司Jの顔を見なくてもすむことだし、気を取り直して休日を迎えよう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
<追記>帰り道。赤い火星を見てシャア・アスナブルについて考えた。
彼は彗星であって火星ではないのだが、なんとなく。
友人から「かもめのたまご」を貰った。
言葉の通り鴎の卵ではなく
かもめのたまごというお菓子である。岩手の銘菓で私の大好物なのだ。「ひよこまんじゅう」系の黄身餡&皮の上にホワイトチョコが薄っすらとコーティングされていて、その名の通り「卵」のような見た目をした愛らしいお菓子だ。
「餡子にホワイトチョコなんて気持ち悪い」と思われるかも知れないけれど、機会があれば、騙されたと思って食べてみてくだされ。私も「騙された」と思って食べて、そのままファンになったクチなので。
「かもめのたまご」は銘菓なのだで、現地の御土産物店でないと買えないはずなのだが、最近では大阪でも打っているお店があるらしくて、友人は大阪で購入したとのこと。しかもスタンダードバージョンではなくて、季節の味を追った秋限定バージョンの「栗味」だった。
そうだよ。栗だよ。暑いむど、もう秋なんだよ!
あらためて感動してしまった。足踏みしているように見えたとしても、ちゃんと季節は巡っているのだなぁ。もちろん栗味の「かもめのたまご」は美味しかった。「かもめのたまご」は、ちょっと甘すぎるくらい甘いのだけれど、疲れてるときなどは、その甘さが最高に美味しいのだ。「かもめのたまごを愛する会」なと作って、応援したいくらい好きだ。
それにしても「誰が自分の好物を覚えてくれている幸せ」って良いもんだなぁ。自分がそれを受ける場合もあれば、食べ物を見て誰かを思い出すこともある。それは現役で生きている人もいれば、故人もいる。食べ物を見て「あっ。これって、○○が好きだったよなぁ」と思う時、その人はきっと優しい表情をしているのだと思う。食糧難の時代を知らない私達の世代は、食べ物は幸せな思い出と直結するからかも知れない。
「誰かが自分の好物を覚えてくれている幸せ」を噛み締めつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
仕事中、ボロリと消しゴムが欠けてしまった。欠けたまは8�弌滷隠沖弌�小指の先にも満たない小さな消しゴム片なんて、どうにも使いようがないので捨ててしまおうかと思ったのだが、たわむれに顔を描いてみた。黒ペンで目を。赤ペンで口と頬を。
……かっ、可愛い。可愛いぢゃあないか。
自分で描いておいて言うのもなんだけれど、素直で愛らしい表情の消しゴム坊やができてしまった(←何の脈絡もなく男の子のようだ)消しゴムに顔なんて描くんじゃなかった……ますます捨てられなくなってしまうではないか。あまりにも可愛かったので「消しゴム太郎」と名前を付けた。フルネームでは呼び辛いので「たろさ」と呼ぶことに。私は「たろさ」を引き出しの隅っこに置いておくことにした。
机の引出しをあけると、にこやかな笑みを浮かべて「たろさ」がいる。可愛いなぁ……なんか、和むなぁ。ホントのこと言うと「いい年してオカシイんじゃない?」と思う部分もあもある。それと同時に「人形のルーツってのは、こういうところからきているのかも」と思ったりもする。
ふとした悪戯心から「もの」に「顔」を描く。で。それにハマる。どんどんエスカレートしていけば立派な人形になる。私の「たろさ」は、あれ以上グレードアップはしないだろうけど、秘密の友人として末永く付き合っていきたい。会社に行く楽しみが増えてしまった。
「たろさ」をこっそり、隠し続けられるといいのになぁ。会社の人間に見つかったりした日にゃぁ恥ずかし過ぎる。別に悪いことしてる訳ぢゃないけど、私にも相応の見栄がある訳で。家に連れて帰れば良いのだろうが、なんとなく生まれた場所に置いてきたい気がして。もちろん、今の職場を離れる時は「たろさ」も一緒に連れて行くつもりだけれど。
「職場でのささやかな楽しみ」について書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は重陽の節句だったんだなぁ……と今更ながら気が付いた。
