皇帝の日記
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ペルー報告を一日お休みして、帰国までの流れを。 14日のフライトで成田直行便。 ただ、早くも飛行機会社から連絡があり、出発時間変更とのこと。 オン・タイムで飛行機に乗れた確率はかなり低い。 なんか悪いことしましたか?私は。
パソコンなくされた会社で飛ぶ。 ちなみに、パソは発見不可能なので、飛行機会社の保険で2000ドル支払われるらしい。 データとかは? ねえ? 棟梁からお慰めのお言葉を頂きました。 いつも有難う。 あなたがそっと優しい言葉をいつもかけてくれるので、人生もまだまだ捨てた物ではないと思えるのです。
さて、荷物。 まだちっともまとまってない。 大量にゴミを捨てていると言うのに、ちっとも床が見えてこないのはどうしたことか。 はい。 つまり、片付けすらすんでいないのです。 荷物をパックするまでには相当の時間と労働力が必要と思われ、気が遠くなったりしている。
パラボラ・アンテナの事をサテライト・ディッシュという。 皿。 科学で電波なのに皿。 その話をアメリカ人にしたら、イディオムで「電波をダウンロードする」というセンテンスと「皿を洗う」というセンテンスをかけたらしい、親父ギャグを言われた。 なんだかよく理解できなかった。 それなのに笑う自分。
敗北感と闘う毎日。
そんなわけでクスコ。 標高が大変高く、海辺で暮らしている我々にはやはり耐えがたいものが。
母は、父がはるばるNYから運んできた風邪との合わせ技であっさりダウン。 まあ、元々大山にも登れなかったお方(正確には、ロープ・ウエイの乗り場まですら行きつけなかった)。 誰も彼女が元気はつらつと動き回るとは思っていなかったので、このアクシデントは予想通りと申せましょう。
皇帝は血液を酸性にしながらもこの辺で風邪完治。 しかし、私の心拍数、測ってみたらなんと100を余裕でブッチぎるテンポで軽快に打ってたのです。 心筋が筋肉痛になって死ぬかと思った。 激しい運動は避け、すり足で移動。
母をホテルに残して、父と皇帝はバスで市街地内の観光を一日目にすませる。 アジア風な市場に、西洋の建物。 スペインの教会とインカの旗が混在しているのが、この街の特色。
学校が休暇中だったせいか、子供達が沢山乞食のアルバイト(?)をしていた。 しつこく寄ってくるが、中国の物売りの27倍あきらめが良いので、あしらいは楽。 心が痛まないわけはないのですが。 財布も痛いのです。 インカの人は写真を撮られると魂が抜けると思っているので、普通は中々撮影させてくれないが、それを利用して、お金をもらって写真に撮らせる人々が結構いる。 アースの歩き方の写真なんかは、大体その手法で撮られているのではないでしょうか。
ペルーの人々は犬が好きらしく、リマもクスコも犬まみれ。 首輪や縄をつける習慣は無いのか、その中が犬溜まりに。 でも、狂暴な犬は一匹もいなかった。 どちらかと言うと、子供が尻尾をひぱっても寝ているような、そんな穏やかな犬ばかり。 逆に、猫は全然いない。 そして、牛とか山羊とか羊とかアルパカが人口に勝っている。
なんとなく車の流れに違和感を覚えて、よくよく観察してみたら、車の停め方が変。 変と言うか、なんというか、道の脇に駐車するのではなく、何故か道の真中に車を・・・。 真中と言うのは語弊があろうか。 反対車線との間、つまり、中央分離帯付近に横並びに停めてあるのだ。
何故・・・。
次回、母をホテルに残したまま、今旅最高峰のオリャンタイタンボへ。 4000m近いです。 心拍数は上がったきりのうえ、血液は酸性。 手足が痺れてホテルのチェックイン・ドキュメントがまともに書けない状態で更に高みへと登ろうとする、その心は一体。
・・・なんとかは高いところに登りたがるのです。
なかなか波乱万丈な旅の幕開けで、結構下の書きこみは気に入っている。
