ジブリマジック。 - 2004年11月28日(日) それは本当に深くて、色鮮やかなメッセージを込めた映像で。 宣伝に負けないくらい切実な想いを伝える映画だと思う。 単なるアニメだと思ったら、それは大間違いで。 宮崎駿という一人の映画監督の、その壮大なスケールに思わず笑みが浮かぶ。 これはあたしの思い込みな想像だけど。 彼の代表映画は、必ず子供が空を飛ぶシーンがあって。 それは、彼が空を自由の象徴として描くからだと思う。 見果てぬ夢を抱えた子供は、 その自由という意を込められた空を、 誰にも邪魔されずに飛び回る権利を持っているのだと、 そう映像が無言で言っている気がする。 それと、 彼の映画の中では、必ず弱者がとても強い。 それが、狛的には本当に嬉しくて。大好きで。 例えば、 子供だったり。女性だったり。 動物だったり。らい病の患者だったり。 それから、おばあちゃんだったり。おじいちゃんだったり。 映画だからとか、夢物語だとかじゃなくて。 彼らは決して弱者なんかじゃなくて、 とても強いんだと、そう伝えるための映像は、とても幸せになれる。 そんなたくさんの人や動物が息衝く世界だって、一つのメッセージで。 彼の描く世界は、自然と鉄の融合がテーマになっている。 ガラクタみたいな鉄から、兵器の鉄。爆弾だって鉄だ。 そういう、文明が生み出した新たなものと、 文明が生まれるずっと前からある自然の融合。 それはきっと、人間の永遠のテーマで。 それを、彼は映像で表現しているのだと思う。 そんなジブリ映画の、真髄みたいなものを想いながら映像を見ると、 ただのアニメじゃないのが良く分かるはず。 ... 記憶。 - 2004年11月27日(土) 毎年この時期になると、思い出すことがあって。 それは決して、楽しいことではなくて。 TERUが大きな声でステージから言ってたみたいに、 いつか良い思い出に変われるような代物ではなくて。 一生付き纏うんだろうな、という果てしない闇のような記憶。 人の生命はとても短くて。 そして、とても不平等だ。 人が生きることの意味を見出すことはできるかもしれないけど、 人が亡くなることは、正直未だに意味を見出すことができなくて。 理不尽な気持ちを抱えながら、 それでもそんな理不尽さに対抗できるだけの強さがない自分自身に腹が立つ。 自分が余命幾ばくもないと分かっても、何の抵抗もないのだけど。 置いて行かれることは、酷く辛くて。 それが、順番であろうと、なかろうと。 嫌なものは嫌だから。 大好きな人が、周りに多すぎて。 それを抱き締めて、繋ぎ止めていられるだけの技量が自分にないことが、怖ろしい。 それでも、 離れていってしまうくらいなら、最初から逢わなきゃ良いのに、と言い切ることはできなくて。 出逢えたことは、それはそれでどうしようもなく嬉しくて。 生まれてこれた現実は、それは果てしなく心躍るような奇跡で。 じゃぁ、どうしたらいいのか、っていったら。 みんなに長生きしてもらうしかないんだな、と思った。 そんな、曖昧なことしか祈れないのだけど。 今だけは、祈るための手しか持てない現実を、受け入れるしかないのかもしれない。 ... next day - 2004年11月24日(水) 終わってしまえば、あっという間に現実へと引き戻されて。 24時間前にLIVEがあったことが嘘みたい。 確かに自分はあの空間にいて、 ビリビリと肌に刺さるような音に浸っていたのにな、と。 ふと思い返してみれば、逆に酷く物足りなさを覚えた。 ゆるりと流れ去ってしまった時間は、 最初から何もなかったかのように跡形も残らず消えてしまって。 朝から一度も昨日のことを話す機会もなければ、 思い出すこともなかったのが現実だった。 あまり痛みの残らなかった全身と、 耳鳴りの残らなかった聴覚は、本当にいつもと同じで。 