凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2012年03月29日(木)

夫が仕事で失敗して降格、減給処分になった。
毎月の収入が五万減る。
「今の会社は居られてあと一年ってとこかもしれない」という。

やっぱり、私が夫に感じている夫の欠点は、会社の人も感じているのかもしれない。
仕事の上ではそうではないのだろう、と自分に言い聞かせていたけれど。

言葉と実行が伴わない。
口程に実力が無い。
自分の失敗に気がつかない。
自分がした事を覚えていないで他人のせいにする。
何がアクシデントがあると、まず他人の仕業と思い込み、周囲を疑う。
何があっても自分に非は絶対ないと信じて疑わない。

それは家庭の中でだけだと思いたかった。
会社でもやっぱりそうだったんだろう。

「冤罪って感じなんだけど」
「こっちの言い分は山ほどあるんだけど」

夫の言葉に、いや、職場の人は、もっと言いたい事が山ほどあるだろうと思う。
思いながらも、反論しても頭から「オレの言い分を聞いてくれない」と他人の意見を受け付けないので、黙って聞くだけにしておく。


夫の唯一の取り得というか、ただひとつの世間の夫並みだった「経済力」という項目が消えつつある。
いや、もう消えたのか?

この男と家庭という形態を続けていく理由は
もうただ子どもをちゃんと成人するまで育てる事、という事一点のみ。
子どもがいなければ、とっくに別れているだろう。
この鎹がある事が幸福なのか不幸なのか。
分からないけれど、鎹達を不幸にしてはいけないと思う。

生きるってなんだろう。なんて
中学生みたいな事を胃の辺りに重さを感じながらぼんやり思う。


2012年02月21日(火)

昨日のテレビはずっと例の死刑判決のニュース一色だった。新聞も。

アイが生まれた年。
生まれて間もないアイと、二人でこのニュースを見ていた。
こんな小さな生き物を、床に投げつけて首を絞めて殺し、押入れに押し込んだのか。
傍らでふにゃふにゃ動いているアイを見ながら、信じられない思いだった。

「我が子を、殺される」
その恐怖を、親になって初めて実感する事になった事件。

普通に、夫を仕事に送り出し、子どもと二人でいつもの日常を送っていた。
その何気ない時間が、突然


13年。
今日もアイは制服を着て「いってきます」と学校へ行った。
平凡な、いつもの時間。
この時間を過ごせるありがたさ。
この時間を過ごせなかった被害者の方々の無念さ。


個人的には死刑賛成。
被害者はその前途をすべて奪われたのに
加害者だけ、更生の予知を与えるなんて意味がわからない。
人生をやり直させる機会をどうして殺した人に与えるの。
殺された方はやり直しも何も出来ないのに。
誰も救ってくれないのに。
どうして加害者にだけ、皆、救いの道を模索してあげるの。
やったもん勝ち、やられたもんの一方的負け。
意味わからない。ほんと。





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