皇帝の日記
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2001年12月24日(月) 乾燥してるね

前に朝廷だかどこだかで松坂大輔にそっくりな韓国人がいると書いたことがある。
あの彼、韓国人曰く、韓国の国民的大スター、ウォンビンという人の声にそっくりなのだそうな。
そのせいで、毎日せっせと面識も無い韓国人女性達から電話がかかってくるらしい。

松島奈々子に似た韓国人もいる。
日本人の女の子の中にも、韓国人女優の何とかに似ている人がいるらしい。
事務室のおじさんは風船おじさんに似ていると思う。

そうなると、自分もどこかの国の誰かにこっそり似ている可能性が出てくるわけだ。
自分も知らない間に。

そういえば学部の先輩に、どっかの山で生贄になって殺された少女のミイラにそっくりな女性がいた。
お元気だろうか。


2001年12月23日(日) そっくりな中国人に会った

以前の担当の先生を、瞬きしないで生徒を凝視することから「トカゲ先生」と呼んでいたことを覚えておられるだろうか。
あの先生、別の生徒に「猫目先生」と呼ばれていた。

なんかそんな感じだ。


2001年12月20日(木) バカボンのパパの名前を知らない

結局彼女とは全部中国語で話した。
唯一彼女が発した日本語は

「時間、まじでやばいのだ」

スラングまで入った高等な日本語だが、難易度が高いわりに失敗度も高いのはなぜだろうか。
ってかそれは文語か口語か。

時間がまじでやばかったので、彼女はタクシーを使って上海駅まで行った。
後は汽車に三十時間揺られて吉林に帰るのだ。

三十時間。

アメリカに飛行機で行って帰って成田から東京に出れるくらいの余裕がある。
横浜のうちから高田馬場の学校まで八往復して太極拳を3セットするくらいの時間だ。
もっと身近に言えば、三分インスタントラーメンが600個作れるのだ。

作らないが。


2001年12月18日(火) 朝起きれないんです

中国に持ってくる靴下には、ある条件を設けて選択した。

そろそろ寿命が来そうな奴。

そして、帰国時には捨てて帰ろうとしていたのだ。
そうして選ばれしモノのたちは、予想をはるかに上回るピッチで寿命がすでにつき始めている。
三足ゴムが伸びきり、三足穴があき、一足は洗濯にだしたっきり帰ってこない。
その代わりに明らかに男物と思しき巨大なTシャツが増えている。
この寮のどこかに、Tシャツが帰ってこないで、靴下が一本増えている男がいるのだ。
洗濯おばちゃんのささやかな自己主張。
ともかく、残りの冬をこの満身創痍の靴下達でどう乗り切ろうか。

話は変わるが、昨日日本で中国語と日本語のラングェッジ・エクスチェンジをしていた、吉林の子が電話をかけてきて、今私の学校の中国人学生エリアにいるとのこと。すっかり日本語のレベルが下がって、全ての口調が「〜のだ」になっていた。
「やはりこの大学の大学院に行きたいと思っているのだ」
「でも吉林には上海の情報は入ってこないのだ」
「だから情報を集めにきたのだ」
バカボンのパパなのだ。

明日会う。楽しみだ。


2001年12月16日(日) 朝廷でお知らせ

大根を育てている。
葉のほうを多めに切って、茶碗に水を張って入れておくのだ。

もう三回も花が咲いた。

友達にこの話をしたら、彼女もにんにくを育てているとのこと。
留学生の心の支え。
ペット。
植物でも。


2001年12月14日(金) ついに氷点下です

前日、習慣化しているモノを列挙したが、そういえば学校のトイレは溝である。
他に形容の仕様が無いが、したものはそのまま残っているし、流したとしても、それはそのまま後方の個室の方へ押し流されるだけである。

俺の物はおまえの物、おまえの物は俺の物。

そんな感じ。

おかしいだろうか。


2001年12月13日(木) 風邪、駄目ですね

四ヶ月近くいると、感激が薄くなっていけないと思う。
このところの日記も、何かに驚いたり発見したりと言う記述が頓に減っている。
あたりまえに感じられるものにも、何かおかしなところはないだろうか。

雨の日にビニール袋をすっぽりかぶり、首に紐を巻いて自転車をこいでいるおっさん。
日本食をうたう店で焼き鳥を頼んだら、鳥が一匹頭から尻まで串刺しで出てきた。
中国人のほぼ十人に一人は鼻歌を歌っている。
手鼻をかむ。
タンを吐く。
ルームメートはまだ半そでだ。

とりあえず目に映るものを挙げてみたが、そんな日常。
おかしいだろうか。
もうよくわからない。


2001年12月12日(水) 風邪、良くないですね

韓国語で実験をしていると書いたが、最早語彙は七十語に至り、もしこのまま中国語より上手になってしまったら、それはそれで少しむなしい気がしてきた。

とにかく具合が面白いほど悪いので寝ようかと思う。

あ、でも今日は学校行ってから。


2001年12月10日(月) まだ咳出ますが

先頃おじの家から帰るとき、近頃上海に出没し始めた、七人乗りのタクシーに乗った。
特殊車種に乗っている選ばれた運転手だけに、愛想も良い。
頼んでもいないのに上海語のレクチャーをしてくれ、果ては中国の成り立ちまで教えてくれた。

月末に両親が来るからこの種の車をチャーターできるか?と聞いたら、各観光地の見所まで教えてくれた。

寮についてもまだ話しまくっていたら、49元だったメーターが50元に上がった。

新しいタイプのぼったくりだろうか。
でも一元。


2001年12月09日(日) 風邪ひいてる

前の風邪が回復していないうちに次の風邪。

ところで自転車が壊れた。完膚なきまでに。
修理代は9元。
チェーンを覆っているカバーが折れ、チェーンに刺さって動かなくなったのだ。
あれはチェーンを保護するものではなかったのか。
っていゆうかいらないだろ、それなら。
しかしカバーが折れるほどの衝撃を今まで吸収していたというのなら、それはそれで役に立っていると言うのか?

疑問系のまま終わる。


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