◇日記◇
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IEをやめて、きつねにしてみた。
素晴らしく早い。なめらか。美しい。
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少しずつ、書き始めた。
毎年こんなペースだったっけ、と振り返るも、覚えていない。
ま、そんなもん。
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心身共にキビシイ。
世間はゴールデンウィークらしい。
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疲れ果てた一週間だった。
少しだけ休憩できる。ほんの少し。
この一ヶ月という時間に意味はあったのか。
あったのだろうけれど。
毎日精一杯走って走って、くたびれて眠り、また走る、そんな生活。
もう、締切が来た。
来月の10日にも締切は来る。
私は、いま仕事中だから邪魔しないで、と言ったことがない。
いわゆる賃金をもらっての仕事ではないから。
だけど、私が原稿を渡す相手がいて、
私に原稿を渡す人もいて、期日があって、印刷所が待っていると
お金をもらっていようがいまいが、やはりこれは社会的約束事であり
その意味では仕事なのだ、と思わされる場面が多々ある。
いま仕事中だから話しかけないで、とか
この部屋には入らないで、とか言える人が羨ましくなることもある。
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今日も朝から病院。
8時過ぎに到着。大変混んでいて、椅子もないほど。
3時過ぎ、帰宅。
ほんっとにくたびれて、ふらふら。
取り敢えず、入院と手術日は決まった。
入院に備えての検査もほぼ終わった。
2014年04月21日(月) |
メモ 歌 26 椎の実 |
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見慣れた椎の実だったから、しみじみと見たのだろう。 赤道を越えてきた遠い国にも、見慣れた椎の木があり、実が生っていた。 作者は、その実ではなく蔕を見ている。 実が落ちる頃になると、先端が三つに大きく裂けて実が顔を出すのだが、 まだそこまで熟してはいないのかもしれない。
読み手は「蔕を」までは作者と同じ視点で木を見上げ、結句でその視点を 木の上まで持ち上げて、上を見上げている作者を見下ろす。 作者と一緒に、見上げている作者を上から見下ろすのだ。 この素早い視点の切り替えがジェットコースターのように楽しい。
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昨日。 疲れ切っている私たちに呼び出しがかかり、行ってきた。 つまりは、不安、ということか。
独りに弱いというのは、どうにもこうにも対処ができない。
本人がどうにか克服していくしかない。
そこを理解して欲しいのだけれども。
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今日夕方電話をした。
最初から手術は受けるつもりだった、と言った。
私は、いつまで経ってもコドモ。
もうオトナの言うことなんか信じない。
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2月某日、近所の内科で久しぶりに定期検診のためにレントゲン撮影。 心臓肥大がわかる
3月14日、心臓の病院へ
3月22〜23日頃、24時間心電図
3月25日、手術を勧められる
3月末、手術後、一緒に暮らすことも検討しはじめる
4月2日、手術を受けますと一旦は言う(この日はねこぞ同席) 残念ながら、外科の医師が手術中で、来週きちんと日程を詰めましょうと いうことになる 早く家を建て直し同居したいと言うので、まずは手術して元気になって それからどういう家にしたらお互いが気持ちよく暮らせるかを考え、 それからじゃない?と言う
4月9日、手術は受けないと言い出す(東の某医師の意見?) ・電話で手術をすすめるが、長時間話しても結論が出ない
4月10日、近所の内科へセカンドオピニオンを求めたいので紹介状を書いて 欲しいと言いにいき、15日に心臓の先生に疑問を全部ぶつけてからでも いいのではないか、セカンドオピニオンはかまわないが、手術が必要だと 内科医でも思う、と諭される
4月10日、夕方ねこぞと一緒に行き、手術をした方がいいのではないかと話す 約2時間
4月12日、私のみ行き、再度手術を勧める
4月14日、不整脈だけ先にステントで治すことにする、と言い出す
4月15日、医師がステントで取り敢えず治すのはありだけど、 全部は治らないだろうし、そもそも不整脈を起こす原因は弁だから そこを治すことを視野に入れてのステントなら意味はある、時間稼ぎという 意味はあるが、と言われ、またすべてを白紙に戻す
私の心臓の方がダメージ受けてる気がする。
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行っても場所違いだったり、書類違いだったり、なんだか毎日ゆるくない。
でも少しずつ物事は進んでいる(はず)。
XPも今日で終わる。
だけど私はXP。
一応、のーとん、入れてるけど。
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今日も雪。
春の淡い雪だけれども、雪は雪。
最近は、本を読んでいる暇がない。
もちろん、楽しみのための本読みである。
でもま、仕方ないんだろうな。
そういう年頃なんだろうな。
家を建てるなら、とついつい夢想。
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全くここへの接続の悪さといったら。
昨日は結局諦めた。
他がダメでも、案外繋がるのだけども。
でもって、雪である。
本当に降った、降ってる、今も降ってる、積もってる。
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ゆうばえ、が二度出てくる。 最初のゆうばえは、その日の夕方に無数の鳥を見た、というさらりとした驚きを表現している。 二度目のゆうばえは、鳥の生態を知り、その数と彼等を生かしている土地の 広さ豊かさへの感動も加わり、一層深い理解のもとに使用されている。 下の句は、説明的に思えるが、鳥についての説明ではない。 作者の深い感動の源泉をのみ説明している。 と思うがどうだろうか。
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何だか知らないが、雪って言葉がテレビから聞こえて仰天して振り向いたら
ほんとに雪マークがついていて、どっとくたびれる。
飽きた。
花が見たい。
クロッカスが、函館で咲いているらしい。
もう少しだ。もうすぐ春だ。
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今日も、心臓の病院へ。
相変わらず混んでいて、一日シゴトとなる。
でもねこぞが一緒に来てくれて
手術しますって言ったのから大前進、大収穫、と褒めてくれる。
ありがたい〜〜〜〜〜。
私の頭には「徒労」の文字がくっきりはっきり浮かんでいたのだが
少し救われる。
来週は、内科。再来週、また心臓外科。
でもって、ようやく手術の日程が決まる。といいな。
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