皇帝の日記
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2002年03月03日(日) ストーブ燃えた

燃えるのは二回目ともなれば、もはや対応もなれたもの。
小型の電気ストーブなのだけれど、十時間ぐらいぶっ続けで使っていると、プラスチックの素材が熱に耐え切れなくなるらしくて発火する。

もう一つ、大型のストーブも有るが、それは電気を食いすぎて、使用すると家のブレーカーが落ちてしまうので使えない。

こうなってくると、日本製の電化製品が優秀だのなんだのと言う問題ではない気がする。

使えるものを作れと言うことだ。要は。


2002年03月02日(土) 病に倒れる

料理に熱心だったことはお話した。
その料理も、コンソメスープ、雑煮、餃子と徐々にレパートリーを無理やり増やしていく中で、伯父から貰い受けた急須やフライパンが割れたり砕け散ったりと、物理的被害が相次ぎ、ついに事故がおきてしまった。

皇帝手ずからのお菜を頂戴したアメリカ人がウィルスに感染し、病院に担ぎ込まれてしまったのだ。

原因は、何らかの経路で上海の水が体内に入りこんだらしい。
38度の発熱に激しい下痢といった症状。

皇帝が考えるに、外は焦げ上がるほどにカリカリなのに、中はしっとりと凍っていた餃子が問題なのではないかと踏んでいる。

もちろん国際関係にひびが入るので内緒だ。


2002年02月28日(木) 学校行ってますが

先生の出す五つの単語を組み合わせて百字程度の文章を作る訓練とかしたりしているが、今日の課題単語は

「ナイフ」「便器」「飛行場」「愛人」「パソコン」

なんだそりゃ。コントでも作れと言うのか。
そう思いながら久しく開けていないノートを開いたら、欄外の隅っこに

「隠れん坊将軍」

と書いてあり、下にそれらしい絵が書きなぐってあった。
犯人は先学期の自分だ。
このノートはネタ帳か。


2002年02月27日(水) 学校始まった

中国のファッション雑誌にトライしてみた。
なかなか内容は充実。
日本のファッション雑誌のように、単なる服や化粧品のカタログと化した購買意欲促進雑誌ではない所が面白い。
日本の雑誌も、ちょっと原点に帰ってみたらいいと思う。

中でも、「お金のない人のためのおしゃれ」という、日本でもノンノとかでやってそうな特集の内容は、涙なしでは語れないものとなっている。
安い化粧品とか、低価格で使える洋服とかの紹介ではない。

使い古しのセーターの袖を切って、リストバンドを作ってみよう!!

とかだ。

漂白剤でジーンズに絵を書くのは少しやってみたい気がする。
アクリル絵の具でベルトにアルファベットを書きなぐっている作品例もなかなか良い。
「PARI$」とか。何語?みたいなところが良い。
そして、どの作品も下のあたりに小さく、

「やる前に、お父さんお母さんの承諾を得てからにしましょう」

と書いてあるところも二重丸。

ドリュー・バリモアの10年間の顔の変化表とか、骨髄バンク登録のHOW TOとか、万里の長城の穴場スポットとか。
もう充実の内容。

雑誌の名前は「青春一族」。
恥ずかしくもなく来月も買ってみよう。


2002年02月25日(月) 明日から学校

近頃きちんと料理をしている。
おすいものとかそうめんとか作ってみている。
明日のお昼は、いよいよ大物のシチューに挑戦だ。
近頃の報告は牧歌的な内容だと思ってみた。

そういえばここのアパートの隣の会社、今までは何気なく素通りしてきたが、本日じっくりと社名を読んでみるところによると、

上海孵化進駐企業公司

知らないうちに隣の敷地で何かが次々と孵化していたらしい。
なんだろう。
昨日の公園では白蛇の卵が一個10元で売られていたが。

まさか。


2002年02月24日(日) 花粉に脳をやられた

今日は大変に天気がよく、春めいた気候に心浮き足立って、和平公園と言うところに行ってみた。
ガイドブックには載らないくらい小さな公園で、地図を見ながら全く期待しないで行ってみた。

すいません。甘く見てました。

すごい。いろんな意味で。

ボートに乗れるし、もちろん足こぎアヒルボートも有る。
ミニ動物園が有って、虎、ライオン、豹、さる山、孔雀が見れる。
人民が大人気なく凧を上げる姿が見れる。
釣りも出来る。金魚も釣れる。
ミニ遊園地が有って、ジェットコ−スターまで乗れる。ゴーカートは古いながらも結構走るし。
奇形動物を売り物にしたもう日本では見られないだろう見世物小屋も常設されていて、足のいっぱいあるアヒルとかいるのには驚き。
人民の憩いのためには動物愛護も二の次三の次。
長津田の子供の国(ローカル)よりもある意味充実した内容。

これらの設備が、たったの十円ほどで楽しめて、下手な観光地に行くよりずっと手軽に遊べるのだ。

そういえば、北京から帰ってからこっち、実はルームメートがパグの子犬を飼い始めていて、こいつも一緒に行った。
タクシーだろうが公園だろうが、どこにつれて入っても何も言われない。
バリアフリー。

もしかしたら食用と思われているかもしれない。


2002年02月23日(土) 花粉のこと

眼が痒くて鼻水が止まらない。

未だ氷の世界に閉じ込められている北京と違い、早くも青葉芽吹くこの上海。
もう花粉がぶいぶい。

年末に母が持ってきてくれたアレルギーの薬。説明書曰く、
「まれに脳出血の恐れがあります」

脳出血を治す薬の副作用で鼻炎になっても良いが、その逆は嫌だ。

だからまだ飲んでない。
もっとひどくなって、脳出血の方がましだと思えるくらいになったら飲もうと思う。


2002年02月22日(金) 旅のこと3

そんなわけで北京に一泊足止めを食らうことになった。
旅も長引き疲れたところなので、温泉が地下にわいているというホテルを取ってみたりした。
温泉にじっくり浸かって、その翌日の夜六時に夜汽車で上海に帰るという寸法なのだ。

