天国の扉
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2006年11月27日(月)




手術は13時からの予定だったものが、時間より30分早く始められ、終わったのが17時過ぎだった。
実質3時間9分。前後に麻酔をかけたりさましたりの時間があるので、この時間になったらしい。
手術室の前まで見送りに行って、じっと病室で帰りを待っていた。

終了後、先生からの説明。
患部は綺麗に切除できたとのこと。
視認できるリンパへの転移は見られなかったとのこと。
話を聞きながら、嬉しいのと、ホッとしたのとで、泣いてしまった。
こんなおばさんに泣かれて、先生も迷惑だっただろうと思う。

手術日から4日間、泊まり込んで看病をする。
最初は2泊で帰る予定だったのだけれど、微熱が気になり、1泊延ばした。
泊まりの間は朝晩と、主人の実家、私の実家へと定期的に電話連絡を入れていた。
子供のことでよっぱら義母に愚痴られる。そういうことを話すより、早く病室に戻って主人の傍についていたいのに。

傷よりも腸の動きが痛いと言う。
代わってあげられたらいいのにね。
早く良くなるからと、一生懸命に歩く。歩くと血圧も体温もあがっている。
休み休みでいいんだよ、ゆっくりでいいんだよ、と横から口を出してしまう。
経過は今のところ順調。

帰りがけに携帯で写真をパチリ。
息子を実家に迎えに行く。
携帯の画像を見せたら、義母も「顔色もいいし、元気そうだ」と喜んでくれた。
ビールを勧められたけれど、丁寧に辞退して、子供と一緒に帰宅。

たまった子供と自分の洗濯物を洗濯機に放り込んで、回している間に、私の実家に電話。電話後、いつの間にかまた寝てしまっていた。
これからお風呂に入る。その後、軽く仕事。
取引先で、私以外でやれる人がないため、寝る前になんとしてもこれだけはしてしまわなければ。迷惑は掛けられない。それでなくても仕事を休んでいるのだ。

2006年11月24日(金)




入院3日目。朝、なかなか起きられなかった。
私が看護についている間、子供は実家にいく。
そのための着替えやら何やらを持って、自転車で実家に。
実家は駅から近いので、駅で待ち合わせをすることにして、私も行く準備。
バスタオルやタオルケットの補充をしなくちゃ……タオルケットは家にあるのを洗濯していたのだけど、結局乾かなかった。
朝一で、仕事の件で、友達が来る。結局、友達が買い物→駅と乗せていってくれることになった。ありがたい。

駅で待ち合わせ、子供を連れて電車に乗る。
往復の交通手段やバス停などがちょっとややこしいので、覚えてもらうためもある。何かあったら、この子は自力で来なきゃいけないかもしれないから。
駅ビルの本屋で「ふたつのスピカ」「鋼の錬金術師」の最新刊を購入する。
面会時間の開始ちょうどくらいに病院へ着く。

主人は今日から絶食。栄養補給のための点滴が痛々しい。
やはり3リットルの下剤を2回飲むのは珍しいことらしい。
いろんな人にさんざん言われたと苦笑いしていた。
私からは「下剤を二度飲む男」という二つ名を進呈して差し上げた。
ちょっと笑いが漏れる。
子供はおばあちゃんのところでお昼をよばれてきていたが、私はまだだったので、子供を連れて最上階の食堂へ。二人で一人前のエビフライ定食を食べる。
ラウンジや図書館を案内して「すごいでしょ?」と話す。
病室に戻ると、主人は持ってきたマンガを読み終えたところだった。
「読みたかったでしょ?」
と話したら、
「最新刊出てたんだね」
と笑みが漏れる。

30分も経たないうちに子供が飽きてきて、「何時に帰るの? 帰りたい」と言い始める。
中学生にもなって……。情けない。少し喧嘩する。
主人は苦笑い。たぶん、同室の人みんなに聞かれた。恥ずかしい。
主人の携帯が鳴る。通話の着信。病室では話せないので、三人で、階の面会室兼食堂へ。
そこで、また子供を叱る。主人が折り返しの電話をしていると、もう下まで到着しているとのこと。
食堂にいたら、主人の同僚の方がいらっしゃった。入院に際し、保証人にもなって下さった方だ。軽く挨拶を交わし、主人と、同僚の方は病室へ。
子供と二人で、食堂に残り、またお小言の続き。いろいろと言い聞かせる。
いつまでも食堂にいるわけにはいかないので、病室にいったん寄って、子供を下の売店に連れて行く、と伝え、売店へ。
飲み物を買って、飲んでいたら、同僚の方が「お邪魔しました。お大事にどうぞ」と挨拶をされて帰られた。
このまま病室に戻っても、またすぐにこの子は飽きてくるだろうなと思ったので、病院中を連れ回してみることに。
外来玄関や、前にこの子が入院していた旧棟などを見て回る。
正直、足の裏のマメが痛い。
一通り回って、病室に帰り、またしばらく主人とおしゃべり。
お茶を汲んだり、脚をさすったり、点滴していない右手をマッサージしたり、ずっと手を握ったり。
そんなことしかできないのが辛い。

