夜。 - 2006年06月29日(木) 「別の病棟から、看れないからって、送られてきたの」 たった数時間しか離れていなかったのに、 病棟には重症な患者の姿があって。 溜息を零す前に、そんな言葉を先輩からそっと耳打ちされた。 本音を言えば、確かに忙しくなるから溜息を吐きたくもなったけれど。 そんな現実を告げられれば、愚痴の言葉さえも咽喉から出てはこなかった。 だけど、毎日泊り込みで看病していた家族が、 何度もお辞儀をしながら帰っていく姿を見たときに、 そうやって家族が帰れる状況を作っている先輩たちの姿が、頼もしかった。 ... 痛い。 - 2006年06月20日(火) 何となく、 今日あたりにこんな結果が待っているような気がしていたのだけど。 お別れはいつも突然やってくるから、 心の準備をしている余裕を与えてはもらえなかくて。 朝病棟に足を踏み入れた瞬間に感じた違和感は、たぶんしばらく残るだろう。 部屋が片付いて、電気が消えているのを見た瞬間、 身体が硬直したのは、ある意味自分なりの防御反応だったのかもしれない。 そういう現実を理解するのには、やっぱりどうしたって時間が必要で。 拒絶と受容の感情に同時に引っ張られて、 その反動でぶつかり合って相殺するような、 そんな良く解らない気持ちが胸の内側に拡がっていた。 すとん、と堕ちていく想いは、 ほんの数日前に聴いた家族の話を思い出したからだ。 ライオンズクラブで海外旅行に行った話。 5年前には、ウィーンで暮らす娘の所で過ごしていたこと。 家族で温泉旅行に行った話。 それはいつも彼女が企画して、先頭に立っていたのだと、 嬉しそうに話すご家族の顔を、覚えてる。 前の病院では痛みがひどくて、看ている家族も辛かったと呟いたご主人の横顔。 自分の無力さを感じていたのだと、そっと打ち明けてくれた時の切ない眼差し。 傷口が綺麗になってきたな、と呼び掛ける柔らかな声。 そういうことが、まだ鮮明に記憶に残っている。 新しい高齢者向けの住宅に引っ越して、 庭付きの新築でご主人と仲良く暮らしていく予定だったのを、あたしは知っている。 その家を気に入って、購入を決めたのが彼女だったのを、あたしは知っている。 だからあんなにも家に帰りたがっていたのだと、あたしは知っている。 初めてその新しい家に帰るのに、本人から感想が聴けないのが、 痛いくらい切ないと想った。 いろんな話を聴きながら、彼女は何を想っていたのだろう。 少しでも、穏やかな気持ちになる時間があっただろうか? 幸せを感じてくれる瞬間があっただろうか? 考えだしたらきりがなかった。 気持ちを切り替えるつもりで目を閉じて深呼吸する。 それでも、無機質なパソコンの画面に映る丁寧に書かれた最期の記録を読みながら、 彼女の受け持ちだった先輩の顔がまともに見れなかった。 ... 浮上。 - 2006年06月14日(水) 少しだけ話を聴いて。 その先輩の言葉の深さに、胸が震えた。 あ、こんな人と仕事ができるなら、 もう少し続けていきたいと想ったし、 もう少しやっていけるかもしれないと想った。 こうやって、本当に堕ちたときには、 いつも決まって救世主のような言葉が与えられて。 巧く働かなくなった思考回路が、緩やかにつながっていく。 その感覚に、間違いなく自分のペースが戻ってくるような予感があった。 明日からも、少し前向きで。 ... 見送り。 - 2006年06月13日(火) 廊下の広い陽だまりのスペースで、じっと下の方を覗く患者の姿を見て、 何気なく声をかけただけだったのに。 応えとして返ってきた言葉が、少し衝撃的だった。 女房をね、見送ってるんですよ。 それは本当に衝撃でしかなくて。 一緒になって見下ろした分厚いガラス窓の遥か下の方を、 白い服を着た女性が歩いていた。 そうやって、高いところから奥様の後ろ姿を探す姿は、本当に切実で。 時折振り返って手を振る相手に、幸せそうに手を振り返す横顔が印象的だった。 わあ、と揺れる気持ちに思わず笑みが浮かんだ。 嬉しくなって、便乗して手を振ってみてから、 は、と気付いたように慌ててお辞儀をする自分に、 少しだけ笑った顔は穏やかで。 ゆっくりとした足取りの奥様が駅のホームに隠れて見えなくなっても、 姿の確認できない電車が走り去るまで黙って見つめる眼差しは、酷く優しかった。 入院なんていう非日常の出来事に、 動揺し、狼狽えているのは本人だけじゃなくて家族だって同じこと。 だけど病院の中では、家族があまりにも弱くて、驚かされる。 もっと強くて良いのに、と想う。 もっとはっきり言ってくれて良いのに、と想う。 だって大事な家族じゃない、と、そんなことばかり想う。 ...
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