皇帝の日記
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| 2003年04月08日(火) |
あー学校は楽しいなー(空元気) |
またしても科目登録の件で呼び出されたので、すっ飛んでいったら「語学科目登録確認済」と書かれた紙切れを貰った。
そんだけ。
そんだけのために、花嵐(途中から本当に嵐)に打たれながら高田馬場を小一時間歩き回っちゃった情熱を、どうしてくれよう。 傘なかったから、駅のゴミ箱から突き出てる破れたビニ傘拾っちゃったし。 うら若き乙女が、ゴミ漁り。
いいや・・・ネタになったし・・・・。
の第一歩を踏み出さんと、とりあえず学生生協保険の延長届を出すことに。 「すいません、保険の二年間延長をお願いします」 「はい、二年間ですね。大学院ご入学おめでとうございます」 「あ・・・いえ・・二年間休学していました」 となんだかもんわりした第一歩。 もわもわ。
院に行く人が多数派になりつつあるらしい。 私は多分行かないと思う。 出てこれなくなりそうだし。
明日の今ごろにはとりあえず23になるわけなのですが、抱負を述べておいた方がいいのかな。 どうかな。 毎年一応抱負を一瞬考えてはいるような。 いないような。 記憶すらさだかじゃないのですが。
大学三年と言えば、特に何をするでもなく。 中だるみの年。 語学を頑張っておくか・・・とか。 今年から朝鮮語をとる事にしたので、一年でハングルくらい読めるようにしておこうとか。 あとは・・・虫歯を作らないとか(真剣)。
それと、学校内に私を知る人間がいなくなったから、新入生歓迎会に乱入して、ただ酒飲んで行方を眩ますとか。 酒の量を知らない本物の新入生に飲ませてつぶして放置とか。 ああ、段段目先の事になってきた。
今日は祖母と寿司を食べて誕生日を祝った。 二人とも四月生まれなので、まとめてお祝い。 明日はケーキでも買いますか。 部屋も片付かないし、なんかお祝いって気分ではないですね。
ついに自分の誕生日まで他人事っぽくなったか。
帰国後絶え間なく掃除しつづけてはいるものの、ちっとも片付かない。 とか言っていると、航空便によるアメリカからの荷物第二波が届いた。 第一波は、父母が人力で持ち帰ったスーツケース大型四箱。
第三波が船便で届く前に、なんとしても片付けねばならない。 第三波では、ベットや本棚といった大物が来る。
とりあえず何でもいいから捨てよう。 その境地に至るまでに随分かかった。 もう捨てる。 なにもかも。 変なオカリナとか。
| 2003年04月02日(水) |
ドクター中松に会った |
学校からの速達で、科目登録に呼び出されたのですっ飛んでいったら、演習科目が取れました、という紙切れを一枚貰った。 そして帰された。 往復四時間。 人生は無駄が多いほど輝くのです。 そうか? 本当にそうか?
帰り道でドクター中松の選挙カーに遭遇した。 本人が手を振っていた。 車の上にはなんだか得体の知れない近未来的な扇風機と風車が付いていた。 名前を連呼しているだけだった。 主張とか・・・無いの?
でも時間がないのでレイアウトを変えずに。 時間ができたらテキサス偏をまとめて保存して、窓を変えてみようかと思ってます。
そいで、(ほんの)一部の熱い期待に答え、帰国後も言いたい放題書きなぐることにいたしました。 何のための日記というわけでもなく、自分日記。
とりあえず両親は戦争が長引きそうなので、強行帰国してきた。 今日本です。 というか、今そこにいます。 一発派手にメキシコに行ってから帰国とか予定していたらしいけれど、結局どこにも行かずにひっそりと帰ってきたらしい。
科目登録は無事ネットで行ったにも関わらず、大学側のサーバーが壊れて、結局マークシートにて再度登録することに。 去年も同じ事を仕出かしたらしい。 同じ過ちを繰り返す。 その気持ちがわかるだけに責められない。 が、はっきり言ってその尻拭いを学生の労力に負わせるのは、いかがかと思うよ。
そりでは買出しに行ってきます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
| 2003年03月29日(土) |
これにてペルー篇終了 |
そうそう、ペルー最終日を残しておりました。 メモを見てみましょう。
「最終日はパスポート」
と書いてあります。 ああ、一体何があったの・・・私、わからない・・・。 記憶を呼び覚ましながら、小松菜とハムの炒め物を作って食べようとかまえている時に、母のお友達からお電話。 家族共々お付き合いいただいている方なので、我が家の掃除の相談や、換気扇について話し、台所に帰った時にはハムは有りませんでした。 現場には茶色い猫の毛が点点と・・・。 そんなわけで、小松菜オンリーの炒め物を食べながらツラツラ思い出してみました。
