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■ 気になること
宇多田ヒカル「誰かの願いがかなうころ」を試聴したんですが。 「わたし」とか「ぼくら」とか混在してない? なんだか狙いがイマイチ読めないなぁ。
理由にならないことを理由にして平気な人がいる。 「母親が・・・」「バスの時間が・・・」 だからなんなの?と問い詰めたくなる。 いったいあなたの価値基準はどこにあるのかと。 おぎそんって真面目に説教できないから、系統だって論じることはできないからあえて突っ込んでいないけれど。
もちろん、おぎそんが正しい!なんて全然思っちゃいないですけれど。 なんだか心配してくれる人の存在に気付かないって周りから見ると痛々しい。 本人が平気って顔をしているときほど痛い。
きっと、おぎそんもそんなふうに見られている時期があるんだろうな。 昔も今も。
2004年04月22日(木)
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