おぎそんの日記
おぎそん



 みとげー

ゲームじゃないのよ?

水戸芸術館よ?

てなわけで、非番明け連休だったこともあり、東京に出るついでに水戸まで足を伸ばして>延ばしすぎだ行ってきました。

いやね、友人が「すんごく良かったから行けるなら行っておきなって」って唆すものですから。
そーいや、去年はアルプ展のために館林美術館に襲撃してるし、やっぱり芸術の秋なのね>大いなる勘違い・・・。

いやはや、よかったっす。
みとげーの”Life”展@現代美術ギャラリー。
なかなか一緒に語ることの出来ないモノを一線に並べることで浮き上がるテーマがあるってことを改めて感じましたよ。
岡崎京子とかフツー並列させないと思うんだよね。
でも、凄く合ってる。むしろ、なきゃダメなんだ、とすら思えてくる。
ホントに不思議。


akira the hustlerのmilk を見た 友人が書いたテクストから。
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 その中でぼくはいろいろなことを考えた。例えばいま、僕が見て、記憶していること。それらは僕がいなくなってしまえば、そのまま消えてしまうのかもしれない。僕が消えていなくなることよりも、僕が出会ってきた様々なものとの記憶が、そのままきえてしまうことのほうがもっと寂しい。
 けれど、「過ぎてきた時、残された意思や言葉や思い出や、言葉に出来ない海や川や木々のきらめきとか、笑い声や、涙や悔恨や、そういったものをひっくるめて」もしかしたら、伝えられるのではないか。それは祈りかもしれない。けれどそれが僕にとっての希望だ。そのことを感じさせてくれる、とても強い力を持った作品だった。

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興味ある方はぜひとも行ってみたら、と。
小旅行気分でね。

2006年09月25日(月)



 おおきに。

こっちに着てから約半年が経ってしまった。
なんか変な感じ。

まだ、言葉に違和感があるのが正直なところ。
〜やん。〜やろ。〜さかい。
やっぱり、慣れないな。

おおきに、ってのも言えない。
照れなのかもしれないけれども、なんだかね。

いつかは関西弁で、「標準語のほうが慣れへんわ」なんて言ってるのかな。
なんか不思議。


自分の立ち位置ってどこなんだろうって(丁度、休みだった)この連休の間、考えてた。
今の仕事をずっと続けられるのかなって。

ボクにはあまりにも知らなさ過ぎることを痛感させられる。
当たり前のことなのかもしれないけど。

でも、そのボクが彼らに対して何が出来るのだろうって思う。
”一生懸命やってるから”だけじゃ通用しないんだって思う。

何を知ればいいんだろう。何ができるんだろう。
答えはずっと後になってから気づくものだと、分かっているつもりだけれども。でも、今が彼らにとって必要なんだよ。
こんな文章を書いている、今こそ。

どうしたらいいんだろう。

何を知ればいいんだろう。何をボクは望んでいるんだろう。

そんなことを思う。

2006年09月19日(火)



 しがない日々のMusic

今月に入って多分、初めてCDショップに行ってきました。久しぶりの2連休だった(非番明けを考えれば2日半のお休みってことね)しね。
いやはや、タワレコは結局Wポイントを継続するのね・・・もう、いいです。おぎそんは疲れましたので溜まりに溜まったポイントカード5枚を使いたいと思います。

てなわけで、買いこんできたんですけど。
なんつーか、まぁ、売り場の展開を見ながら思うことが多々あるわけですよ。
ふ〜ん、これを売りたいのね。とか邪推してみたり。

不思議なのが、mihimaruです。面倒だからリンクははりません。
エゲツナイ売り方で、ドーピングのようにシングルランキングをあげてアルバムに結び付けようとしているんですけど。
どうよ? みたいな。
いや、ユニバーサルにしたら今を逃したら2年以上掛けた先行投資が無駄になるって分かってるので必死なんですけど、それでもアルバムを見るとなんだかなぁ感がどうしてもただよっている、というか。

大体、部屋とYシャツと私、を大江くんを迎えてカバーする意義が見当たりません。なぜ、今頃なんだ、と。
ラップの人が活躍するところないじゃん。

いづれ、ソロでボーカルを売りたいって感じもしますが消費期限のリミットも気になる・・・。エピックソニーの、ユニットでもそんな感じの居たし(初期にKjが「風を集めて」だかでプロデュースしたユニット。名前を忘れた。ボーカルは確かazumiだっけか。ソロでちょろっとやってましたが)。

そうそう。ソニーで思い出した。
って、時間が。またの機会にでも。

書かないに1票。

2006年09月14日(木)



 こだわり と くよくよ

大きな声は苦手です。
叩かれればへこみます。
周りの視線は気になるし、自分に自信はありません。
不満はいっぱいで、世の中に対してイライラします。
ニュースを聞くと不安になって、そしてすぐに忘れます。
日々の生活に追われています。
まず自分のこと、そして家族のこと。
それから世の中のこと。
相変わらず、そんな自分です。