さて、多くの皆様が疑問に思っているらしいことを、まずはご説明。 ペルーは南米大陸の西海岸真中らへんに位置する一応民主主義の国。 首都はリマ。 公用語はスペイン語。 住んでる人々は、大抵スペイン人と原住民が混ぜこぜになったメスチーソの方々。 選挙のルールを守らなかったために、日系元大統領のフジモリ氏が追放されたのが記憶に新しい。 ついでに皇帝の大学の探検部の人が軍に山賊まがいに殺されたことも記憶に新しいので怖い。 通貨はソル。 今現在1ドル=3.4ソーレス(ソルの複数形)。 大抵の所、夜店ですらドルが通用するが、おつりは大体ソーレスで返って来るので、計算が面倒くさいから空港とかで両替しておいた方が良い。 街中に闇の両替師が潜んでいるが、なんか怪しいので利用しなかった。 中国だったらガンガン両替するけど(違法)。 やっぱり言葉がわからないと闇雲に色々不安。 日本からの直行便は無し(燃料が続かないから)。 ヒューストンから8時間フライト。
飛行機がリマ空港に着くと、そこには階段が。 到着ターミナルとか無いですか・・・。 かつて雲南に中国国内線で行った時に、怪しげな地方空港に深夜降ろされ、ハシゴを使ったっきりだ。 パソコンは既に失われ、階段を降りる私の胸の内はいかばかりか。 そしてモンワリ熱い。
とりあえず夜に到着したので、その日はそのままホテルに直行。 夜の明かりに浮かび上がる看板などをつらつら観察してみるに、韓国系の電気会社の進出が目立つ。 全体的に、中国っぽかった。 発展途上国の都市はどこもこんな感じなのだろうか。 鉄筋が屋根から飛び出ていたり、TVのアンテナが思い思いの方向を向いていたり。 ついでに犬があちこちで放し飼いだったり。 空気が半端なく汚かったり。 人々の顔がややバタ臭いとか、細かいところはもちろん異なるが、漠然と雰囲気が似ている。
そして、特に挙げておきたい製品が、インカコーラ。 中国にも非常コーラだの北京コーラだの、国産コーラの売り出しに力を入れてはいたが、インカですよ。インカ。
二日目の朝、早速飛行機に乗りこみクスコへ。 クスコはリマから飛行機で約1時間。 アンデスの山々の間に埋るようにひし形気味にある小さな観光都市。 今は雨期なので、エルニーニョの影響もあって毎日雨。 エルニーニョ。 セニョリータ。
標高が3000メートル以上あるので、なんというか、富士山の頂上くらい。 かつて、富士山五合目程度の雲南で高山病気味になった皇帝、ここは抜かり無く高山病予防薬を摂取。 父母も摂取したのだが、薬が米国人向けだったためか、やたらに効きすぎて、リマ空港に着く頃には、全員手足が痺れて動かないという危機迫る状態。 薬の説明を読むと、どうやら血液が酸性になるらしい。 血液が酸性??
釈然としないまま飛行機出発。 って、ちょっと待て。 なんか滑走路が異常に短い。 と思っていると、なんとカーブを曲がりながら加速開始。 ウソーん。 と心の叫びは無視して、飛行機は無事クスコへ。
リマは蒸し暑かったが、クスコは高原なので涼しい。 寒いくらい。 住民の顔つきも、すっかり100%インカに。 原住民の皆様は背が小さい。 皇帝が紛れても違和感が全然無いので、ちょっと自分が普通の大きさになった錯覚を満喫。
では次回、波瀾万丈クスコ旅行記をお楽しみに。 まだ血液酸性ですし。
At the airport,the airplane company Continental ailines lost my computer. Anyway, at that reason I cant use the PC. Im in an inter-net cafe now. Lima is a wanderful city,seems like an asian city.
See you next week!!
P.S. If I can, Ill write this diary in Peru again.
