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■ 臆病
あっという間に。 なんで2月は28日しかないのかしら。 変ねぇ。
そんなわけで、クソ忙しい中、ちょっと行ってきましたよ。某トークイベントに。
というのも、以前に取材を受けた(正確には、取材対象者をコーディネート)ことでつながりが出来た作家さんの出版イベント。 で、全くのアウェイなのに。なのに。
仕事でぎりぎりの時間で駆けつけてみれば、空いている席は一番前。 ・・・なんなんだ、この大学の講義のような。いや、講義の場合、やる気のアピールを出す輩もいたから、埋まってるか。いい悪いは別にして(個人的にはそんなのは好かないけどね)。 「どこでもご自由にどうぞ」と言われても、近くで見たいけど真ん前はいやだわ、という方々(まぁ、おぎそんもそうなんだけど)に恵まれたようで、予期せずに真ん前。 なんだかな。
で、正直なところ、あの時期とは髪型も変わってるしめがねも変わってるし、トーキョー迷子(中島みゆき)的感じでしれっと居たら「ああ、どうも」。 あれれ? しゃべってないのに。 ・・・存在がうるさいのかしら(>最近の自覚)。
で、打ち上げにもずうずうしく参加させていただきました。 いやはや、楽しかったっす。 終電を逃したかいがあったぜ(>待て)。
まぁ、そうは言いながら真面目なことを言えば、2点ほど(まぁ、細かいのは私的日記に走り書きであるのでいいや)。
・表現をする(世間に対して発表する)ということ 取材をしてそれを世に送り出す。 なぜそれをするか。それが読者が「おもしろい」などといった感情を引き起こすものだから。 もちろん、それを良しとしない側面もある。 しかし、ノンフィクションというものは、その取材者(取材をする人)のフィルターを通して語られるものである。書評だって、小説だってそうだ。 となると、それに対し、どこまで言い訳をし、しないのかという線引きが必要になる。 批判に対し、どう対応していくのか。 際限のない言い訳(おぎそんは、宮部みゆき「魔術はささやく」新潮文庫 を思い出しましたが)うぃどうしていくのか。 言い訳をしたくなる。でも、それをすることで誰が救われる? 結局はそれも自己満足。 だから、文章を書くということはとても厳しいことである。 その自覚をして文章をつむぐ人がいったいどのくらい居るんだろうか。
・不思議なつながり これで、出会った人たち。 何かにすいよせられるように(「ぼくの地球を守って」じゃあるまいし)。 こういったつながりは何物にも変えがたい。それがあるからこそ、緊張しても、お金を使っても行く。場違いかもしれないと思いつつ。 知らないところに飛び込むのはいつになっても怖い。 それはずっと変わらない。
そんなわけで、日ごろ接点のない人とも知り合えました。 これでまたいろんな変化が出るんだろうな。 怖いような楽しみのような。
2010年02月27日(土)
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