視覚に訴える写真を持たない自分としては、 切ないくらい、記憶に何にも残っていなかった。 ただ、 ふわりと頭を過ぎる音が、 そういえば彼の曲だという現実には、笑みが浮かんだ。 ... 代々木3日目。 - 2004年11月23日(火) TVカメラが入ると、急に余所行きの顔になるからつまらない。 シューティングなんてしなくて良いから、 どうか昨日よりも自由なスタイルで音を奏でて欲しいと想った。 自分たちのツアーは、ここで終ってしまうから。 だからどうか、自由気儘な音が聴きたいと願ったのに。 彼らの中の無言のプレッシャーなのか、 無意識のうちに働く防衛意識なのかわからないけれど、 前半は最初に巻きもどしかと思うくらい柔らかな音に聴こえて凹みっぱなし。 そんな音じゃないから、と。 遠慮がちな低音と、 周りのボリュームとテンションに合わせたメロディー音と、 身体に浸透しない歌声に。 時折、講義の声が沸々と湧き上がるのも現実で。 彼らの緊張が解けるまでの時間、もどかしさで一杯だった。 でもそんな、身体の表面を撫でるだけだった音が急に変わるから。 一発目のガツンという音だけで、鳥肌が立った。 ザワリと揺れた空気は、紛れもなく本物で。 射抜かれるような鋭い音は、自分なんかの語彙力じゃ表現できない程。 もし映像化されるなら、その瞬間の音が巧く切り取られていれば良いのに。 デジタル加工なしの、生の音がリアルに届けば良いのに。 LIVEが終った瞬間、もう一度そんな音が聴きたくなっていた。 ... 代々木2日目。 - 2004年11月22日(月) とても遠い距離に、少しだけ凹む想いを抱えながら。 それでも、どうせ同じ時間が過ぎていくなら、楽しんだ者勝ちだと想って。 ガツンと直接頭に叩き込まれるような低音と振動に、うっとりと漂うことにした。 それはびっくりする位理想的で。 吐き出される想いの欠片たちは、 容赦なく自分の心臓に突き刺さるような痛みを与えてくるんだけど。 それはただ痛いだけじゃなくて。 自分の中にあるもやもやとした感情と良く似ている気がした。 言葉では表現できないようなぐちゃぐちゃに絡まった感情の渦を、 MCで言葉を発することのなくなった彼らは、 きちんと音に乗せる術を身につけたんだな、と。 音楽に関してはまるで素人な自分の判断ではあるけれど。 専門用語よりも、感覚でしか表現できないのだけれど。 あたしは、そんな彼らの音が好きだし。 彼らの、その楽器に向かう姿勢も大好きなのだと想った。 技術なら、彼らよりもずっとずっと上手な人はいくらでもいるし。 表現力だって、別に世界一だとは想ってないし。 でも、彼らに対して良いな、と思うのは、 きっとそこに感情が見え隠れするから。 毎日違う音で、その日の気分丸出しみたいな弾き方でをするから、眼が離せなくなる。 一つ一つの音が独立して聴こえるように丁寧に弾きながら、 それでいて叩きつけるような激しい音を奏でて。 悲鳴のような楽器の音に、酷く惹かれてしまうのは自分だけじゃないと思う。 ... 代々木1日目。 - 2004年11月20日(土) キレのある音と、 一音一音をきっちき聴かせてくる技術と、 痛いくらい見せ付ける感情の嵐と。 だた音が大きいだけじゃなくて、 ふわふわとした軽やかなものじゃなくて、 しっかりと足跡を残すような深くて重い音が空間に満ちていて。 迷いのない、真っ直ぐな音を爪弾く低音2人が印象的だった。 時折重なって、ぶつかって。 それでも良い意味の自己主張をする彼らの演奏は、 今回のツアーで予測できないくらい自分の頭の中に鮮やかな軌跡を残してくれて。 酷く心地良かった。 感動するなら、今日だな、と。 心から賞賛するのは、今日だな、と。 初日とは比べ物にならない技術に、心からの拍手を。 当たり前のことだけど、彼らのその成長をリアルに肌で感じた1日だった。 それはもしかしたら、ラストに登場した可愛い人のおかげなのかもしれないけれど。 