去年大型トロピカル・ストーム、アリソンがヒューストンを襲撃したことを覚えておられるだろうか。 実は、全米の歴史上、最も被害額のでかい自然災害だったそうで、未だに復旧が完了していない。
去年私の文法の先生をしていた女性が、NYツイン・タワーのテロで(留学生数が激減したので)職を失い、今はアリソンの復旧ボランティアのコーディネーターとして働いている。 人生はわかりません。
その彼女と夕食を食べにいった。 何故かその時私の前置詞が妙な具合に混乱していて、なんだかTOを連発してしまった。 しかし、そこは元英語教師。 二十年間わけわからない生徒達を訓練し続けたことはある。 全部理解してくれた上に、私のレベルにすぐさま合わせて単語を修正して話してくれる。
こういうタレントのある人は海外に出たらすぐに良い英語教師になれるのに。 でも年がいってると中々外に出る勇気が出ないものね。 それまでの人生もあるし。
などとしんみりしながら、ではペルーに行ってきます。
部屋中に散らばった物どもを片付けなければならない。 毎度の事ながら、この撤収作業は疲れる。 帰った先の日本の家だって片付いていないというのに、この荷物達がこのまま私の部屋に送りこまれたとて、いかほどの収納ができようか。
フィリピンは複数形で日本は単数形ってどういうことだ。 日本だっていくつかの島から成り立っているのに。 本州以外は無視か。
関係の無いところで怒ってみる。
本当に日本の大学から卒業したいもんだ・・・。
国際友達はお別れが辛いもの。 特に、今回はほとんど日本人がいなかったから、大抵の方々にはもう二度とあえないのだろうと思いつつ。 でも、将来なにかのはずみで相手の国にお邪魔することがある、と信じてメールアドレスを交換。 ネットって、こういう時にこそ真価を発揮する。
今回の最大の収穫は、男でマブダチ(表現が古いな)ができたこと。 それも二人も。
中高女子校だったから、殿方とお話するのは苦手でございますの。 と、冗談はさておき、本当に普通に話しこんだりできる男の子ってあたいの人生にはいなかったな、と再認識。 韓国の子と、タイの子。
非常に辛い、涙涙のお別れ。
頭にホチキスついてますけど。
| 2003年02月27日(木) |
学校から入力しています |
六ヶ月もいて、学校のパソコンが日本語入力可能なのを知らなかった。 今日はこれから夕方の五時ごろ集合して、ロデオを見に行くのだ。 そして十二時ごろにお開き。 携帯電話を忘れたので、親がこれを見て私の予定を知ってくれるといいな、とか思っている。 本来予定していたHP使い方がまさにこれだ。
韓国人のお友達が交通事故に遭って肝臓をぶつけて病院に行った。 「キドニーが・・・」と英語で話していたら、韓国人生徒達が「カン」「カン」「カン」と口々に言っていたので、きっと韓国語でも肝は肝なのだろう。 つーかファイナルテストの真っ最中だというのに、彼は頭にホチキス止めてますけど。 脳味噌20%OFFとか自分で言ってました。 そして、彼の彼女は怪我のことよりも失われた頭髪のことを気にかけている。
こないだDHCのオリーブオイルが切れたので、母の化粧棚からこっそり奪って自分のに足しておいた。
妖怪油抜き。
そうか、こういう気分だったのか。 油を抜くというのは。
ラジオでテキサスを肴にしたコントをやっていた。 「テキサスでカウボーイのかっこうした人をからかっちゃいけないよ。彼らは本当にカウボーイなんだから」 「テキサスで生き延びたかったら、車の運転をしちゃいけない」 「ブッシュってテキサス人だろ。だから馬鹿の一つ覚えみたいにサダム、サダム、サダムって言うんだ」 わかるようなわからないような。
マイケル・ガーフィールドが目医者の宣伝をしている。 何者なの、あなた。
オクラホマは私が去った後、本格的寒波に襲われて空港ごと凍り付いてしまった。 運が良いのか悪いのか。 あ、国立カウボーイ博物館とか行った。 展示品の半分以上が原住民の品。 あと、ロナルド・レーガンのサインとか置いてあった。 ラーメン屋みたいだと思った。
| 2003年02月25日(火) |
全ての災いを双肩に担ってます |
行きの飛行機はサンダー・ストームの影響で3時間遅れ。 帰りの飛行機はシビア・ストームの影響で2時間遅れのうえに、到着飛行場の変更。
当たるモンにはとことん当たる。 当たらないのは宝くじくらいなモノ。
オクラホマはそれはそれは寒かった。 雪が吹雪いていた。 常夏のヒューストンから一気に地獄を覗いたような。 大体、オクラホマは厳しい自然を誇るアメリカ大陸のなかでも、きわめて過酷な地域なのだ。 あまりの過酷さゆえに、ジャクソン大統領が邪魔なネイティブ・アメリカンを追いたてて、強制的に住まわせたという、要するに掃き溜め代わりに使われていた土地。 土地無料分割が一般人に行われた、最後の州でもある。 夏は烈火の太陽が容赦なく照り付け、40度を越える日がしばしば。 そして、春と秋が無い。 真夏のある日起きると、突然氷点下なのだそうな。
ちなみに、ヒューストンは雪が降らない。 25年前だかに、薄っすらと雪が戯れに降ったらしいが、その時生まれてはじめてみる雪にウキウキと外出したヒューストニアン達が、滑って転んで頭を打ったか、車がスリップしたかで、相当数死んだそうな。 以来、もしヒューストンで雪が降ったら、あらゆる公共機関が閉鎖されることになったとか。
地図を見ていただくとわかるが、オクラホマはテキサスの真上。 ちょっとの差だけど、海があるか無いかで相当気候は違う。
皇帝

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