◇日記◇
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朝起き抜けの紅茶は、五臓六腑にしみわたる。
使い方間違ってるけど、これでいいの。
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やっぱり、万葉集かなぁと(笑)
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ひとの卵子でじぶんが生んだ子と
じぶんの卵子でひとに生んでもらった子と。
自分のおなかで育てたと言ってみたり
誰が生んでも自分の卵子なのだ、と言ってみたり。
その複雑さをくくるのは「自分の子」という思いか。
自分が生んだ=自分の子
自分の遺伝子を受け継いでいる=自分の子
確かにそうだけれども。
それぞれ言い分はあるのだろうが
自分の子、として育てたいだけじゃないのか、と思ってみたり。
女性は(と言い切ってしまう)、自分の本心を
幾重にもくるんで隠すから、よくわからない。
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朝起きると、また少し雪が積もっている。
この優しさが、大好きなんだな、と思う。
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いろんなことに、けり、をつけたい。
時期がくれば、自然とつくものかも。
私が成長すれば、自然とおさまるところにおさまるものなのかも。
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「き●と●」に続き「苦○列○」読了。
一度も眠らずに読み終えた。
内容的には、期待を裏切らない作品だった。
藤澤さんという作家は、私は知らないのだが、
彼の文体に似ているのだろうか、
その文体は、例えば、漱石のようでもあった。
「猫」を思い出しつつ読んだ。
あるいは「メロス」。
凄まじいのは、その客観視っぷり。
いや、これでもまだまだ、なのかもしれない。
歌においても、客観的視点の獲得は重要。
ひとりよがり、甘え、に流されるのをとどめるために。
そしてなにより読み手の共感を得るために。
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そこか、と思う。
サイバラさんに最近共感できないのは、そこか。
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最近、疲れやすい。
春が近づいている、と実感する。
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歌を選んだり、削ったり、並べ直しているうちに
こんなにも時間が経ってしまった。
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ススム評は、来月分を残すのみとなった。
結局、示された歌だけじゃなくて、全集を読んでしまった。
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「き●と●」ようやく読了。
途中で、何回も眠った。
なんというか…あとあじの悪さが際立った。
時間の感覚のなめらかさが、面白いような疲れるような。
今なのか昔なのか、夢なのか、現実なのか、
すべてがからみあってもつれあっている。
小説のなかで、主人公二人の髪がからみあい、手足がもつれあうのと同じ感じか。
15歳にもなって9歳の子と
じゃれて甘噛みする場面のキモチワルサに
通じる感触であった。
母の不倫も、生まれなかった妹も、髪をひっぱるモノノケも、
紅ショウガも、姉弟の関係も、
語られるすべてになにも注釈せず、そこだけを切り取ったという形で
ぽん、と投げ出して終わる印象があって
それはそれで、書き手に取ってはいいことなのだろうが、
真剣に読んでいるこっちとしては、呆然としてしまったりするのだ。
余韻がないということか。
重層的に主題が語られていくところは、ちょっとらせんの物語みたいだけれど、
きちんとしたらせんになっていない感がある。
つまり、主題間にも、くり返しの中にも関連がない感じがある。
紅ショウガがくり返し出てきても、キーワードにならない感じ。
それはそれでいいのだろうけれども。
キコも、トワコも、読み終えたとたんに、もう「生きていない」感じがする。
例えば「細雪」の「きあんちゃん」が未だに列車に乗ってお嫁に行く途中で
あるのとは、対照的である。
感覚的な小説であった。
こういうのを才能、と呼ぶのだろう。
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あまりにも暖かくて、まるで春のようで
嬉しくて散歩に出かけた。
久しぶりに7000歩歩いた。
耳も鼻も冷たくならなくて、どこまでも歩いていけそうだった。
5℃ってこんなに優しい気温だったのね。
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無事に2月になった。
とたんに大雪。
2月は注意月間である。
冬に注意。 カレンダーに注意。 予定に注意。 そして、春にも注意。
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