◇日記◇
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今日は年金の手続きを。
このところワルいことをする人がいるからか、
戸籍謄本を取るのも、年金の相談をするのも、
「子」という肩書きではなかなか難しく、常に委任状が必要となる。
しかし、この高齢化社会である。
本人が動けない場合、どうしたらいいというのだろう。
それゆえ、後見人制度などがあるということなのか。
ああめんどくさい。
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ようやくここまできた。
あと少し。
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今日は、暑くなりそう。
久しぶりに、一日家にいられるかもしれない。
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なんと答えたらよかったのか。
手術はするの?
には、しないの、と答えた。
できないの、と言えなかった。
手術は無理だった。
父は生きていたかったのだろうか、たとえベッドに寝たきりになっても。
(痛み止めで眠るのは)今夜だけ?
と父の目に見つめられて、嘘をつけばよかったと、いまこの瞬間は思っている。
だけど、あのときは、できなかった。
今夜だけじゃないかもしれない、と答えたような気がする。
もう会えないかもしれない、と。
最後に大きな苦痛を与えてしまったのか。
死ぬわけにはいかん、と父は言った。
続けて、また会える、と。
私は、うん、そうだね、また会える、また会えるね、と笑顔で答えた。
腕時計をはめてくれ、と言われて右腕にはめたのは、この会話の前だったか
後だったか。
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少しずつ思い出に。
日曜日、月曜日、が教会。
火曜日、
夕食のメニューは冷しゃぶしゃぶとし、午前中に買い物して届け、
あとを叔父さんご夫妻に託した。
叔母さんに作ってもらった、と母は喜んでいた。
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日本全国猛暑。
ここも暑いが、まだまし、まだ、まし、ととなえている。
ああ。暑い。
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今日は、しっとり、雨の日。
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2010年1月に発見された父の腹部大動脈瘤。
その病気との付き合いも終わった。
父は、亡くなった。
当たり前だが、生まれてはじめて父を失った。
一緒にいて、気疲れのしない人だった。 大きなふわふわの布団のような人だった。 朗らかな人だった。
寂しくなった。
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子どもを持たぬがゆえに、似た者同士の親しみを感じている二組の夫婦。 この頃作者の友達に、孫が生まれた。 それゆえだろうか、孫も子もない同じ境遇の夫婦が親しく山に行った。 あるいは、山で行き会った。 下の句が秀逸。 大きいかたち。
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作品を深めるということ。
たわらまちさんのように、不倫しても、シングルマザーになっても、
地震にあっても、津波にあっても、
ほうしゃのう物質から逃れて西へ西へと向かっても、
そこにふらっと定住しても、
パパとは呼べない男が子を尋ねてきても、
どうやっても作品が深まらない人っているんだ、と思い知る。
詩を体に持つには、健康すぎるというか。
つまりは、自分の中に抱える、それも最初から抱える不健全ななにか、に
依存して作品の深まり具合は決まってくるのかもしれない。
あるいは、外から来た何かに自分の最初から持つ何かが反応するのかもしれない。
その意味では、彼女は、青春歌人として永遠に記憶されるのだろうな。
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