この日は市内観光をした。 市内をぐるぐる回り、珍しい建築物や、主だった広場や公園をバスで見に行く。 ガイドはしっかりした感じのお姉さん。
一人旅のガテマラ人のおばさんがツアーに参加していて、お昼を一緒に食べましょうと提案したので、一緒に食べに行った。 おばさんの会社はシャンプーのパンテーンや、オムツのパンパースなんかを扱っているんだそうな。 私も今、パンテーンを使っているといったら、嬉しそうにしていた。 アメリカ人は嫌いだといっていた。 南アメリカ人は、十中八九アメリカが嫌いなので、驚くには値しない。
ちょっとバスで遠出して、パチャカマ神殿という遺跡を見に行った。 海の横に建てられていて、海側は中々いい景色だが、すぐそこに油田があるので汚染が酷いとガイドの説明。 お約束の生贄台等も見学。
暑かったのだが、日にあたると嫌なのでまたしても長袖のパーカーを被っていたら、お姉さんに不信がられたので「皮膚が弱くて太陽に当たれない」と言っておいた。 「日焼けしたくない」というと、ここの人は褐色の肌なので、角が立つかな、と思ったり。
飛行機は夜遅く出るので、ツアー終了後時間が余ったが、全員疲れ果て切っていたので、ホテルのロビーに座り込んで休息に専念した。
初めて海外に出た時から、ずっと感じていたのは、私は建物や遺跡が好きなのではなく、人が好きで、人を見に行っているということ。 だからマチュピチュで、綺麗な建物を綺麗と思うだけだったのに対して、帰りの山道を下るバスを追いかけてきて、何度も追いついて手を振ってお金を貰っていた少年には心底感心したし、 綺麗なクスコの夜景を山頂から眺めた時よりも、段々電車が市外に降りてきて、明かりの中で人が実際に生活しているのを覗いた時のほうが安心したりする。
今回の旅行は楽しかったけれど、もしスペイン語が話せて、そこいら辺の人が何を言っているのかが理解できていたら、もっと何倍も楽しめたと思う。
語学は勉強の為に勉強しているのではなくて、人と関係を持つためにする。 新学期は朝鮮語基礎の授業も取った。 もっと色んな人と話してみたいな、と、なかなか留学記の締めくくりにはいい感じで終われて、悦に入っている。
ペルーは父母と一緒で、楽しかったです。 今度また、家族で旅行できたら良いです。 猫も連れていけたら良いなあ。
帰国後すっかり引きこもりになってしまい、何もする気が起こらない〜とだれていましたが、いい加減エンジンかけないとバッテリーが上がってしまうので、リハビリしてる。
昨日は宰相に来てもらって、パソコンをいじったりした。 あいかわらず、わからんチンの私に根気強くフォトショップの使い方とか教えてくれた。 スキャナーとか、初めて触りましたよ。 ドキドキ。 一番忙しい時にありがとう。
今日は自分が銀座まで出て行って大学のお友達に会いに行った。 つつがなく卒業されて、院に行くんだそうな。 いろいろ話をしたし、東京まで出て行って街をさまようという運動機能上のリハビリもした。
社会復帰まで後一歩。
更に、勇者から嬉しいメールも届き、ちょっと幸せ気分回復。 棟梁は最もへこんでるときにメールくれたし、なんかもー落ち込んではいられないですな。
新学期からは若者にまじって頑張らねばならんしね。
| 2003年03月26日(水) |
パルカスパルカスルルルルル〜 |
パルカスという所には、特に何もない。 砂漠のオアシス都市で、海に面している。 それで、ホテルの脇から朝一番に船が出て、バレスタス島という所にアクセスできる。 そこに何があるかといえば、フンボルトペンギンと、アザラシ、謎の地上絵(とてもうそ臭い)が有る。
アザラシは文字通り山のようにいて、その鳴き声がすごい。 動物奇想天外とかでは、その愛らしさを強調せんが為に、おそらくサウンドは消してあるんじゃなかろうか。 鳴き声を真似ると、昼寝中のアザラシ達が起き上がってガンを飛ばしてくる。 自然保護動物をからかうのは適当なところで止めておこう。
ペンギンはあまりいなかった。 いても、動物園にいるペンギンよりも小さいので、岩の陰に隠れてよく見えない。
ホテルに帰って、リマ行きのバスに再び乗り込む。 またしても四時間。 と、後少しでリマ、というところで、交通渋滞に巻き込まれる。 砂漠のど真ん中で渋滞。 果敢なるペルーっ子は、道路わきの砂漠を乗り越えようとして、次々に砂にはまって動けなくなってゆく。 すると、砂漠の中だというのに、どこからともなく砂漠の民がわいて出てきて、車に駆け寄りトウモロコシやせんべいを売りつけ始めた。 どこから来た・・・。 さらに、動けなくなった車の救出お手伝いを買って出て、チップをもらうという商売まで始めた。 だから、どこから来たんだあんたたち・・・。
