誕生日。 - 2006年09月21日(木) 今年は本当にいろんな人たちから祝福の言葉を頂いて。 たくさんのプレゼントを頂いて。 こんなに幸せで大丈夫だろうかと、にやけた顔が戻らなかった。 自分は本当に毎日が幸せで。 誕生日だろうと、なかろうと、多分今が一番楽しいと感じてる。 10年前、 たった15歳で亡くなった友人は、何を想っていのだろう。 8年前、 17歳の誕生日に亡くなった友人は、何を想っていのだろう。 5年前、 19歳で亡くなった友人は、何を想っていたのだろう。 そんな気持ちが、本当はずっと胸の奥でしこりのように残っていた。 自分は歳を重ねてゆくけれど、止まってしまった時があることが不思議で。 だけど、どんなに考えたって、その答えは本人にしか分からないから。 振り返ってばかりで難しく考えるより、 そんなしっくりしない気持ちを抱えながらでも、 新しい何かを考えていければいいのかもしれないと、 最近ようやく、少し気持ちが変わってきた。 亡くなってゆく人たちと関わる機会が増えて、 生きてて良かったな、と、 生まれてきて良かったな、と、 そんな風にその人が心から感じられる瞬間が少しでも長くあるように。 そんなケアができればいいな、と、誕生日になって改めて想った。 ... メッセージ。 - 2006年09月15日(金) とある患者さんの誕生日でした。 自分が彼女の誕生日を知ったのは本当に偶然だったのだけれど。 他のスタッフにそれを伝えることができないまま、 結局、今日になってしまったから。 朝から何だか勿体ない気持ちを抱えていた。 だけど、夜勤のために遅い時間に病棟に足を踏み入れたら、 受け持ちの先輩が彼女へのバースデーカードを作っていて。 あの患者さんね、今日誕生日だから、カードにメッセージ書いてね! そうやって、楽しそうにカードにメッセージを書いている彼女の姿に、 胸が躍った。 日勤と夜勤のナースだけじゃなくて、 助手さんや医師たちからもメッセージをもらい、 夜になってようやく完成したカードを渡したとき、 受け取った患者さんが眼に涙を浮かべながら喜んでくれたのは嬉しくて。 こんな先輩たちと一緒に仕事ができるのを、誇らしく思った。 ... - 2006年09月11日(月) 彼女ね、死にたくないとかじゃなくて、生きたいって言うのよ。 でも、多分彼女自身が自分の事は一番良く分かってたのね。 …先生に挨拶がしたいから、呼んでくれって言ってて… 先生忙しいから、って言ったんだけど、明日は自分のお葬式だからって。 看護婦さんたちには、多分言わなくたって伝わると思ってるのよね。 それが、彼女について家族から聴いた最後の言葉だった。 夜勤で病棟の担当表をみて、彼女の名前がどこにもなかった理由を理解した瞬間、 久し振りに、感情がその衝撃で打ち砕かれてしまったような気がした。 前日に、担当でもないのに病室を訪れた時のその会話を思い出して、 頭の芯が、じん、と痺れてしまった。 あの時、自分は何と応えただろう。 ただ黙って、その話を聴きながら、 彼女の手を擦っているくらいしかできなかったような気がする。 肩で呼吸をするようになって。 声を掛けてもほとんど返事がなくて。 それでも、家族はずっと彼女に話しかけていて。 ご飯も食べれなくたって、食べる時のために準備をしていて。 そんなことが、風のように頭にふわりと過ぎった。 そんな記憶がぐるぐると頭の中を渦巻いて、 まず一番最初に、担当ではない彼女のカルテを読んでいた。 看護師1年目は、患者さんが亡くなると本当に辛くて、悲しくてね。 でも、何年もたつと、いつの間にか何も考えないようにするんだろうね。 感情の上の方だけで、何となく、さらりと流せるようになっちゃってたんだ。 真夜中に、ふ、とそんなことを呟いた先輩の言葉に、 決してその先輩は何も感じていないわけではないような気がした。 死に触れて、じん、と痺れてしまった感情が、 自分が働くために必死に取繕っているのだと思った。 じゃなければ、何度も繰り返して記録を読んだりなんてしないと思うし。 なによりも、自分に向かって、そんな風には呟くことはないような気がするのだ。 病院にいながら、いまだに死の衝撃に慣れることのない自分に、苦笑する。 慣れたくはないけれど、もう少し巧く切り替えることができれば良いのに、と。 ...
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