華道を辞めてからは、そういう雅やかな行事とは縁がなくて、今日だって、菊の花の1本も買っていない。「菊の花弁を浮かせてお酒を飲む」とまではいかなくても、花を飾る余裕くらいはあった方が良いよなぁ。来年の重陽の節句に期待ってことで。
昨日は東京の同志Fから電話があった。
愚弟のことを報告しなくっちゃなぁ……と思っていたのでグッドタイミング。毎度ながらFは何かにけタイミングのいい女だ。「ここぞ」という場面には知らせなくても登場するのは、どういう巡りあわせなのだろう? よほど因縁が深いって事なのかなぁ。ふむ。
Uの描いたエロ漫画が今月23日に雑誌掲載されるのだそうな。Uはめでたく漫画家デビューを飾り、FはUから「原作料」2万円を貰って喜んでいた。しかしなぁ……エロ漫画の原作料って、なんだろうなぁ? 喘ぎ声担当ってことなんだろうか? それとも技師ということか? ま。ある意味めでたい話ではある。Uは「エロ漫画って描くのツマラナイ。オッパイばっかり描いてたら、おなかいっぱいになる」と言っているそうな。コツもツボも分からないから思考錯誤とのこと。協力したい気持ちは山々だが、こればかりは私も……愚弟に読んでもらって、感想を聞いてみよう。
今日は、なんだか体調が悪くて仕事が辛かった。昨日、あっけなく愚弟の社会復帰を知って気が抜けちゃったのかも知れないなぁ。フットワークの軽さだけが自慢なのに、いちいち動作が緩慢な感じ。まだ、あと3日も働かなきゃいけないのかと思うと、ちょっぴり憂鬱。そうは言っても働かなきゃいけないのが辛いところだ。あと3日、頑張って行きましょう……ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。
10月1日に愚弟が社会復帰するそうな。
2年と3ヶ月弱。長い長い月日だった。つくづく目出度い。ちゃんと会社にも復帰できるそうだし、製作中の義指(作業用と装飾用があって、装飾用の方)を付けたら、コップくらいなら持てそうだとのこと。1番長く感じていたのは愚弟だろうけれど、私だって長かったよ。愚弟よ。これからは社会に荒波に揉まれて頑張ってください。姉はあなたが苦労している姿を見るのが楽しみです。ま。色々とあったろうが、家にいれば、あなたの味方しかいなかったけれど、これからは、そうもいかないだろうから。
つくづく目出度い。
……だけど。私は知らなかったよ。愚弟が10月1日に社会復帰するだなんてさ。最後の手術が遅れた時もそうだったけど、乙女な母が他人に電話をしているのを聞いて、はじめて知ったのである。これって、ちょっと酷いんじゃなかろうか? 目出度い話だから怒りゃしないが、そうでなければ怒っていただろう。こういう場面で本質って見えてくるよね……と、めずらしく卑屈なことを思ってみたりしたが、ここは、つまらない事で喜びに水を差してはいけないだろう。
とりあえず、おめでとう。愚弟! でもって、気にかけてくれていた人に改めて御礼を!
「喜びごと」ってのは、こんな風にして、あっさり訪れるもんなんだなぁ……などと感じ入ったりしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
『サザエさん』を観ていて、ふと思った。
2003年9月7日現在『サザエさん』のオープニングのラストで、サザエさん達が入っている果物は、かの有名な「伝助スイカ」ではないかと思われる。ネコのタマが入っているプリンスメロンの大きさと較べれば、その大きさの違いは簡単に分かるのだが、普通のスイカのように鮮やかな縞模様が入っていないので私は、あのスイカを「伝助スイカ」ではないかと推察する。
ま。サザエさんが入っているスイカが「伝助スイカ」か、どうか……なんてことは、ものすごくどうでも良い話なのだが、果物好きとしては気になる限りだ。シーズンともなるとスイカなんぞは地元の八百屋で1個800円ほどで売られているが「伝助スイカ」は、百貨展で見るだに1個万円もするのだ。ま。どっちのスイカも値段の幅はあるだろうが、それにしても普通のスイカと「伝助スイカ」とでは、ざっと10倍は値段が違っているのだ。
そんなにまで美味しいのか>伝助スイカ
ちょっと気になるのだが、我が家ではスイカ1個を消費するのは不可能である。ご近所に分ければすむことだが、ほんのちょっと味見したいだけに1万円のスイカを買うような度胸がなくて、食べないまま現在に至る。しかし気になるなぁ……来年は思い切って買ってみるべきだろうか?
