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■ 死=無、ならば絶対死にたい!
深夜、16日に迫った引越しのために、 昔(私が大学生時代の頃)「完全自殺マニュアル」を 参考にして、あちこちのお店で買って貯めた、 「アタラックスP」を処分しようと、 箱&説明書(紙)、カプセルの入った銀紙(プラスチック)、 そして、カプセル(薬)の分離作業をしていた。
一個一個、カプセルを銀紙から出す作業は 量が量だけに、思いの他大変な作業だった。
終わったあと、なんか妙に親指の爪が痛いなぁと 思ったら、 なんと親指の爪から血が出てた…(^^;) (それくらい大量にカプセルから薬を押し出す作業だった。)
紙は紙で捨て、 銀紙はプラスチックとして捨て…、
残ったのは、山盛りのカプセル。。。
私は、それを(たまたまあった)空き瓶に詰めた。
空き瓶一杯に溜まったカプセルを見て、
「ああ…。これ全部と今溜まりに溜まってる (別に故意に貯めたわけじゃないけど)、 医者から貰った薬を全部飲み干せば、 死ねるかもしれないんだ…」
ってふと考えたら、 なんか急に、「死」という境界線が すごく近くにあるように感じられて、
頭の中、グルグル思い巡らせ、 葛藤状態になった。
なぜか気分も悪くなった。
でも、もちろん、衝動的に死ぬ気は全くナシ。 ここは借りてるマンションだから、 自殺したら他人に迷惑がかかるし、 なにより親が同じ家で寝てるわけだから、 げーげー吐いてたらすぐ見つかって、 未遂に終わるし…。
…でも、すごく「死」が 簡単に超えられる境界線のように思えて、
「死にたい」って思った。
今すぐにじゃなくても…。
「もし死んで無になるならば、 私は死ねば楽になる。 もう戦う必要も悩むことも、生きる苦労も 何もない。こんな魅力的な話はあるだろうか」
死ぬ前に一度は着てみたいなぁとか思った、 ウェディングドレス。
そんなの、正直言って、死んで無になれるなら、 どうだっていい。
「確実に死んだら無になれる」
そんな確信と現実(これが一番肝心なのだけど…)さえあれば、 なんて幸せだろう…!
もう、課題や人生についての悩みどころか、 望みや夢すら、その「魅力」の前では 吹き飛んでしまう。
もしそうなら、 死ぬときを指折り数えて、 微笑んで死ねるだろう。
それ以外にはもう他に欲望も 欲求も何もなく、 死を実行するまで、家族にも知り合いにも、 笑顔で本当に幸せに微笑めるだろう…。
なんか(一時の感情だろうけど) 死を計画したくなってきた・・・・。
ふぅ…。 困ったもんだ。
ヤバイ時間に変な作業したから、 どっかの霊に憑依されたかな…。。。
…でももし、無になるなら、 本当、「死にたい」。
2005年09月13日(火)
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