明日は早い時間から来て欲しい、と主人に言われる。
出来るだけ早く来るよ、と答えたものの、朝は自信なし。
頑張って起きなくちゃ。

17時、病院を出る。
駅で夕飯を済ませ、電車に乗り込む。駅からはまたタクシーで自宅へ。
主人と携帯メールをしているうちに、また少し眠ってしまった。
0時前に起き出して、茶碗の片付け、洗濯、入浴、足のマメの治療、明日行く準備をして、今に至る。

明日の午後にはいよいよ手術。そして、3日間の泊まり込み看護の開始。
神様、どうぞ無事に終わりますように。

2006年11月22日(水)




火曜日、いよいよ入院。雨の天気予報だったのに、朝から晴天。
なんとなく嬉しい。
朝、友達にお願いして、病院まで車を出してもらう。
彼女にはいろいろとお世話になりっぱなしで、足を向けて眠れない。
病棟へ行くと、改築したばかりで、ものすごく綺麗。
まるでホテル並みの病室。4人部屋だけれども、十分の広さがある。
暗い表情だった主人も少しは気が晴れたみたいだ。
8階のため、ビルの間から、海も見える。夜になると、きっと夜景が綺麗。

入院まで間がないため、バタバタと検査が入ってくる。
CTの再検査に、麻酔科の説明。
CTは、前の病院でのものが不十分だったため、撮り直し。

ご飯は昼からついていた。量が少ないから、物足りなさそう。
検査が終わってしまうとやることがないので、二人で病院探検。
最上階の12階は、ラウンジやレストランがある。
その上、図書館まである。
冊数は少ないけれども、海が良く見える。テレビカードを持っていくと、インターネットも出来る。
以前、子供の手術の時や義父が入院していたときと段違いで、本当にびっくりした。
ただし、喫煙所がない(T-T)
外来玄関の外のほんの小さな一角に喫煙所を発見。病室からはかなり離れる。
煙草を吸いながら、取引先からの入金がまだのため、確認のメールや電話をしておく。主人の実家にも電話。
夕飯食べ終わるのを見届け、病院を出る。

ひさびさに来たために、バス停で迷う。
大通りに出て、通りの左右にバス停が見えたため、左に歩いていくと、駅行きのバス停じゃなかった。戻ってみると、右側が駅行き。この2箇所のバス停はかなりの間隔があり、足の裏にマメができてしまった。日頃の運動不足がたたっている。
駅ビルに入っているスーパーでお総菜を何点か購入して、電車に乗る。駅からタクシーで自宅へ。時間は9時近い。
子供に夕飯を食べさせ、私もお総菜を少しつまむ。あまり食欲はない。
お風呂に入ろうと思いつつ、食後、いつの間にか寝てしまっていた。
23時、取引先の友達から電話。
振り込みは必ず社長に明日させるという話と、仕事の現状と、来年からの展開をいろいろ話す。