もう夏も終わりだと言うのに、伝助スイカが気になってならない。
もうちょっと早い時期に気になっていたらば奮発して買ったのになぁ。来年の夏までオアズケである。「伝助スイカ」に煩悩している場合ではない。休日も変わりなのだ。来週もまた頑張って働くぞ……ってことで、今日のに日記は、これにてオシマイ。
| 2003年09月06日(土) |
やっぱ。もうちょっと。 |
宮様から励まし&叱咤のメールを戴いた。
宮様というのは派遣時代に2ヶ月ほど一緒に働いた人で、私より3つか4つ年上の女性である。おっとりした喋り方&風貌で、なんとなく宮家の姫君(実際、旧家のお嬢様のようだ)私は「宮様」とお呼び申し上げている。もちろん、実際には、年長者なので苗字プラス「さん」で話しかけたりしているのだが。
ちょっとした用事のメールにの職場が嫌で辞めたい」みたいなことを、ポロッとこぼしてしまったらば「今は景気が悪いし、仕事探しは大変だから、どうしてもやりたい事がなければ我慢した方がいい」と諭されてしまった。私は今まで本当の意味では仕事探しに困ったことがなくて、金銭的にキツくて「どうしても働かねば」となった時は、かならず職にありつけていたので、仕事探しを舐めてかかっている節がある。宮様に諭されて「やっぱ。もうちょっと頑張ろう」と思った。
宮様は、私の愚痴を聞いてくれるつもりらしくて「近いうちに飲みに行きましょう」とも書いておられた。流石は年長者だなぁ……なんとなく、見た目のおっとりさから年下のような気がしていたけれど、ちょっとそれって不遜だったと反省してみたりもした。
今日は仕事帰りに本屋で『新潮』を立ち読み。立ち読みは悪いことだと分かっているのだけれど、1つの作品を読むために1冊買う気になれなかったのだ。ちらっと読んでみて面白かったら買うつもりだったけど。嶽本のばら(のばやん)の『ロリヰタ』など。
サイン会で好印象だったのばやんだが、しかし今回の作品もいただけなかった。自分の姿勢を崩さないのは大いにけっこうだが、いつまでたっても俺様ワールドでは深みに欠ける。「僕は」という文学から「人は」あるいは「男は」「女は」という部分に発展できなければ、色物で終わっちゃうような気がした。化けてくれるのを期待したいところだが……う〜む。
さてさて明日は待望の日曜日。来週は3連休。時間を上手く使っていきたいなぁ。「暑い」と言っても、確実に涼しくなっているのだから、遊んでばかりではなくて自分も磨いたていかなくちゃ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
司Jが何故か最近フレンドリーだ。
上司Jは社内で、いっとうパソコンを信じられない男であり、私に「データを盗んだりしてないだろうな」なんてつまらぬ疑いを掛けてきた人である。今まではクソジジイと書いていたが、読んだ感じが美しくないので、これからはジジイのJをとって上司Jと呼ぶことにした。
今まで目の敵のようにされていたのが、最近は、ヨイショされているような雰囲気さえある。誉め殺しなのか? 私は方針がコロコロ変る人って信じられないし、だいたいヨイショしてもらったからって、相手のことを好きになれる訳ぢゃないので、ありがた迷惑もいいところなのだが。仕事の面で認めてくれるのは嬉しいことだし、チェックを入れてくれるのは構わない。社員の前で、誉めてくれるのもいい。しかし上司Jとプライベートな話はしたくないのだ。
「通勤時間はどれくらいかかるのか?」「何時に家を出るのか?」「お弁当のオカズは野菜ばかりだが『ステーキを食べに行こう』と誘ったら付いてくるのか?」「白蓮さんは私のように太っていないから、暑さは感じないんじゃないか?」「日傘は持ってきているのか?」とまぁ、毎日、どうでもいい質問をされたり、妙なところをチェックされたりしている。
先日など仕事中、なんの前ふりもなしに「白蓮さんはクリスチャンですか?」と聞かれた。だとしたら、なんなんですか? 踏み絵でもさせるつもれですか?
