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■ 何度目かの終焉。
4年という...長い時間の中で 何度か「終焉」という言葉を使うことが この日記でもあり、その度に口にするのは私で それは何度も何度も繰り返され 同じように引き上げてくださった。
甘えなのかもしれない...。 そう、甘えだったんだ。 この方ならば...孤独に向かって走ろうとする 私の足を止めてくださるだろうと思っていた。
甘え。 今更、甘えだと認識できたのは...。 ネットで知り合ったお友達の企画日記で、 お友達の友人が言ってた言葉で。 それは、私の心にグサリと突き刺さった。
孤独に向かって走る...。 それは私が何度も経験した孤独。 周りに人がいても、自分の周りにだけある「壁」 私は無意識に壁を作り、自分は一人だと思い込み 周囲曰く「ネガティブ」な思考に直滑降だった。 逢瀬という時間は、直滑降する私を引きとめた。
逢瀬。 互いに相手がいない現在、この言葉が正しいか判らない。 けれど、私にとって、逢瀬と言う言葉は素敵な響きで 籠を認識できる、鎖を認識できる時間だった。 自分の穴を埋めることが出来る人を 「サディスト」という性癖を持つ人を 私は見つけることが出来たから此処にいられた。
サディスト。 私にはそんな一面は欠片もなかったと思う。 だから、とても心の奥深くにあるあの方の 冷たい暗い...この感情に私は引き寄せられて マゾヒストである自分を曝け出し 自分の扉の鍵を開け放してしまったのだと思う。 強くはなれない...あの方も強くはない... 私は4年の中で何度か弱さに直面したこともあり その一面に触れる経験があって私は、 この方だから私の扉を開けたのだと確信した。
マゾヒスト。 私は一般的にはそうなんだと思う。 自分でも被虐思考をとめることが出来ない。 同時に...庇護されたいとも思っていた。 籠の中に...昔ながらでいうところの、 意味は違うが「箱入り娘」になりたかったのだ。
私は、傷つけられたくなかった。 でも、傷つきたかった。 だから...自分が認めた相手に、その相手だけに ただひたすら責められて...ボロボロになりたかった。 そして、籠の中にいることで手に入る安心感 鎖と首輪でつながる冷たさと温もりという 相反した感覚を手に入れたかった。
傷つけられることで嫌な自分が壊れると思ってた。 ゆで卵の殻をめくるみたいに、中からキレイな 新しい自分が生まれると望んでいた。 所詮、自分は自分であることに気付くまでに 時間はかからなかったけれど...欲しかった。
4年という長い時間の中で 私は扉の開いた籠に入れてもらえることになった。 なぜ...扉が開いているのか知る由もなく 開いた扉から抜け出そうとした、自分勝手な私。 何度逃げ出したとしても、引き戻されたとしても 籠の扉は閉められることはなかった。
そして、何度目かの終焉の果てに 今、やっと気付いた開いた扉の意味。 自分からそこに望んで留まることに意味があって 開いた扉など関係なくその籠の中に居ることに 意味があるから、閉じられなかったんだと。
でも、今ここにいるのは引き戻される手を拒否した自分だけ。
2005年10月31日(月)
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