水曜。入院2日目。
朝8時過ぎから、道路工事前の家屋調査。わが家は借家だから、大家さんの手前、入ってもらわないとまずいのだ。
2時間ほどで終わるという話だったが、昼頃までかかってしまった。
ちらかっている部屋に通すのは、とっても恥ずかしかった。
10時過ぎからあいにくの雨。
駅へは歩いていくか……と思っていたら、友達から携帯メール。駅まで乗せていってくれるとのこと。ほんとうにありがたい。
病院へ着くと、今日は内視鏡の検査だったとのこと。朝から下剤3リットル飲んだって。
ガン本体以外にも、小さなポリープが2つ見つかり、切除したとのこと。
前の病院では発見できなかったものだ。
「やっぱり転院してよかったね」
何度も二人でよかった、よかったと繰り返す。
16時にお風呂を予約したとのことで、入浴中に、入金を確認に行ってくる。
やっと入金されていた。家賃の振り込み、その他を病院内のATMですませ、ほっと一安心。また喫煙所で一服しながら、お礼のメールを入れておいた。
17時、主治医の先生から具体的な病状説明、手術の術式説明、その他、こまごまとした説明や書類へのサインがある。
病名、直腸ガン。現在のところ、ステージは2。抗ガン剤の投与は細胞検査の結果、ステージが3だと分かった場合のみとのこと。リンパ節も切除するので、その部分も含めて、腸は30�僂曚廟擇蠅箸襦D欧鯔イす腓錣擦襪里法▲船織鸚修寮楾臧瑤鬚弔韻襪箸里海函�人体には無害なので安心して欲しいと言われた。
手術まで絶食か、夕飯を食べて、また明日3リットルの下剤を飲むかと言われ、主人は迷わず下剤を選んだ。そういう人は珍しいらしい。たしかに私だったら迷わず絶食を選ぶ。
今日も夕食を食べ終わるまで一緒にいてから、病院を出る。昨日より時間は遅い。
子供に電話を入れるのを忘れていたので、歩きながら電話。
バス・電車と今日はスムーズに乗りつげた。駅から出ると雨。駅前のコンビニで、少しお総菜を購入して、昨日と同じくらいの時間にタクシーで帰宅。
ご飯は予約でしかけておいたので、2人で夕食。洗濯機を回しておく。
またその後寝てしまう。
0時過ぎに起き出し、お風呂と2回目の洗濯。洗濯機が止まるのを待っている間に日記を書く。

明日は子供を連れて、病院へ行く。
タオルケットと、また何枚かバスタオルを用意しなくちゃいけない。
入院前に完璧に準備したつもりでも、やはり実際にしてみるといろいろと勝手が違ってくる。
そろそろ寝なきゃ。

2006年11月16日(木)




昨日眠れなかった分、ぐっすりと10時まで寝てしまっていた。
それから午前中は、あちこちに電話。

近々道路工事が始まるので、その家屋調査の手配。
手術の日程に合わせて、新聞と郵便を止める手配。
郵便は直に行って書類を書かないと止められないそうだ。あとまわし。
取引先にも電話。
入院・手術の日程を伝え、これからの仕事を休ませてもらえるように段取り。
「わかった。復帰できる状態になったら電話下さい」
年末進行のこの時期に、迷惑かけて申し訳ないけれど、なんとか年末年始の休みには仕事が出来る状態に持っていくからね、と電話を切る。

お昼に子供が帰ってきた。
今日は期末テストの初日で給食がなかったのだ。
しまった。お昼ご飯に何も用意をしていない。
食材はあるのだけれど、作る気力がない。
お金を渡して、子供にコンビニで何か買ってきてくれるように頼む。
一緒におにぎりとサンドイッチをほおばる。

午後からは、昨日買ったお菓子を持って、友達のところに、入院日、車を出してもらえるようにお願いに行く。
スケジュールが固まったことを話しているうちに、不覚にも泣いてしまった。申し訳ない。謝りながら、涙を必死に止める。
その後、入院のための品物の買い物。
あいにくの雨の中、歩きで雑貨屋に向かう。歩いてる最中も出て来る涙をぬぐいながら、情けなく思う。
入院中に使うスプーンやフォーク、箸に箸箱。蓋付きのマグカップ。洗面器を100円ショップで購入。私が帝王切開を受けたときには、食事の時のスプーンの金属の味がとても嫌だったので、スプーンは金属のものと竹製のもの、陶製のものをそれぞれ準備。
銀行で、先月分の仕事の入金確認。まだ入金されてなかったorz
仕方がないので、生活費の口座からおろす。
買い物途中、通りがかりのスーパーでボジョレー・ヌーボだったんだなと思う。
毎年、二人で味わっていたボジョレー。買いたかったけれど、荷物がありすぎるから購入を控えた。
その後、ドラッグストアでハブラシセット、シャンプーセット、ウェットティッシュなどを購入。
最後に衣料品店を回って、下着代わりのTシャツ、ボクサーブリーフ、靴下、バスタオル、枕の下に敷く大判のバスタオル、タオルを数枚ずつ購入。
ついでに子供の下着と靴下も買う。
今日だけで2万ちかくの支出。
早く入金がありますように(>_<)

そういうことをしている間に、携帯に友達からmailが入る。
皆それぞれに心配してくれている。
そんなふうに心配を掛けてしまうから、内緒にしていたのに、取引先にいる友達から話を聞いたらしい。
あのおしゃべりめ……と思いながらも、口止めをちゃんとしておかなかったことにちょっと後悔しつつ、皆の思いやりに感謝する。