上司Jの前に限らず、会社で宗教の話なんてしたことはない。したとしても「この週末は家族で高野山へお参りに行かなきゃいけないんですよ」ってなレベルだ。よほど私がクリスチャンのように見えるような出来事でもあったのか? だいたい会社で宗教ネタはタブーじゃないのか? ましてや他人の宗教を面と向かって聞くなんて失礼じゃないのか? 色々と突っ込みたいところではあったが「いいえ。違います」とだけ答えた。
おかげで、ますます私は上司Jが嫌になった。
今のところ、性的なニュアンスでの接触はないので、そっち方面の心配はなさそうだが「つきあいはじめたカップルじゃないんだから」というようなノリなのだ。上司Jって言っちゃぁなんだが常識のない人のように思う。たしか会社内で同僚や上司とプライベートな話をすることはある。しかし、それはあくまでの「会話の流れの中」でのものであって、唐突に、かつ一方的に質問されるとなると、ニュアンスが違ってくるではないか。
年配者だからって常識があるとは限らないよなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
友人から葡萄が届いた。見事な巨峰
。
毎年、友人の母上が送ってくれていたので「あ。お母様からだ」と一瞬思ったのだけれども、友人の母上は桜の時期に他界されているので、そんなこたぁ、ありえない。友人が贈ってくれたのだとお礼のメール&電話。
やはり母上を偲んで……という部分があったようだ。私も、それを思った。
死という別れは哀しいけれど、こんな母娘関係を結ぶことが出来た母娘は幸せな存在でなかったろうか……などと思ったりした。私は乙女な母と、そういう関係が結べるのかどうか? 微妙に疑問な感じである。乙女な母。巨峰を一房、美味しくいただく。「2〜3日あとが食べ頃」とのこと。私は週末に戴こう。
亡き人を偲んだりしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
昨夜は家でクリームソーダを作って飲んだ。
突然、どうしてもクリームソーダが飲みたくなったから……って訳ぢゃない。夏のはじめ頃に買ったバニラアイス(あまり美味しくない)が、ずっと冷凍庫に残っていて、誰も食べそうになかったので「こりゃぁ、クリームソーダにでもしない限り、いつまで経ってもなくならないな」と思って作ったまでで、深い意味はなかった。
氷を入れた2つのコップに三ツ矢サイダーを注ぐ。液体がキンキンに冷たくなるのを待って、アイスクリームを2分の1カップ分づつ浮かせたら、自家製クリームソーダの出来上がり。
子供騙しだが、思いがけずに美味しかった。
子供の頃は年下の従姉妹が遊びに来た時に、作ってあげたりしたけれど、大人になって作ったのは何度目だろう。たいした手間をかけずに、このくらい(←この素朴な味わいをお伝えできないのが残念です)美味しいのなら、ちょこちょこ作っても良かったなぁ……などと思った。ま。もう夏も終わりなんだけど。
私が子供の頃は、今よりもデザートの種類が豊富でなかったので、クリームソーダというと、かなりお洒落な飲み物だった。今はお洒落というよりも素朴な感じがする。美味しくて凝った飲み物が増えた気がするなぁ。たまには
、こういうチープなものも美味しい。
美味しくないバニラアイスはまだ残っているし、三ツ矢サイダーもまだあるので、涼しくなるまでにまた、作るろう……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
恋愛小説(映画)の趣向にツボとかパターンがあるのって、ラーメン趣向に趣向とパターンがるあのと、よく似ている。