またしても北京で一日観光できる時間があいてしまった。
しかしここで偉大な皇帝の驚異的記憶力が叫んだ。
そう、毛沢東記念館が18日に臨時開館するという張り紙を思いだしたのだ。
ビバ自分。

そんなわけで翌日朝からホテルのフロントに荷物を預け、天安門広場に直行したのだ。おりしもホテルは天安門の真横。
ブラボー自分。
自分大好き。

しかし、ここにも人民の罠が張り巡らされていようとは。

なんと一kmにもおよぶ長い暇な北京人の列が。
むむむ。
しかし念願の毛沢東の死体が拝めるのである。
今拝まなかったら次来るころには政権が交代して燃えるゴミの火に出されてしまうかもしれない。
決死の覚悟で並んでみたが、後一歩と言うところで公安に呼び止められた。
外国人に対するボディーチェックである。
問題になるものはないと思っていたが、使い終わった使い捨てカメラが引っかかった。
これを預かり所とやらに預けないことには入場できないという。
預かり所まで300mくらいある。
まあ観念して行ってみると、なにかのチケットが必要で、また入り口に帰ってもらえという。
しかもこの預かり所もかなり並んでいる。

もういいです。

結局この日は自然博物館に行って、長江で採れたとかいう巨大な魚の標本や、恐竜の骨なんかを見て、いくつか寺を巡って帰った。

上海に帰ってからずっと花粉症。

(おしまひ)


2002年02月21日(木) 旅のこと2

北京から承徳へ行く六時間の電車は、切符売り場のおばちゃんに騙されて普通席へ。
北京駅西側切符売り場の一番ゲートのおばちゃんである。
誰か逮捕しろ。
二十元の切符を四十元で売りつけた。極悪非道な奴だ。
本当に北京はオリンピックをやる気があるのか。
などと怒りつつ極寒の地へ。

田舎でした。

寺とか寺とか寺とか、後は寺なんかがあったり。
寺しかなかった。
寺男は入場料を自分の酒代にしているので、チケットは貰えず、荒れ果てた寺の重要文化財の仏像の裏には、ビールの空き缶が山と積まれていた。
ついでに野ぐそがいっぱい。
世界最大の木造仏像もすっかり埃っぽくなっていた。

タクシーは、タクシー会社に上前をはねられるのが嫌なのか、どのタクシーもメーターを使わずに一律十元。

なんだかここの公共機関はどうなんでしょう。

乾隆帝は寺を立てるのが趣味だったのか、彼の建てた寺が山ほど有った。

皇帝の別荘の池は分厚い氷で覆われていて、スケートが出来るようになっていた。
スケートは椅子の足についていて、人民はその椅子に座って二本の鉄の棒で推進するのだ。
もちろんレンタルでやってみた。
結構面白かったが、氷の上にウマがうろうろしていて、当然彼らの排泄物もごろごろ落ちていて、さくさくスケートでその上を横切ってみたりした。
しかし排泄物の下の氷は、やや暖められて凹んでいるので、そこにスケートが嵌ってしまうことも。
寒いので匂いはしない。

この町一番の繁華街とやらにいってみたが、店はどこも閉まっていて、聞くところによると皆出稼ぎに出ているのだそうな。
それでも何もすることがないのか、残った人民達は閑散とした商店街をあてもなく行ったり来たりうろうろうろうろ歩いているのだ。

嫌だったのは、爆竹屋のおっさんは皆タバコを吸っていること。

ところで田舎なので、朝の五時から夜中二時まで、引っ切り無しにここかしこで爆竹をかまし、花火をがんがん打ち上げていた。
花火がいくら上がっても、誰も見ていない。
これぞ無駄。

チベット建築も大分見た。
もうチベットに行かなくてもいい。
満足だ。
ってか、なんでそんなに上に上に山に沿って寺をそびえ立たせるのか。
階段だらけで疲れるじゃないか。
ついでに寒いじゃないか。

そして帰りの切符がうまく買えず(切符は、北京上海などの主要駅から売りに出されるので、田舎に行くのは簡単だが帰ってくるのは難しい)北京でもう一泊足止めを食うことに。

田舎、侮りがたし。

(つづく)


2002年02月20日(水) 旅のこと1

最終目的地の承徳というところにいく前に、北京で一度乗り換えなければならないので、ついでに北京観光を二泊挟んでみた。
北京に行くのは三度目なので、とりあえず見損なっている西太后が愛したという庭、イ和園(漢字が出ません)と円明園。毛沢東の死体が置いてある毛沢東記念館に行こうと思っていた。

ところが、天安門広場周辺の施設はお正月休みで、毛沢東の死体は見ることが出来なかった。特別公開日は18日の午前中だけ。
仕方ないので庭へ。

円明園はイギリス軍とフランス軍に破壊された西洋風の建築物が、未だにほったらかしになっていることで有名だが、この庭も避暑地であり、冬に訪れるあほな観光客はまれで、しかも地元民や管理人達は裏門の正月祭りに夢中で誰もいないときている。
え?もちろんやりましたとも。ええ。

円明園の瓦礫。

お土産に一塊失敬しました。

ところで、夜にホテルで見たTVコマーシャルに、日本人のおっさんが
「わいは日本人、ハラキリや!!」
と言って腹巻のチャックを引くと、中から大量のキティちゃん人形が出てきて、
「ハ・・・ハロキリ(ハローキティ)!?」
と言うのがあった。

北京で心に残ったこと。

(つづく)


皇帝