あまりに荷物が多くなりすぎて、帰りはタクシーで帰ってきた。
帰宅後、少し眠る。

主人が実家を回ってから帰ってきた。
入院前に実家の義母のために食材の買い出しに付き合ってきたのだ。
「これ、あったから」
とボジョレーを買ってきてくれた。考えることがいつも一緒だ。
「なぜかわからないけど、グラス2個つけてくれたよ」
急きょ、夕食をワインに合うメニューに変更して、2人でもらったグラスを使って楽しむ。
食後、また眠ってしまった。

人の親切がものすごく身にしみる。
たくさんの買い物袋をかかえていたのを見かねて、まとめますか? と大きな袋に入れてくれた衣料品店のお姉さん。
大きな荷物を気遣ってくれたタクシーの運転手さん。
ワイングラスを2つサービスしてくれたお店の人。
快く入院日のドライバー役を引き受けてくれた友達。
mailで一生懸命はげまし、なぐさめてくれる友達。
みんな、みんな、ありがとう。

2006年11月15日(水)




月曜日、二人で検査の結果を聞きに行く。
やはり大腸ガン。正確には直腸ガン。
直腸とS字結腸の境目あたりに腫瘍があるらしい。
CT・バリウムなどの検査結果により、目に見える転移はないとのこと。
「ほかはきれいなものですよ」
それを聞いてちょっと安心できた。
ただし、ステージは2もしくは3。
3じゃなきゃいいんだけど……。いや、でも4でないだけマシ。
主人が腹腔鏡手術の話を持ちだす。
主治医が「ここでは腹腔鏡はやってないので、どうしてもということであれば紹介状を書きます」と言ってくれる。
スムーズに大学病院への転院が決まった。

火曜日、ぐずついた天気の中、午前中に紹介状を取りに行く。
午後からはかなりの雨脚だった。
午前中に行っておいてよかった。
主人は、水曜に会社を休む段取りをしてきた。

そして、今日、水曜日。夕べはほとんど眠れなかった。
紹介状と検査結果の入った大きな袋をもって、朝も7時前から家を出発。
診療受付時間の8時半よりかなり早く大学病院へ到着する。
紹介状は検査結果の大きな袋に入っていて、どこが宛先だかわからない。
とりあえず内科で初診を申し込んでみたら、宛先は外科だった。
内科から外科にまわされ、12時近くまで、延々とまたされる。
その後初診の問診。
入院や手術の具体的日程が示される。今のスケジュールだと12月の末か、1月の頭しか空いていないとのこと。
「できるだけ早い方が……」
と言ってみたら、
「あ、ちょっと待って。もしかして、この時間のキャンセルが出てるから、ここに入れるならば……。来週すぐ入院ということになりますが」
来週早々と聞いて、主人が入院をしぶる。
私も、それはあまりにいきなりの話だと思って、一瞬躊躇した。
一通り問診が終わり、1月頭の日程を考えにおいて、診察を待つ。

いや、でも、ちょっと待てよ。
今のところ、転移は見られないにしても、一刻を争う病気ではないのか?
患部をできるだけ早く取ってしまった方が、安心なのではないか?
そんな考えが頭をよぎり、主人に話す。
「仕事の引継ぎとか段取りが……」
仕事のことなんて、元気になれば、いくらでも取り返せる。
これはきっと何かの導きに違いないんだから。
こんなタイミングでキャンセルがあるなんて、奇跡的なんだから。
待合室で主人を説得した。
何より、このタイミングで手術が出来れば、お正月休みが明けると同時に仕事復帰だって可能じゃないか。
年末年始は家族みんなで過ごすことだってできるじゃないか。
考える時間が長いより、切ってもらった方が絶対いいよ。
「心の準備をする時間が欲しかったんだけど」
と言いながら、主人も納得してくれた。
気持ちはとてもよくわかる。でも、やっぱり早い方がいい。

名前を呼ばれて診察室へ入る。
再度、病状について詳しく説明を受ける。今度の主治医の説明は、とても納得できるものだった。
転移がない場合、5年生存率80%。あった場合、70%。
取り除いた細胞の検査結果によっては抗ガン剤治療などに移行する可能性もあるそうだ。どうか、転移してませんように。
主人が気にしていた人工肛門の問題も、位置的にはまったく必要がないことが分かる。
この大学病院での腹腔鏡手術は症例的にまだ数が少なく、身体にかかる負担も開腹に比べてもそれほど差はないと説明される。
入院期間はどちらも同じ。だったら、なおさら……。
結局、開腹手術にすることに決めた。そして来週入院と話はどんどんと進んでいく。
やはりこれは何かの導きなのだ、と思った。
最初に問診をしてくれた医師と、再度、具体的なスケジュールを話し合い、その後、入院前検査。
結局終わったのは2時を回った頃だった。

