2025年04月22日(火) |
3月後半から4月にかけて |
これまでのことを簡単に書いておこうと思います。
3月25日。娘の小学校の卒業式。仕事休んでいきました。娘の袴姿、とても似合っていたと思います。校歌斉唱で自分も声を出して歌いました。いい校歌だなあ、と改めて。桜はまだつぼみが多い感じで、もう少し咲いててほしかった。
3月28日。有休消化で、嫁、娘と館山の沖ノ島へ遊びに行きました。館山は毎年、海水浴で来るんだけど、娘が5年生の時の移動教室で沖ノ島に来たことがあって、いつか両親に案内してあげたいと思っているというのを聞いたことがあって。初沖ノ島に行ってきました。島に渡る道って潮が満ちてくるとなくなってしまうのね。着いたとき、道はすでになかったんだけど、折角来たのだからということで足首ぐらいまで濡れながら島へ上陸。まぁ別に大したことはなかったけど、いい思い出になりました。
3月29日。叔母の49日。
4月8日。娘の中学校の入学式で、会場のある水道橋へ。帰りに嫁タソの実家に寄って、娘の制服姿を見せてから帰りました。
4月17日。6年ぶりに、吾輩の大腸にカメラが潜入。洗浄剤を飲むのは多少馴れたとは言え、やっぱりイヤだったけど、なんとか終わりました。生検しなかったので、多分手術ですね。大腸がんでなければいいなあと思ってますが、、どうでしょう。ちょっと心配。
4月19日。昔の友人のバンドのお手伝いに行ってきました。
こんなカンジに過ごしておりました。あと、母がついに退院して、そのまま施設に入りました。施設に入った後に何回か面会に行ってきたんだけど、食欲も全然ないみたいで、元気もなくて心配してます。もう年齢が年齢なんで、いつ何があってもおかしくないですよ。今日も施設の医師と面談があって、いろいろ話を聞くうちに、暗にそう言うことを伝えようとしてるんだろな、と思う場面がたびたびあって、覚悟しておかないといけないのかなあと思わされました。
母との同居生活は正直きつかったんですけど、今から思えば、ああしておけば、こうしておけば、みたいなのは結構考えます。母の面倒を息子の自分が直接見る、なんて誰でもできることではないですよね。そういう環境がなければ難しいですし。貴重な経験だったかな、と思います。
まぁ今日はここまで。再見。
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