でも、こだわっていることで、感じ方が変わってきました。

私はいま、以前よりずっと希望をもっています。

まるで世の中はどんどん悪くなっているかのごとく報道されるけれど、そうでもないと思えるようになりました。

ほんとうにすばらしいことは、隠されていることが多いです。悪いことの背後にもよいことがあります。よいことは悪いことよりも複雑で、つかまえにくいのです。いっしょうけんめいになりすぎると見えなくなります。よいことは見過ごされがちです。よいことは、悪いことよりもとるにたらないのです。

それはきっと、よいことは、人間にとってあたりまえだからです。

「翼を持つこと、根を持つこと」田口ランディ

2006年09月12日(火)



 満月を探して

今日、車を走らせていたら満月だということに気づいた。
そっか。

いつかは欠けてしまうけれども、今は満ちているってこと。
それが大事なんだよな。

死にそうなくらいさびしくても、満ち欠けをしていく。
そんな感情さえも気に留めてくれないけれども、そのなんでもないように過ぎていくことが日々を生きていくことなんだよね。
ちっぽけだってことは痛いくらいに分かっている。

まだまだ死にたくないっす、と呟きながらアクセルを踏み込んだ。
そう、まだ何にも分かっていないのだから。

生きてもないのに、死んででたまるか。

2006年09月08日(金)



 しぶとく

まだ若いんだから。
この先、きっといいことあるよ。

そんな台詞に安住したくなるときがある。
でも、それに頼っちゃいけないんだと思う。

そんなことは誰にもいえないから。
そのことを決めるのは本人だから。

後輩や友人を見て、自分の悲惨な状況を笑えば―笑い飛ばそうとして―、そうしようとすればするほど深まってしまうモノというのは確かにあるのだ。
それはボクの中にもひっそりと息づいていて、いつ勢力を増すのかさえわからない。
ただただ、どうかどうか暴れだしませんように、と願うばかりなのだから。

「誰か」に頼りたいのに。
心のよりどころになる人が居ない―近くに居ない―という人はたくさん居ることも、今は知っている。
だから、安易に励ますことは出来ない。

騙し騙し生きている。
そんな面を見ないようにしている。
そうやって生き延びている。

そんな中で、メールをくれた人。
気にかけてくれた人、どうもありがとう。

誕生日は誰かに感謝する日なんだよね。
ボクは、少しでも思い出してくれた人たちに感謝をしたい、と思う。

偽善だって?
いいんだ。
ボクが今、そう思っているのもまた、事実なんだから。

職場では、ボクがまた一つ年を重ねたことは誰も知らない。
だからこそ、リアルに付き合ってきた人からのメッセージが、遠く離れてしまった人からの・普段なかなか会えない人の・好きな人からのメッセージが単純に嬉しい。

どうも、ありがとう。
これからも、しぶとくよろしくね。

2006年09月07日(木)



 Must I get along with them?

てなわけで>どんなわけだよ、副主任に声をかけられ、貴重なプライベートの時間を接待へ。
・・・悲しいとしかいいようが。

もちろん、ある意味気にかけていただける>ほら、敬語だよ?のはありがたいことなんだけど、今日の場におぎそんがはたして居る必然性があったのか、というと微妙というかなんと言うか。

完全アウェイの地でおぎそんに何を求めているのかしら。
てか、副主任(42)・他の課の副主任(38)・その奥様(36)・看護課副主任(36)・OB(62)の中でおぎそんの役割ってなに?

まぁ、たらふく普段は口にしないお肉を食べれたじゃんって話はあるけれども貴重な時間を4時間以上ささげるにはちょっとアレかと。

おぎそんのわがままななのかしら。

2006年09月06日(水)



 あのとき

この時期―自分の誕生日の近くってことだけれども―に思うのは、これまでの”自分”だったりする。

今年もなんだかバタバタしてどうこうはないだろうなぁとは思うのだけれども、しかし。

23〜24の頃がとにかくこの時期が切ないというか、嫌だった。
自分、なにやってるんだろう? と、いつも思っていた。

いつか、きっと、多分。

そんな言葉に甘えている自分が嫌だったし、でもじゃあ何が出来るかといったら、何も出来ない自分。
何かをしなきゃ始まらない気がするけれども、何をしたらいいのだろう。自分がやろうとしていることって、いいのかな。

強がって、誰にもいえない思い。

でも、この”寂しさ”>と、あえて言うは自分で抱きしめるしかないんだ、と歯を食いしばるように思っていた。
トキが解決してくれる、てなこともなく。

”やっぱり辞めなきゃよかったんじゃない?”っていうことも思った。
自分の決めたことに対しても自信がこれっぽちも持てなかった。
周りの人が、自分よりも素敵に見えて、自分なんてしょうもないヤツだ、と卑下していた。
でも、それは自分を守るため方策だったのだと思うと、あの時の自分を抱きしめたくもなる。大丈夫なんて、いえないけれども。何も出来ないけれども一緒にそばに居てあげて、その思いはアナタだけじゃないと言うことだけを伝えたくて、何かを伝えたくて。でも、伝えるための手段が分からなくてそこに馬鹿みたいに突っ立っているだけだろうけれども。


転居する前によく行っていた飲み屋さんからのDM―ハガキを持っていくと2000円割引―が届いたのを見て、そんなことを思い出した。

2006年09月01日(金)
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