「お腹空いたね」
と言いながら、デパートのレストランに向かい、2人でランチ。
前に2人で食べて、とてもおいしかった中華のセットメニューを頼む。
その後、「今年は贈るのやめておこうか?」と話していたお歳暮を「いや、やっぱり、こういうときこそきちんと義理を通さないと」ということで、選びに行く。
早期受けたまりは、なんと今日からだった。
これも不思議な巡り合わせ。

帰り道、明日主人が一人で行く予定だった実家に、二人で報告に行く。
義母も心配そうな顔をしていたが、とんとん拍子に日程が決まったことに喜んでくれた。手術後、数日、子供をあずかっていただくことと、くれぐれも子供には病状に関しては内緒にして欲しいということをお願いして、早々に帰宅する。

あとは入院準備。
手術本番を待つだけ。

がんばれ、パパ!
がんばれ、私!

ガンなんかに絶対負けるもんか。

2006年11月11日(土)




今週末は、めずらしく主人が土日2連休。
身体のこともあるからだろう。

「やっぱり不安なんだ」
主人から思わずこぼれる言葉。
「お前も不安だろうけど。ごめんな」
私のことなんか気遣わなくてもいいのに。
言われて泣きそうになる。
でも、泣かない。泣いちゃいけない。
「ちっとも不安じゃないよ。大丈夫だよ」
と返す。普通に、普通に。不安を煽っちゃいけない。
……ほんとは不安に押しつぶされそう。
一人で日記に書いてる今、思い出したら、また涙が出て来た。

「病院、変えようかと思う」
昨日はいきなりそういう話をはじめた。会社で医療スタッフに相談したらしい。
私も転院には大賛成。ただ、手術まで、また時間がかかるのが気になる。

今の病院は、歩いても行けるくらいの距離で通院には便利だろうけど、主治医が私の胆石の治療と同じ先生で、私が入院したとき、あまりにもひどい扱いを受けたのだ。
カンファもまともにやってもらえず、始終「手術」と言われていた。痛み止めで胆嚢炎の痛みがとまったあとは何事もなく、さっさと退院したかったのに、検査検査で長引き、結果、院内で風邪に感染。さらに入院が延長。39度以上の熱発が3日続いていたのに、解熱剤の処方もなく、ほうっておかれた。
言うことも、毎回、二転三転していた。その時、手術を拒否して既に5年。今でも胆石はあるけれど、普通に生活できている。
あの先生が主治医と聞いた時、とにかく嫌だと思っていた。

「がんセンターか、大学付属か。どっちかに紹介状書いてもらえれば……」
遠くても、ちっともかまわない。私、一生懸命通うもの。
完全看護じゃなきゃ、ずっと泊まり込むつもりだったし。
とにかく安心して治療が出来る病院にしてほしい。

2006年11月08日(水)




1週間も過ぎると、さすがに状況にも慣れてくる。
それでも思い出しては何回も泣いた。
頭の中をグルグルと「どうして?」が繰り返す。

そのたびに
「絶対に元気になって帰ってきてもらう」
「私が泣いてても、病気は治らない」
そう言い聞かせながら時を過ごす。
子供の存在が何よりもありがたい。
具体的な話は何もしていないから、子供がいる間は泣いてられない。
いつもどおりの生活をする。


先週と今週で追加の検査が3回。
どうか間違いであってくれますようにと主人を送り出す。

mixiコミュで見かけた免疫抑制を高める天然ジュースを買ってみる。
気休め程度だけど、毎日少量でも飲む事を主人に勧める。
食事も消化のよいものを中心に、主人の好きなメニューを作る。
検査前の絶食(病院で渡されたセットのお粥とかを食べる)は辛そうだった。
「病院のお金がいっぱいかかって悪いな……」なんて言わないで欲しい。
元気になるためなら、いくらかかってもかまわないんだから。


検査の結果は来週の月曜日。
二人で聞きに行く。
これからの具体的な日程が決まってくる。
内視鏡で手術できたらどんなにいいだろう。
せめて腹腔鏡……身体に負担がかからない手術の方がいい。
絶対に転移はありませんように……。今はただそう祈り続ける。



      

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