今日という日に、感謝を込めて。 ... 付け加え。 - 2004年11月18日(木) SEでU2が流れてたのには、ドキドキした。 好きなのだから当たり前なのかもしれないけど。 ふと頭を過ぎるのは、KITE。 似てるんじゃなくて、 上手い下手じゃなくて、 同じベクトルなんだと思った。 それはとてつもなく凄いことで。 二次元ではなく、三次元で重なることは、 奇跡のような偶然なのだから。 強さと方向と表現が織り成す空間で、 描き出される想いが、視覚ではなく感覚として伝わってくる感じ。 だから、やっぱり好きなんだと思う。 ... Accommodation - 2004年11月17日(水) 横須賀の地にて。 久々のGLAYに、少しドキリとしてみたり。 一月以上も経っているから、当たり前なんだけど。 上手になったし、聴かせる音を響かせるようになったなぁって。 でも、楽器隊の想いと、唄い手の想いが少しちぐはぐな印象を受けたりして。 雰囲気がお気に入りの都忘れは、 TERUの声の響きに誰かさんが少しだけ重なって、とても満足したのだけど。 一番思い入れの強いMissing Youは、 楽器隊の悲鳴のような音に胸が酷く痛んだのに、TERUの声が気に入らなかった。 なんだよ。そんなんじゃないんだよ。 楽器隊のこんな感情剥き出しみたいな音の中で、 声色だけが酷く軽くて浮いているように聴こえたのが心残りだった。 それと。 hideちゃんの唄のときに、 彼らが互いに顔をあわせずに、それぞれ思い思いのスタイルで奏でていたのは印象に残ってる。 激しかったり、静かだったり、物思いに耽っているようだったり。 そこに宿る想いの一端が、垣間見えるような気がした。 僕らは、とても複雑で。 人の心が見えることがないのだけど。 それでも、根本的な想いのどこかが重なればいいな、なんて。 ... 慣れ。 - 2004年11月12日(金) 乗り物に酷く弱い狛なので。 週に1度、1時間以上電車に揺られて通う場所があるのは 実はかなりの苦痛だったりして。 殆ど毎回、途中下車(笑) ところが最近気付いたことがありまして。 電車の種類を変えたら、意外と苦痛が少なくて。 これだ、と思って嬉しくなっているところ。 思えば、小学生の時から乗りなれているので。 多分どこかで「慣れ」というものがあるのだと思った。 どこで揺れるのかとか、何となく分かるし。 慣れて投げやりになるのはだめだけど。 慣れた物は、酷く心地良い。 それは、きっと。 人に対しても同じで。 これはもしかしたら甘える口実になってしまうのかもしれないけど。 考え方とかが変わったとしても、 傍に居るという現実が変わらないことに今日も安堵している狛なのでした。 ... 色彩。 - 2004年11月08日(月) 今回のGLAYのLIVEのOPENINGで彼らが纏う色は、自分の想像と違っていて。 それでも、自分のイメージの中で彼らが纏う色は変わらなかったから。 少しだけ自己主張の意を込めて(笑) イメージカラーは、多分外見に影響されていて。 髪の色、目の色、服の色、持ってるモノの色。 そういういろんな物の色で判断している部分があるように思う。 だから、 例えば、TERUが黒で、TAKUROが藤色で、それからHISASHIが蒼で、JIROが赤。 付け加えれば、 RYUが赤で、Jが蒼、INOが黄色で、真ちゃんが白。杉は橙色だと思ってた。 何でか、っていう決定的な証拠はどこにもないのだけど、 ただ、頭の中で色を思い描いた時に、似合うな、と感じる色がそれだった。 そこに、 それぞれの色に対する狛の気持ちを当てはめてみれば、 彼らへの贔屓度と比例するところはあったりして(笑) もちろん、それが全てとは言わないけれど。 ...
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