近頃、ラーメンブームなのか、どこのお店へ入っても「不味い」と感じるような店には行き当たらない。どこへ行っても「まずまず・そこそこ」のお味。何度かに1度「こりゃぁ美味しい!」ってお店へ行き当たったらラッキーだろう。私はあっさり系のラーメンが好きで、お気に入りのお店は、あっさりラーメンがほとんどだけど、こってりラーメンもたまには食べたくなる訳で、あっさりラーメン好きだからって、豚骨が駄目とか、味噌が駄目って訳ではない。
だけどもやっぱり基本的な好みはあるらしい。
「美味しいラーメン屋さん情報」をゲットして、張り切って出掛けても案外、外すことが多いのだ。「うーん。確かに美味しいかも知れないけど、私にはちょっと濃いかな」とか「スープは美味しいけど、麺がちょっぴり好みではないんだな」とか、ちょっとずつツボを外していたりするのだ。しかし、これがまた微妙で、私のツボでない部分が、別の人にとってはツボだったりするのだろう。だからこそラーメン屋さんが乱立しても、それなりに共栄しているのだろうなぁ。
先日「『ノッティングヒルの恋人』って面白かった?」と問われて「私のツボとは違ったけど、悪い映画じゃないから、ツボにハマったら面白いと思う」と答えた。実際、恋愛物の場合はそう答えるより仕方が無いのだ。親しい友人などで相手の趣向がたいたい把握できてる場合は「いやぁ。あの映画ってさぁ」と気楽に話ができるのだけど。
ふと思うのだけど「万人が大好き」な物ってのは、案外ツボのポイントが細かく設定されているような気がする。「好き・嫌い」「面白い・面白くない」が、比較的分類しやすい物もあるのになぁ。たとえばアクション映画なんかは、割と分類しやすいような……ま。私がそんな風に感じているだけの話なのだが。
どうでもいいけどラーメンの話を書いていたら、ラーメンが食べたくなってきた。神座とか彩華とかの「あっさりスープ&白菜どっさり」なラーメンが食べたいなぁ。行くとしたら週末だが、それまで情熱が続いているかどうかは神のみぞ知るってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
| 2003年09月01日(月) |
アンチ…って訳ぢゃないんだが |
今、マクドナルドの「ハッピーセット」のオマケはキティちゃんだそうな。キティちゃんが登場するだけで売上がグンと上がるというのだから、なかなか大したキャラクターだと思う。……が、しかし私は、あまり好きぢゃないんだな。キティちゃんって。積極的に嫌っている訳ではないけれども。
実際問題として私の身近には、いくつかキティちゃんグッズがある。シャープペンシルだったり、油取紙だったり。たいていは友人や知人から貰ったものだ。貰った時に「ちえっ。キティちゃんかぁ」なんて顔はしないし、貰うということに対してい嬉しいのだが、本音を言うと別のキャラクターの方が、余程ありがたかったりする。
思えば子供の頃からキティちゃんは好きぢゃなかった。むしろ子供の頃は嫌っていたと言ってもいい。
その当時の私の目にキティちゃんは「馬鹿っぽいネコ風の獣」としか映らなかった。しかし1度たりとも「キティちゃんが嫌い」と言ったことはないし、キティちゃんグッズも、かなりの数を持っていたように思う。気が弱くてNOが言えなかったのではなくて「ここは1つ、キティ好きを装っておいた方が世間的に良さそうな気がする」という本能に従っただけである。私が特別、計算高い子供だった……って訳ではないだろう。「泣き真似」を覚えた瞬間から、人間は打算で動けるようになるものだ。
今でも必要があれば「わぁ。可愛い」とか言って「馬鹿っぽいネコ風の獣」と、それを愛好するる人に媚びることがある。子供の頃と違って、今は持ち物にたいしてこだわりがないので、使わねばならない羽目に陥っても平気で使うことができる。私も大人になったってことだろうか。キティラーの人がいたら、ごめんなさいまし。否定してる訳ぢゃないんです。ただ好きになれない……ってだけの話で。
「キティちゃん」を見て思い出したことなど書いてみたとろこで、今日の日記はこれにてオシマイ。