三十分くらいで渋滞を抜け、もちっと走ってリマに。 お夕飯はリマで一番美味しいと評判の日本料理屋に行く。 行きに使ったタクシーはホテルから取った、外国人向けの高級タクシーで、寒いほどにクーラーを効かせてくれ、英語も話す。 レストランでは「インカ巻」という不思議な創作寿司を食べ、タクシーを拾って帰る。 治安が不安なので、余計なことはしないで、最短でホテルに生還することだけを考えて行動していた。 帰りのタクシーは、信号は無視するは、交差点で一時停止しないは、じゃあどうやって走っているのかといえば、クラクションを曲がり角に差し掛かるたびに鳴らして、速度を落とさないのだ。 見通しの悪い山道で、クラクションを鳴らせ、って、あれみたいに。 コワ〜と思いながらもホテルに着くと、運ちゃんは拍手をねだる。 曲芸だったのか・・・。
さて、明日はいよいよリマ市内・市外観光ののち、深夜飛行機でヒューストンに帰ります。
電話番号。 なんか、民家に大量にFAXを勝手に送りつけている業者とうちの電話番号が似ているらしく、抗議の電話がかかってくる。 二件ほどかかってきたが、両名とも相当怒りまくっていて、何を言っているのか良く分からなかった。 話を繋ぎ合わせると、そういう理由が浮かび上がってくるのです。 ってか、関西弁を使って講義してきた方、明らかに自分ちじゃなくて、友達にすごんでくれと頼まれて代わりにかけてるっぽいんですが。 そして、自分が迷惑電話している方だと気付くと、なんだか謝ってんだかないんだか、曖昧な返事をして電話を切る。 ちと、礼儀をわきまえんかい。
さて、ナスカ。 ナスカへ行くにはまずリマからバスで3、4時間のところに有る小さなオアシス都市を経由して、そこからミニバンみたいのに乗り継いで山を越え谷を越え。 リマからズーッと砂漠で、オアシスを過ぎたらこれまた不毛の大地が続く。
ここらの人々は、元々地面に何か書くのが好きなようで、行く途中の道路わきにも、大きな字や絵が一杯書かれていた。 DNAがそうさせるのだろうか。
インカ帝国がかなり有力な一派だったと聞いて、何がこんな山奥の住みにくいところに拠点構えてて有力よ〜、と思っていたが、よくよくペルーの地図を見てみれば、海沿いはほとんど砂漠。 斜面とはいえ、木も有れば作物も取れるアンデスに土地を確保していたというのは、やはり相当な武力があったのでしょう。
さて、今回のガイドはかなり英語が達者で、知識も有る。 色々質問をして、突っ込んだことを尋ねてもちゃんと返してくれる。
このナスカ・ツアーで同席になった日本人学生軍団四名は英語が苦手なようで、ガイドを無視して会話に打ち興じているのだが、女の子の一人は「マジ?」と「うんうん」しか口にしていなかった。 この人と話しているくらいなら、話のすれ違う中国人の元クラスメートの方が百倍くらいましだと思った。 あと、ずっと口が半開きだと思った。 思っただけ。
地上絵は、地面の砂をチョチョッと掻き分けただけの、簡単な線で構成されている。 よくもまあ砂漠の砂にかき消されないもんだな、と思うが、強風がいつも溝を綺麗にしてくれるので、今まで埋もれなかったんだということ。 でも、ちょっと足でゴシゴシやれば消えちゃいます。 文化遺産の保存という点で、大きな問題を抱えているのは確か。 絵の上にジープの跡がガンガンついていて、痛ましい。
さて、ナスカに着いたら飛ぶ。 上空からしか見えないんだから、飛ぶしかない。 ちっこい四人乗りセスナに乗って飛ぶことに。 高所恐怖症の母に、これはまた大きな難題。 本人は「怖くないもん。高いところに行くと体が震えるだけだもん」と、その恐怖を説明しております。 はいはい、怖くないんですね。 上空に上がると、窓から絵が見れるように、飛行機は大きく旋回して、しかも上下に揺れる。 右の席からも左の席からも見えるように、一度右に傾いて通過した後、今度は左に傾いてお披露目。 母うつろな眼差しで、天井から垂れている紐を握り締めている。 絵よりも母が気になります。
絵に関しては、皆様もご存知の通り。
シンメトリーの鳥の羽が不思議といえば不思議ですが、宇宙人が書かなきゃならない規模ではないです。やはり。 測量技術があれば、ヒモ一本で正確に大きな絵を描くことが出来ますし。 根気の問題ですね。 ただ、何を考えて描いてたのかなーと考えると、楽しいです。 あと、ちょっとヘタクソな人が描いた絵と、上手な人が描いた絵に差があって面白い。 これ、書いた後確認できないもんね。 下手な人も上手い人も、同じ給料(扱い)かしら、とか。
その日は遅いのでリマに帰ることは出来ない。 パルカスという新興リゾートに泊まる。 では明日はパルカスに。
皇帝

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